読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

彩雲国物語

PCの不調やその他の理由で、しばらく「本」から逃げていました。

 

というより、あの山本七平著「日本人とは何か」を読んでいるうちに、

私の中に生まれた疑念は、「私たちは結局変われないのではないか…」という気持ちでした。

あの太平洋戦争を乗り越え、私たち日本人は、一歩前進した、と私は思っていました。なのに、ここにきて、日本会議なるものが起こり、安倍氏のような、あの太平洋戦争を引き起こした政治家と似ている政治家が現れ、マスコミや芸能人を抱き込んで、世論を丸め込んでいく現状を見ました。

 

更に、創価学会公明党という形でまとめられ、お国に協調していく、

国民の姿も見てきました。

 

それで、すっかり絶望的な気持ちになってしまい

もうあの「日本人とは何か」を読み続ける元気もなくなりました。

 

そんな時に、ウクライナをめぐる戦争が始まってしまい、

朝も夕もそのことが頭から離れなくなってしまいました。

 

そこで、増々現実逃避のための「世界」が必要になりました。

少し前まで、赤毛のアンシリーズを読んでいました。

あの中にある、アンの言葉、

「現実の世界が辛い時、ほんの一時だけ、夢の世界に逃げ込んで、

元気をもらって帰ってくるのよ…」。

 

実際、アンの世界は、私にとってそういう世界でした。

アンシリーズを読み終わり、今は、彩雲国物語を読んでいます。

とても面白く、アンの世界と同じように、元気をもらえます。

 

 

※ ここからは、この本を読みながら、あれこれ思ったことを書いてみようと思います。

 

☆5月17日

今読んでいるのは、彩雲国物語 第7巻。「欠けゆく白銀の砂時計」です。

もともと児童書にはまったのは、体調を崩し(腰痛)きちんと座ることが出来なくなったので、寝転んで読める本、ということでハリー・ポッターを読みはじめたのが、

きっかけでした。

 

その後、赤毛のアンの完訳バージョンを読み始めると、村岡花子訳から更に面白さが深まり、こちらにもはまりました。

 

そして、今は彩雲国物語です。

ハリー・ポッター赤毛のアンが翻訳ものなのに比べ、この彩雲国物語は、

日本人が書いたものだと思います(はっきりは分かりませんが)。

少なくとも、漢字に対する感度がとても繊細にあります。また、家柄とか血筋など、私たちの無意識レベルに入り込んでいる人間関係の大前提のようなものが、翻訳ものと違っています。

 

子どもの頃、本を読むのは、本当に楽しかった…。

ただただ、楽しかった。

その後、だんだん読む本がなくなり、読めなくなり、どちらかというと、

本は、楽しみのためのものではなく、知りたいことを教えてくれるもの、

になっていきました。

 

ハリー・ポッター赤毛のアン彩雲国物語は、そんな私にとって、

本当に久しぶりに、楽しみのために本を読むことを、

思い出させてくれた本です。

読みながら思ったことを、時々、少しずつメモしていきたいと

 

☆6月5日

 

彩雲国物語7巻を読み終わり、8巻も終わって、今は9巻に入りました。

8巻の出だしは…

 

「いつもより、早い冬が訪れたその年 ―― 。

真っ白な雪が、鵞毛のようにはらはらと舞っていた。

簡素な墓標が林立する中で、子供は一人きり黙々と最後の墓標をつき終えた。

真新しい木肌がのぞく墓標の数は、二十と少し。

すべての音をのみこむ白き死の静寂のなかで。

彼は膝をつき、ゆっくりと仰向くと、その眸に白い天を映した。

一切の穢れを許さぬ冷ややかな白銀の洗礼を、彼は黙ってその身に受けた。

 

―― そうと知りながら、彼は罪を犯した。

ただ、己のためだけに犯した罪。

冷酷なる白の女王が支配する、しんしんと深く降りつもるあの光景を、影月は忘れない。

そして誰一人知ることなく、ひそやかに息絶えた、小さな小さな山深きその村を。

 

 

    ※  ※  ※  ※  ※    」

 

 

と、物語は続いているのですが、

とても惹きつけられる文章です。

ドラマチックで、強い印象が残る絵を見せられた時のような

気持ちになります。

この彩雲国物語、3巻くらいまでは、いかにも少女小説…といった

内容だったのですが、4巻あたりから、「序章」の前に、この強烈で時に血なまぐさい

描写が入る様になりました。

あまり説明的ではなく、でも、第7巻の影月の謎に迫っています。

(4巻では燕青の謎でした。)

そして、9巻では、その謎が更に具体的に物語られていきます。

この、それぞれの描写が一篇の詩のようでありながら、

前後の物語を繋いでいく、という手法で進められていくので、

読んでいて、とても楽しいです。

 

☆ 8月21日

 

少し前に、22巻「紫闇の王座 下」を読み終わりました。二度目の彩雲国物語でした。

最後は、パタパタパタ…と「全てが上手くいく方法」で、終わって、それもまたすごい!と思いました。

 

 

所々、心に響いた文章をメモしておきたいと思います。

 

9巻「光降る碧の大地」

「堂主様が予防を知っていたなら、子供に石をなげられようが馬鹿にされようが、誰にも信じられなくたって、何度だって繰り返し繰り返し、信じてもらえるまで、歩いて、説明して―— 村の長に伝えて、郡太守に文を書いて、それでもダメなら、州牧の許に出向いて、牢に入れられたって直訴したでしょう。あなたのように、口先だけで放り投げることなんてありえません。」

 

〇 ここを読んだ時には、あの原発事故の時も、この度のコロナ禍の時にも、

同じように、「直訴」した人々がいるのを見たなぁ、と思いました。

でも、この彩雲国物語と決定的に違っていたのは、国のトップの方でした。

この物語の中では、国のトップには、様々に個性的な人々であっても、国民を守るという真っ当な感覚がありました。

 

でも、私たちの国の為政者には、果たしてそれがあるのだろうか…と思います。

 

 

11巻「紅梅は夜に香る」

「誰かには当たり前の幸せが、自分には当たり前でなくとも仕方ないと、心のどこかで思っておりました。手に入らないものは、最初から望むまいと……… 大切なものはそのままに、壊れないように棚にそっと飾って、見ているだけで構わないと………」(略)

 

「でも主上、私は結局聖人ではなくて…… 愛する人に、そばにいてほしいと思ったり」

「………」

「大切な友人に、お前だから必要だと、言って欲しいと思ったり」

「………」

「あきらめるべきだとわかっていても、どうしてもあきらめきれなかったり……しました」

悠舜は、自らの掌に視線を落とした。まるでそこに、見えない宝ものがあるかのように。

「……それは多分、とても大切で、必要なものなのです。木々や花に天水が必要なように」

 

〇 ここは、この物語の中でも、そして、多分、今まで読んだすべての小説の中でも、

一、二を争うくらい好きな場所です。

 

 

☆ 8月31日

 

14巻 「白虹は天をめざす」

「迅と離れて、十三姫は悲しむよりも ……ホッとした。

もう迅を不幸にしなくてすむ。(略)」

 

「姜州牧はさらに陰惨な顔をした。 ……この歳になると、甘酸っぱい昔の想い出を聞かされることほど嫌なモノはない。ああいうのはナマモノなのだ。大事にとっとくんでなく、その場でとっとと食べて腹におさめ、ほじくり返さないべきというのが、姜州牧の持論だった。」

 

 

「……… どこかで、生きててくれればいいと思ったわ。迅に軽蔑されても、嫌われても、間違ったことをしてでも、私は、私を最後まで助けてくれた迅を、助けたかった。…(略)」

 

 

17巻 「黒蝶は檻にとらわれる」

 

「誰にでもできるけれど、実際は誰にでもできるわけじゃない。でも本当はやれたらいいのにと思うことをやってくれるから、叙牙は秀麗を見てるのが好きになった。

「俺には同じコトはできないけど、ちょびっと助けるくらいなら、したいと思うんだよ」

何もしないで遊んでいた時より大変だけど、毎日が少しずつ楽しくなったから。

 

燕青は破顔した。秀麗は別に何かを変えたわけではない。けれど秀麗を見ている誰かがちょっとずつ変わる、その波紋の一つを、燕青は今見ているような気がした。」

 

19巻 「暗き黄昏の宮」

 

「……いや、待て。だが、飛蝗は、普通、群れないだろう?(略)」

「その通りです。(略)一匹で行動するのが大好きなのが本来の飛蝗です。(略)」

(略)

「……でも、頭の悪いチンピラ集団と同じで、一度群れて暴れてヒトサマからむしり取って楽に生きられる方法を覚えてしまったら、もう元には戻れない……」

(略)

「そうです。普通は緑。つまり、保護色です。葉っぱの色に隠れて外敵から身を守る色です。それが群れると黒と黄色に変色する。『見つかっても構うかよ!どうせお前らにゃ何もできねーだろうヘヘン』みたいな超攻撃的な色です。それが見分ける印でもあるんですが」

 

「わ、悪い!悪いぞ!バッタ!!開き直るなんて最低だぞ!!見損なった」

というか、むしろ人間とバッタ軍団の習性に大差ないことが劉輝には結構衝撃だった。」

 

〇ここでは、蝗害に対応する役人たちのあれこれが書かれているのですが、

前回は、疫病、今回は蝗害、更に、塩や鉄の動きから、不穏な悪事を感じさせる伏線が続き、社会の動きをあらためて教えられます。

 

特に、藍家や紅家が家の財力や人脈を使って地方を納め、その勢力が、国のやり方にも影響を及ぼしている個所を読むと、今、ロシアやウクライナで取りざたされている、「オリガルヒ」を思い出しますし、ヨーロッパの貴族なども、同じようなものなのでしょう。

 

ハリー・ポッターを読んでいた時は、魔法省がボルデモート側に乗っ取られ、

マスコミがハリーを広告塔にしようとしたり、世論を自分たちに都合よく誘導するための記事を書く記者が現れ、

魔法の世界とは言え、めちゃめちゃ現実世界に近いリアリティを感じました。

 

 

この本も、ファンタジーでありながら、その類のリアリティがあちこちにあり、だからこそ、読んでいてこんなにも引き込まれるのだろうと思いました。

 

☆ 9月6日 

 

20巻 「蒼き迷宮の巫女」

 

「最悪の場合、全土で死者、十万。三年後に人口半減、国の二人に一人が死ぬ試算が

出ました。ただし、現段階で紅州の備蓄食糧を隠匿しておけば、紅州だけは人口生存率八割」

温存ではなく、隠匿と言った。そう、隠匿が正しい。温存とかふざけた言葉を使いやがったら、殴り飛ばしていた。」

 

 

「他州を見殺しにしろ、ということだ。志美は天を仰いで息を吸った。副官を怒鳴りつけはしなかった。この嫌な仕事を、下っ端に押し付けずに自分で伝えにきた。いつだって冷静沈着な副官が、汗だくで飛んできた。ちゃんと血の通った、数少ない骨のあるオッサン州伊だ。」

 

 

「何日ぶりかに見上げた昊は、抜けるような紺碧で、白い鳥が一羽、円を描いて飛んでいた。志美の目の端が、ゆらゆらと滲んだ。ああ、と胸が詰まった。—— 戦は終わったのだと。

『ああ、戦は終わりだ。 ―― ようこそ、最悪よりはちょっとマシなだけの世の中へ』

男は煙管を嚙みながら、悠然と笑った。

あの頃は、なんと気楽だったことだろう。物事も、善悪も、何もかも真っ平らで単純で、生きるか死ぬかの二択しかなくて。生きるために考えたり、悩んだりすることなどなかった。

それはとても楽だ。考えなくていい。悩まなくていい。動物と同じ。人間じゃない楽さ。今の重さは、人間だから感じる重さみたいだ。捨てたら終わり。戦がない世のほうが、百倍生き難い。当たり前だ。そこで誰もが踏ん張ってるから、最悪よりマシな世界でいられる。」

 

 

 

「蝗害は放っておけば自然に終息する。そう、十年も経てばね。十年なんてあっという間だよ。そう心配することもない。人口が半分減るだけだ。それだって別にお前のせいじゃない」

「——— 父上!! 違う、違います。それは絶対、違う!」

 

 

〇 どうも、私たちの国の役人は、こう考えているように感じられてなりません。

原発事故の時も、コロナ禍の時も、ただ放っておく…。いつかは終息する。人口が少し減るだけ…と。

諸行無常。一切は空。その価値観で生きる時、そうなるのが、当然なのでしょうか。