読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

いかれころ

〇 三国美千著「いかれころ」を読みました。

読書は苦手だと何度か書いたのですが、これも出会いなのでしょうか。

たまたま目にした題名を見て、どういう意味だろう?と思ったので、

読んでみることにしました。

少し前に読み終わったのですが、結局「いかれころ」の意味はイマイチよく分かりませんでした。

いかれぽんちという言葉は、知っています。それに似てるので、その類の言葉かな?と思ったのですが、違うようです。

 

 

読み終わった後の、物語全体を振り返った時の印象を書いてみます。

装丁として、きれいな桜の花が描かれていますが、まさに内容にぴったりの装丁だと

思いました。

桜の花は日本国の象徴のようになっています。そう擬えて見るのは、

たまたま私が、「日本とは…日本人は何故…」と考えていた最中だからかもしれません。

作者の意図とは、別なのかもしれませんが、私はそんな風に受け取りました。

 

 

登場人物の家には、見事な桜の木があり、父親は、子供の入学写真等には、必ず桜を入れます。逆光で良い写真にはならないとわかっていても、この桜を入れずに撮るなど、思いもよりません。

 

 

月日が経ち、庭木に詳しい老人が、そろそろ桜の木は切った方が良い、とアドバイスしても、それを受け入れることが出来ません。そして、物語の終盤では、この桜の太い木の根で、家の基礎が脅かされるかもしれない、という状況になります。

 

 

著者紹介を見ると、著者は1978年大阪生まれ、となっています。

家の長男は1979年生まれなので、息子と同じ世代で、

物語の中の母親は、まさに私と同じ世代です。

様々なエピソードにそれを感じさせる描写があり、親近感を感じながら、

読みました。

 

 

読み始め、なんとなく、以前読んだあの 「カジュアル・ベイカンシー」に似てると感じました。ほとんど小説を読まないので、たまたま読んだ二つを並べてそう感じただけかもしれないのですが。

 

日々の生活のこまごまとした場面を、淡々と描いて物語が進行していきます。その描写に引き込まれます。カジュアル・ベイカンシーでは、最後衝撃的な事件が起こり、ドラマチックな展開になりました。でもこの物語では、そのような事件も起こりません。何も起こらない。ただ、熱くもなく冷たくもない、生ぬるい現状維持の空気が人々を押さえつけている。まさに、今の私たちの国の空気そのもの、のような気がしてきます。

 

 

安倍元首相は、首相になった時、「美しい日本を取り戻す」と言いました。

桜=美しい と擬えた時、その美しさを守ろうとしながらも、人間を守ることは蔑ろにする姿勢と重なって見えます。

 

 

印象に残った文章をメモしておきたいと思います。

 

「東に以前松だらけの山だった住宅地を背負い、六つの村と町が一つに束ねられ南河内市を名乗るようになっても、一足飛びに村が新しくなるわけではなかった。外環状線沿いの田畑が小さなお家の密集地帯に様変わりしても巡礼道に住んでいる人は昔のままだ。」

 

 

 

「三本松には身分というものが残っていた。身分と言って差支えがあるなら、一人一人分をわきまえるという美徳を大切にする人たちが生きていた。」

 

 

 

 

「この頃、杉崎の家で持ち上がっていたのは志保子の縁談だった。(略)

女の子は短大を出たら御の字で、二十五までに結婚する人も多かった。」

 

 

「私は何もかも知っていた。

志保子叔母がとても賢かったこと。セイシンの発作が起きて、牛乳にネズミ取りの毒を入れられたと村中のマーケットで大暴れしたこと。(略)

美鶴の姉に若くして自殺したヨシエさんという人がいて、神経が細かいのはその人からの血だろうとされていること。母のおしゃべりからなんでも子供の耳に入ってきた。」

 

 

 

「「知っているか。こう見えて俺は福井大学代表として東京大学で一番に演説をしたんやで」

「ふうん」

東京大学という時、隆志は威勢が良かった。」

 

 

 

 

「「こうとくしゅうすい」が何をした人なのか久美子ははっきり知らない風だった。シズヲにしても事件の当時九つや十のなに不自由ないお嬢さんでは、訳が分かっていたかは怪しかった。その「えらさ」が分かって来たのは、帰る家をなくして、住み込みで働く生活を余儀なくされてからだったろう。(略)

女一人で辛酸をなめてきたシズヲは良かれと思って分家を建てたにちがいないが、結局その家屋敷が孫娘の家族に影を落とし続けるとは疑いもしなかったろう。」

 

 

 

 

「政治というものを末松はさほど信用していなかった。選挙で票を入れるのは昔から堂山六郎と決まっていた。しかし末松にすれば、選挙に名乗りを上げるような輩はごんたくれの出たがりでしかなかった。」

 

 

「その言葉は幼心に煽情的に響いた。

見合い結婚の彼らにとって、隆志の学生運動の話は過去を共有している錯覚を引き出すための小道具だった。

「アカっちゅうことあるか。お前と結婚する前に止めてるわ」」

 

 

「杉崎の一統でそのころ「恋愛結婚」をしたのはえっちゃんだけだった。「あの子の結婚はなぁ」と久美子が言い出す時、何とも言えない厭わしさがあった。」

 

 

 

 

「「差別」してはいけないものとして閉め切った体育館で、牛の背割りの映像が映し出された。真っ二つの背骨と作業をする人はセイシン、恋愛結婚という言葉につきまとう影とすぐには交わらなかった。

 

 

 

うす黒いものはどこにでも、家庭の中にも学校の中にも職場の中にも靴の底の砂みたいにまんべんなく入り込んでいた。もっと後になって高校生の頃、近鉄電車の車内で白髪の老婆が誰彼に向かって「この辺りに部落ありまっしゃろ」と言いながら好奇と蔑みに目を輝かせたのを見た時、私はさっと目を伏せた。それは明らかに差別だったし、予想に反して自分にもなじみの感覚として体の中にあった。」

 

 

 

「「私また、志保子ちゃんは結婚できへん体やとばっかり思ってたんよ」

うす黒い影はそうやって私たちに襲いかかってくる。触れたが最後公然と見下される。」

 

 

 

 

「私は黒く濡れる石ころをアロエの鉢に投げた。女という言葉にも黒い影がついて回るのに私は気づきかけていた。志保子はきっと我慢しているのだ。杉崎の家のためなのだ、と私は決めつけた。」

 

 

 

「亡くなる前に末松は後あとを見越して桜の樹を切っておいた方がいいと言ったが、隆志は珍しく久美子にも相談せず断ってしまった。(略)

決断の鈍さのせいで、三十年後に末松が危惧した通り桜は大木になりすぎた。応接間の樋を押すほど枝をはり、根は飛び石を押し上げて家の基礎に迫って大問題になった。

久美子は白い歯を見せた。妹を産む直前でシズヲがまだ生きていて、幸明が結婚して売嫁を迎える前のこの数年の間が、久美子の最後の黄金期だった。」

 

 

「田植えの日は晴れがましかった。農作業は仕事という以上に、一統の絆を確かめる機会でもあった。」

 

 

「久美子がせっぱつまって一泊旅行に出かけたのは間違いなかった。夫と幼児しかいない桜が丘の家に志保子が泊まるのを、普段なら許すはずがなかった。姉妹の間には、久美子の側から一方的に火花がチリチリすることがあった。」

 

 

「「本所のおっちゃんが釣書持って来はったら、なこたん桜のきーになわかけてぶらさがったる」

私は挑発的だった。(略)

結婚と自殺は幼児の頭の中で一緒くたになった。結婚だけが女の唯一の道と決められているなら、大きな娘のまま家にいるのは不名誉だと、とびきりの保守派の私は考えた。大人になっても結婚せずにすむ方法は自殺だけだ。桜が丘の由来になった桜の樹にぶら下がって死ぬのが、最も痛烈な表現になる気がした。

 

 

 

幼いながらに私はこの先学校や社会になじめないこと、久美子や末松の望んでいる子に、そして大人になれないことを予感していた。」

 

 

 

「近所の同い年の男の子と田んぼの畔をばったみたいに駆け回っていた私は、他の女の子よりもぼんやりした子だった。」

 

 

「美少女たちはそうしたいじめをしても許されるという雰囲気がもも組のクラスの中に存在していた。」

 

 

「二人目を身ごもってもまだ久美子は自分の結婚に折り合いをつけられなかった。旅行、同窓会、百貨店での買い物、趣味のお稽古、それらで気を紛らわそうとしても効き目はなかった。

久美子はわけのわからない矛盾の嵐だった。もっと後の時代になれば気分障害だとか病名がつくくらいの危機的な状態にいた。」

 

 

 

「「見合いでしやなしに結婚した人やもん。結婚したくてした人やないもん。お父さんが先にこの家建ててしもたせいやないの。この家なかったら別の人と一緒になってたはずやったのに」

娘の責任転嫁を蠅でもはらうように、ふんと末松は鼻で笑う。」

 

 

 

「美鶴は息子をかばうために必死だった。(略)

久美子は急に肩を落とした。丁寧に靴下の裏を払うと、何事もなかったように框に上がり流し台のまな板の前に戻った。

柄の取れた包丁を取り、まっすぐ出窓のガラスを見つめつぶやいた。

「ほんま私は、いかれころや」

いかれころ。

なんてぴったりなんやろう。(略)」

 

 

 

 

「これから先、何十年も桜が丘の家は手ひどい仕打ちを受けた。不道徳で、犯罪すれすれのいかれ沙汰だ。分家は本家が作ったもので、上の奴が作るものは上の奴の都合で良いようにされる。祖父がいきり立つ度、祖母が無鉄砲をしでかす度、叔父が問題をおこす度、久美子はいつもしてやられた。

 

 

 

カイホーとアカと共にしまい込んだ言葉を、私は何十年後までも取り出した。母譲りなのか、私は窮地に立つのが趣味みたいだったから。焦りを隠し、自分の愚かさと無鉄砲、子供じみた正義感を悔いながら、何度心の中で「いかれころ」と唱えたかわからない。確かに、卑下ではなかった。してやられた風を装い、反骨精神を奮い立たせて、災厄に対抗するために、やせ我慢をして鼻で笑い飛ばした。」

 

 

 

〇 淡々とした描写の中に、ミステリー小説のような謎があって、どうなるんだろう?と思いながら、次を読みました。

 

例えば、

志保子と久美子の間に一体何があるのか。時々ピリピリするのは何故なのか。気になって読んでも、結局最後までわかりませんでした。

 

久美子と隆志は一体どうなって行くのか。でも、結局どうにもならず、そのまま年を重ねて行ったようです。

 

桜が丘の家が受けた手ひどい仕打ちとは何だったのか。不道徳で犯罪すれすれのいかれ沙汰とは?

でも、これも何のことか、さっぱりわかりませんでした。

ただ、不道徳で犯罪すれすれの行為を繰り返した政治家がこの国では簡単に不問に付される体質があることを思い出しただけです。

 

 

また、二人目を身ごもっても自分の結婚に折り合いが付けられず、気分障害という病になった久美子の生涯を見る時、秋篠宮家の長女の結婚を思いました。

誰もが、たった一度の生涯を必死に生きる権利があると思います。

自分で選択して、その結果を引き受ける時、それがどんな人生でも、その人は一生懸命に生きたことになると思います。

 

誰かに押し付けられた役割を、引き受けたくないと思いながら、その意思表示をしないまま、ズルズルと、誰かの決めた鋳型の中に、引きずり込まれて生きる時、

あの真子さんが言ってたように「心を大切にして生きること」が出来るでしょうか。

 

 

「いかれころ」どういう意味なのか、きっとこれからも考え続けると思います。