「えてして我々は、「ニヒリズム」と称されているものを歴史的なものだと捉えて、
政治的に非難し、「危険思想」の持ち主とされる思想家の専売特許にしてしまいたいと
いう誘惑にかられるが、実は「ニヒリズム」は思考活動そのものに本質的にそなわっている性質なのである。
危険思想などというものはない。思想そのものが危険なのであって、ニヒリズムはその
産物ではない。」
その当時は、西洋のモラルの根本的戒律― たとえば、前者では「汝殺すなかれ」が、そして後者では「汝の隣人の不利な虚偽の証言をするなかれ」― がひっくりかえってしまった。
そしてその後に起きたこと― 転倒の転倒であり、第三帝国の崩壊後のドイツ人の
「再教育」が驚くほど容易であってまるで自動的におこなわれたかのようであったこと―が我々の慰めになるはずもない。
現象としては前と同じことなのである。」
「思考することと十全に生きていることは同じであり、それゆえ思考は常にあらたに
始まらなければならないものである。」
「意味を求める「探求」と私が呼んだものは、ソクラテスの言い方では愛である。
欲求することである。
人間が智慧を愛し、それゆえ哲学するのは人間が智あるものではないからであり、
美を愛し、言ってみれば、美を行うのは―ペリクレスが葬送演説の中で表現したように― 、人間が美しくないからである。
ソクラテスがたった一つ得意にしていたのは愛なのであり、この腕前のおかげもあって仲間や友人を選べたのである。
「他のことにかけて私はからしきダメなんだが、この才能だけは持っているんだ。
愛すべき人、愛されるべき人が誰なえんだかすぐにわかってしまうのだよ」。」