読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

精神の生活 下

「知性と理性は真理を扱う。知性は「普遍的理性」とも称されるが、同意をとりつけるための証明を必要としないような第一原理としての数学的真理、自明的真理を扱う。

それに対して、理性は個別的理性であって、三段論法の場合のように普遍的命題から個別的命題を引き出す能力である。」


「論争による論証的推論の過程が働き始めるのは理性的存在への信仰があることによってであるが、その理性的存在者の知性は本性上、創造主に助けを求めて、「自分の自然的理性の能力の範囲内でとらえられる限りでの真なる存在についての知」を求めるのである。


聖書において信仰に対して明示されていることは疑いようのないことであって、それはギリシア哲学において第一原理の自明性が疑われなかったのと同様である。

真理は強制的なものである。」


ギリシア哲学が証明した真理やキリスト教への信仰が基盤となっている真理のような「真理」が私たちの社会にはないということなのかな、と思います。

私たちの国ではよく、「真実は一つではない」とか「正義は一つではない」という言い方がされます。

実際、ある人にとっての真実と別の人にとっての真実は違うでしょう。でも、「食べ物を食べなければ兵隊は死ぬ」というのは誰にとっても間違いなく真理のはずです。


なのに、真理は一つではないという言い方で、そういう誰にとっても真理であるはずのことまでも、うやむやにしてしまおうという雰囲気があるのが、なんともいやらしいと思います。


アウグスティヌスからトマスやドゥンス・スコトゥスに目を転じた場合に、一番目をひく変化は、独立した能力としての意志の構造がはらむ問題性についてトマスとスコトゥスが関心を抱いていないという点である。」


「(略)アウグスティヌスのいう三つの精神的能力_記憶、知性、意志_のうちの一つ、すなわち記憶が欠落させられているのだが、記憶とはそもそもきわめてローマ的なものであって、人間を過去に縛り付けるものであった。」