読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

精神の生活 下

「つまり、「前の世代が労苦に満ちた仕事をするのは後に続く世代のためだけであるように思え、最後の世代だけが[完成した]建築物に住む幸運にありつける、ということは常に我々を当惑させる」とカントは述べた。」

「この自由な思弁の究極目標は「たんに自我が一切であることだけでなく、また逆に一切が自我であること…を示す」ことであった。

パスカルの人格化された人類という概念の中では限定的にあらわれたことが、今や信じられない規模に広がり始めた。」

「そしてハイデガーは「思考とは何か」の中でこの箇所を引用し、直接こう付け加えた。「形而上学的思考では古来存在のものだとしてきた述語が、最終最高の…最も完全な形式において意志の働きの中にあるとシュリングは見出した。」


「謝った「意見、すなわち、人間の意志が<意志への意志>の起源であるということが[容易に]出てくるが、ところが反対に、人間はそうした意志作用の本質を経験することなしに<意志への意志>によって意志されている」のである。」


ハイデガーはこの言葉で、近代の主体主義ともまた現象学的分析とも_その主な目的は常に意識に与えられた「現象を救う」ことにあった_断固として対立したのであった。」


「[ドイツ哲学は、とニーチェは言う]これまであった郷愁の…もっとも徹底した形式である。すなわちかつて存在した最良のものを追い求めるのである。もはやどこにも心を落ち着ける故郷を持たないので、ついには、そこでだけ心落ち着く場所を求めてさかのぼろうとする。それがギリシア世界なのだ!

しかしまさにそこに至るあらゆる架け橋は、概念の虹の架け橋を除いて、絶たれている…もちろん、この橋を渡るためには、人はきわめて軽快で、きわめて鋭敏で、きわめて細身でなければならない!(略)」


「私は「概念の虹の架け橋」を渡ろうとしなかった。それはおそらく私がそれほど郷愁をもっていなかったからである。いずれにしても私は、現象の世界から退きこもる能力を備えた人間精神にとって、過去の世界にせよ、未来の世界にせよ、落ち着ける心地よい世界があるとは信じていないからである。」


〇「ドイツ観念論と概念の虹の架け橋」終わり