東洋的な見方
「<東西雑感 1959年> 剣道に禅が大いに関係するなどというと、西洋人は一体どういうわけか、禅は一種の宗教ではないか、剣は何といっても人を殺すもの、この両者に何の関係があるべきか、禅は人殺しに何の役に立つのかと、大いにいきり立って、つめよるのである。
ことに剣は、自分を忘れ、敵を忘れ、殺すの、生かすのというような分別も何もないところから、発足しなくてhならぬなどというと、当地の人たちは、けげんな顔つきするのが普通である。(略)
ところが、実際の上では、自分のことを考えていると、そこにそれだけの隙が出てくる。ちょっとの隙でも隙が出れば、そこに相手の剣を招くことになる。」
〇ここを読んで思い出したのは、新約聖書マタイ10章39
「自分の命を得ようとする者は、それを失い、わたしのために命を失う者は、かえってそれを得るのである。」
です。
「西洋に科学の発達した原因は、主として人間を客観的に見て、いわゆる人情をその間に挟まぬところから来るのではないか。
自然にも人情を持たせようとする東洋人に、法律的思惟が欠けているのは、まさに然るべき次第だ。なにも法律だとか、議論がどうだとかいわないで、それはそれとして、融通をつけておいてもよいではないかという東洋的性情に面白みがあると、わしら東洋人は考える。」
〇こういう言葉を聞くと、この人の話はもう聞く気がしなくなる…という気持ちになります。