読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

日本はなぜ敗れるのか _敗因21か条

「従って日本軍には、「フィリピン人」は存在しなかった。そしてそこにいるのは、「日本人へと矯正しなければならぬ、不満足なる日本人」一言で言えば「劣れる亜日本人」だったのである。」


「それならば相手は別の文化圏に住む者と割り切って、何とかそれと対等の立場で「話し合う」という方向に向くべきだが、自己の文化を再把握していないから、それもできない。


そこで自分と同じ生き方・考え方をしないといって、ただ怒り、軽蔑し、裏切られたといった感情だけをもつ。フィリピンにおける多くの悲劇の基本にあったものは、これである。」


「そしてそれは、まず一方的な思い込みからはじまった。その点、緒戦当時の日本軍の行き方は、一種異様といえる点があり、「自分は東亜解放の盟主だから、相手は双手をあげて自分を歓迎してくれて、あらゆる便宜をはかり、全面的に協力してくれるにきまっている」と思い込んでいる一面があった。


そしてそう思い込むことを相互理解・親善と考え、そしてこの思い込みが、後に「裏切られた」といった憎悪にかわり、「憎さ百倍」といった感じにすらなっていった。」


「これならいっそのこと、全く兵力を残置せず、治安・警備等は一切フィリピンにまかし、全く無干渉で、相手の責任で自治をさせた方が、むしろよい。(略)

というのは、ゲリラが発生すれば、ヴェトナムの場合のように、五十万の米軍を投入しても、これを掃討することは不可能だからである。まして、それよりはるかに広い島嶼群に、三万の兵力を残置して何になるであろう。


だが、奇妙な処置はそれだけではない。日本に降伏して武装を解除されかつ収容されたフィリピン軍捕虜は、ルソン島だけで十五万五千人いたが、これはバターン戦直後、コレヒドール陥落前の十七年四月にほぼ全員が釈放され、残された一部の幹部も、十八年十月十四日、いわゆる比島独立を機に全員が釈放された。(略)

一体、戦争の真最中に、その捕虜を無条件で全員釈放してしまうといった例が、果たして外国にあったであろうか。この奇妙な処置の前提になっていたものが、日本はアジアの解放者なのだから、彼らは日本に協力してくれるにきまっているという、何とも不思議な一方的”思い込み”なのである。」