読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

サピエンス全史 上 <平和か戦争か?>

「最後に、狩猟採集民社会における戦いの役割という、厄介な疑問がある。古代の狩猟採集社会は平和な楽園だと思い、戦争や暴力は農業革命に伴って、すなわち、人々が私有財産を蓄え始めた時に、初めて現れたと主張する学者がいる。


一方、古代の狩猟採集民の世界は並外れて残忍で暴力的だったと断言する学者もいる。だが、どちらの考え方も空中楼閣にすぎず、乏しい考古学的遺物と、現代の狩猟採集民の人類学的観察というか細い糸でかろうじて大地につなぎ止められているだけだ。」



「化石化した人骨も、やはり解釈が難しい。骨折は戦いでの負傷を示唆しているかもしれないが、事故の可能性もある。逆に、古代の骨格に骨折や切り傷がなくても、柔組織への外傷で死にいたることもあるからだ。


なおさら重要なのだが、産業化以前の闘いでは、死者の九割以上が武器ではなく飢えや寒さ、病気で命を落した。次のような筋書きを想像してほしい。三万年前、ある部族が近隣の部族を打ち負かして、狩猟採集場所として垂涎の的だった土地から追い出した。その決戦の時、負けた側の部族の成員が10人死んだ。翌年、その部族では飢えと寒さと病気のせいでさらに100人が死んだ。


110体の骨格を見つけた考古学者は、大半の古代人が何らかの自然災害で命を落したと、あっさり結論するかもしれない。彼らが全員、無慈悲な戦争の犠牲者だったかどうかは、知りようがないではないか。」


「農業革命直前の時代の400体の骨格がポルトガルで調査された。明らかに暴力を加えられたことが分かる骨格は2体しかなかった。


イスラエルで同時代の骨格400体を対象とした同様の調査では、人間による暴力が原因かもしれない、ひびが一本だけ入った頭蓋骨が一つだけ見つかるにとどまった。


ドナウ川流域の農耕以前の様々な遺跡で出土した400体の骨格を調べた別の調査では、18体の骨格で暴力の証拠が見つかった。(略)もし18人全員が現に暴力によって死んだとしたら、古代ドナウ川流域での死の約4.5パーセントが人間の暴力に起因することになる。


今日、戦争と犯罪を合わせても、暴力による死の割合の世界平均は1.5パーセントにしかならない。二十世紀には、人間の死のうち、人間による暴力が原因のものはわずか5パーセントだった_歴史上、最も血なまぐさい戦争と、最も大規模な組織的大量虐殺が行われた世紀であるというのに。


もしこの発見が典型的だとすれば、古代ドナウ川流域は20世紀と同じぐらい暴力に満ちていたことになる。」


スーダンジェベル・サハバでは、一万二千年まえの墓地が発見され59体の骨格が見つかった。その四割に当たる24体は、鏃や槍の穂先が突き刺さっていたり、そばに落ちていたりした。


ある女性の骨格には、12か所の傷があった。バイエルンのオフネット洞窟では、考古学者は38人の狩猟採集民の遺骨を発見した。ほとんどが女性と子供で、二つの墓穴に放り込まれていた。

子供と赤ん坊のものも含め、これらの骨格の半数には、棍棒やナイフのような人間の武器による損傷の明らかな痕跡があった。


数少ない成人男性の骨格には、最もひどい暴力の跡が見られた。おそらく、狩猟採集集団がオフネットでまるごと一つ虐殺されたのだろう。(略)



狩猟採集民が多種多様な宗教と社会構造を示したのと同じで、おそらく彼らの見せる暴力の度合いも様々だったのだろう。平和や平穏を享受した場所や時期もあれば、残忍な争いで引き裂かれた場所や時期もあったのだ。」