読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

朽助のいる谷間

〇 井伏鱒二著 「朽助のいる谷間」を読みました。

井伏鱒二は、今回初めて読みました。

名前はもちろん知っていたのですが、有名な「山椒魚」も読んだことがありませんでした。

 

井伏鱒二の名前を知ったのは、太宰治に関連する文章を読んで、だったと思います。太宰が師事していた、と聞きました。

 

今回初めて読んで、何故太宰が師事したのか、少しわかったような

気がしました。

軽い空気、生真面目な精神、説教臭さがない深み、そしてこれは、

私の汲み取り方に問題があるのかもしれませんが、日本人の作家には珍しく、

主張というか、メッセージが感じられる内容で、いいなぁと思いました。

 

印象に残った所を少しメモします。

 

「タエトは杏の実を拾い集めた。彼女は片手に四個以上を握ることが出来なかったので、上着の前をまくり上げて、それをエプロンの代用にして果実を入れた。そしてそういう姿体のままで私のところにやって来て、完全な日本語でもって、去年はこの果実を洗わないで食べたことを私に告げた。

 

 

私はなるべくながく彼女と一しょにいたいため、彼女のエプロンから杏の実をもらって、一口ずつゆっくり齧った。すでに朽助は牛を連れて山へ出かけていたのである。

 

 

タエトは私の傍に黙って立っていた。若し私が好色家であるならば、彼女のまくれた上衣のところに興味を持ったであろうが、私は元来そういうものではなかったので、杏を食べることに熱中している様子を装った。しかし、あらゆる好色家に敗けない熱心さでもって、私は彼女に次のように言った。

 

「君も食べたまえ。よく熟したのがうまいぜ。これは酸っぱそうだが、これはうまいぜ」」

 

〇 なんともいえない可笑しみがあって、ニコニコしてしまいます。

 

「「ひよ鳥と百舌鳥と、どちらがうまいと思いなさる?それは百舌鳥の方がうまいですがな。いっそ山鳥を食ったる時の方が、まだうまかろう。それというのが山鳥の方が同じ一ぴきでも目方がありますがな。

 

 

山鳥の次が百舌鳥で、百舌鳥の次がひよ鳥という順になるじゃろ。したれども、このしぐれ谷は変わってしぐれ池になってしまいますがな。池のまわりが二里半あったればとて、鴨や鷺は、高い空をとんでいきますれば、ここに吾が脚の真下に池があることは知らずに行ってしまいましょうがな。

 

 

池の鯉を釣ろうとしたればとて、鯉は二十年もたたなんだら二尺にもなれんでがす。私らも、もう二十年生きて、二尺の鯉を見たりましょう。雨降りの前の夕方、池の水から二尺の鯉がぽんと跳ねあがるのは、ああ何たる光景だりましょう!(略)

 

 

私は彼に対して、わざと大きな鼾をかいてみせた。そこで彼も話しつづけることを断念して、私の贋の鼾よりも更に大きな鼾をかいて眠りはじめた。(略)」

 

 

 

「(略)そこまで話してくると、彼は急に言葉を切って、深い嘆息をもらした。おそらく彼はタエトの生いたちに考え及んで、そして悲歎にくれはじめたのであろう。暫くして彼は言った。

「なんたる咎だりますか!」

そして突然はげしい涙の発作にかられたのである。夜更けの部屋で老人の嗚咽するのを聞くことは、それを聞く人の心を感傷的にさせるものである。私の目からも多少の涙の点滴であった。

 

 

けれど私は老人の悲歎をいかにして救っていいかを考えつくことができなかったので、再び贋の鼾をかきはじめてみた。すると相手も直ちに嗚咽することを止して、大きな鼾をかいて眠りはじめたのである。(略)」

 

 

「「タエトの手相は、実にいい手相だよ」

以上の情景は、朽助の心を安堵させたらしかった。彼はうまく私の計略に乗ったばかりでなく、彼の両手を私の方にさし出して、彼自身の手相をも見てくれないかと私に申し込んだ。私は彼の右の掌を仔細らしく眺めていたが、

 

「素敵だ!とてもいい手相だ」

そして、やはり彼の掌を眺めたまま、彼の今後の日常を勇気づけるために、次のようなことまで言ったのである。

 

 

「この手相の人は、若くして遠く海外に遊び、生家に居難し。されど五十歳前後となれば故郷に帰り、おのが業に就くべし。見受けるところ、この手相をもってすれば、富貴栄達は意の如くなる筈なれども、元来この人は、この類のものを求めざる人のようにして、みずから貧寒に甘んじ、孤独と純朴とを愛するの人なり。

 

 

申せば善良なる人なり。但し唯一の欠陥を指摘してみれば、実に頑迷固陋にして容易に自分の愚蒙をも非とせざる場合あり」

朽助は感動と驚きの言葉とで、私の占いをさまたげた。

「ああはや、まるで当たっておりますがな!」

 

 

 

私は更に占いをつづけた。

「この人は齢三十四五歳にして妻を失い、以来おとこやもめを続ける人のようなり。子供は女子一人くらいあれども至って薄縁にして、離合集散はかりがたし。されど七十四五際に至れば、可憐なる孫娘なぞ来たり住まいて、幸せと長寿とを

完うするようなり。可憐なる孫娘と申すは、世にも稀なる天真の少女ならん。

常に祖先を敬い孝養に心をくだきて、瑞祥ここにみなぎれり。まことに羨ましき手相というべし」(略)」

 

 

 

「(略)

川しもの谷川で水の音がすっかり絶えると、朽助は耳鳴りがすると言い出して、しきりに彼の耳を引っぱった。二人の役人は、人夫達を連れて帰って行った。私や朽助は木立の下から現れて、堤防の上に出た。小さな立札があって、立札にはこの池の竣工祭は来月一日に挙行することが記してあった。

 

 

私達は立札の傍に腰を下ろして、互いに黙って池を眺めた。一羽の小鳥が池の水面をかすめて、おぼつかなげに飛びまわっていた。池はこの小鳥の住居を犯した化物をなのであろう。小鳥は水面にうつる自分の姿に向かって細く鋭い悲鳴をあげたり、幾度となくはげしい羽ばたきをしたりした。

 

 

そして再び水面から遠く離れたり、羽をおさめて水面近くをかすめたりした。タエトは熱心に水面を眺めていたが、この小鳥はいまに飛び疲れてしまうであろうけれど、何鳥という鳥かわからないと呟いた。私は、この小鳥は多分うぐいすであろうと答えた。

夕方が近づいた。しかし小鳥は飛びまわることを止さなかった。池の水面は錆びた銀色にかげりはじめて、小鳥は細い黒色の一線を水面に描いた。彼は自分の羽音のきこえるかぎり、その羽音に興奮して彼自身を冷静にすることができなかったのであろう。

 

 

 

朽助は言った。

「なんたるむごたらしいことをする池じゃろか!」

タエトは石ころを拾い集めていたが、彼女は可憐な声をはりあげて、

「ほうい、ほうい!」

と叫びながら、小鳥を狙って石ころを投げた。五つ目の石が小鳥の頭上をかすめた。小鳥は驚いて絶望的な羽ばたきをしてみせたが、急速な放物線を描いて山腹の茂みのなかに消えてしまった。

 

 

私はタエトの石投げをする姿体を好ましく眺めた。

朽助は足を半ば投げ出して、その脛の上に額をのせたが、彼は思いついたように嘆息をもらしはじめた。深く息を吸い込んで、一気に肩で押し出すというやりかたであった。どうやらその度ごとに彼は喉からひと思いにくったくした思想を棄てようとしているらしかった。そして吐きだした息と吸い込んだ息との語尾は、彼の五体の感傷にくすぐられて小刻みにふるえた。ところがそれは次第に老人のすすり泣きに変わっていったのである。

 

 

私は少なからず疲労を覚えていたので、いつまでも立ち上がりたくないと思った。

タエトは私達の立ち上がるのを忍耐強く待ちつづけて、そして滅多なことには朽助を堤防の上に置き去りにしないという意気込みを鳶色の瞳に現わしていたのである。」

 

 

〇この最後の「タエトは~現わしていたのである。」というのが、ラストの言葉です。

ここが、一番強く印象に残りました。

 

「なんたるむごたらしいことをする池じゃろか!」とむごたらしいことをするのは、池だと思うしかない老人。その物語を読みながら、結局、「しょうがない…」とあきらめの境地になってしまいます。

 

もう、そう思うしかないDNAが私の身体の中にも刻まれてしまっているかのようです。

 

でも、そんな中で、滅多なことには朽助を置き去りにしないという意気込みを見せる孫娘…。そんなラストシーンがすごくいいと思いました。

 

そして、そういえば、この感じ、前にも味わったことがあるような…と思って思い出したのが、町田康の初期の頃の小説です。

夫婦茶碗だったか、河原のアパラだったか、忘れましたが、たった一行で、

一筋の光が差し込むような「救い」のようなものを醸し出していました。

 

井伏鱒二、今まで全然読まずにいてもったいなかったと思いました。

ちなみに「山椒魚」も読んだのですが、まるでひきこもりの人の心境を描いた

物語のようでした。そして、この物語のラストシーンにも、一筋の光が射しました。いい!と思いました。