読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

私は女性にしか期待しない

「企業としきたり
日本の企業はイエです。イエを支えるのはしきたりです。ですから企業は、しきたりから離れることができません。
しきたりでは、イエには「家父長」といわれる男がいて、あとのものにはイエの中の年功からきまった、位の順番があります。



順番がはっきり目に見えるのは儀式です。結婚式や葬式でやかましくいうのは、座る席の順番です。「家父長」が上席に座って、あとは年功の序列でならびます。女は末席です。
夫の葬式でも、男の子がいたら、その子が喪主になって、妻はなれません。


儀式はイエの「えらい順番」をみせるショーです。ショーを荘厳に演出するために、神職や僧侶がいなければなりません。
イエの安泰をみせるために、儀式はなくてならないものです。企業は会社が繁栄し、秩序がたもたれていることを、まわりの人にみせるために、事あるごとに儀式をやります。


地鎮祭、落成式、創業何周年祝賀式、受賞記念祝賀式、社長就任式、社員表彰式など。
経済学者の堀江保蔵さんは、「日本的経営私見」という題でお話をなさった中で、いろいろの企業の家風を紹介されました。


ある企業では、高野山に会社の墓をつくっていて、写真が死んだとき、そこへ分骨することになっているそうです。また別の企業では、創業者の墓に、元日と命日とに、幹部社員が全国から集まってきておまいりをします。総勢六、七百人が日の出といっしょにおがむので、前日から大テントをはって、酒食の用意をしなければなりません。



お墓でなく、江戸時代の創業者の名をつけた稲荷大明神を屋上にまつって、月ごとにお参りをする企業もあるそうです。
こういう話をきくと、テクノロジーのトップをいく会社も、心は江戸時代のしきたりから離れていないのが、わかります。



おごそかな儀式には、集団催眠術みたいな力があります。自分が意識しないで、しきたりのルールを実行してしまうのです。


理性では、ばかげていると思う人でも、しきたりに意識して反対するのは、容易なことでありません。イエの他のメンバーの目が気になるからです。



儀式のあとには宴会があります。これもムラから引き継いだしきたりです。宴会の席にも座る順番がきまっています。女はお酌です。酔っぱらって席が乱れると、平の社員も部長の前にいって、盃を頂戴し、日頃言えなかったことをいいます。それによって、同じ身内だという気持ちを強めます。BGMがカラオケです。」



〇 以前、山本七平著「日本資本主義の精神」を読んだ時に、日本人は、以前は我がムラに対して抱いていた心の拠り所を、企業に見出し、精神的な支えとした。だから、一生懸命に働くことが生き甲斐になった、とありました。(記憶力が悪いので、違っているかも知れません)

だからこそ、命がけで働き、むしろ働くことを喜びにしていた。でも、今や、企業を心の支えにしている人などいない。人々は、その空白を何で埋めようとしているのか、と思った記憶があります。