読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

日本はなぜ敗れるのか _敗因21か条

「ルソンの日本軍は殆ど餓死であり、しかも米軍は六月二十八日に、比島戦の打ち切りを宣言している。あとはなずずべもない日本軍の残存部隊は、ただ、現地住民を苦しめつつ自らも餓死していくわけである。


一体全体、なぜそれを放置しておきながら、一方において、全く効果のない出撃すなわち斬り込みだけを反復していたのか_この表現を借りれば「嗚呼、山下の心頭は実に乱れたり」というところであろう。しかし、おそらく両者とも、いわゆる”神風”すなわちどこかで「僥倖を万一に期望し」て「その挙動の拙劣?怯」なる結果になったのだと思う。」

 

「一言でいえば西郷のような、世の中のことが良くわかっているはずの偉大な人物が、しかも維新を自らなしとげたはずの人物が、一体全体、なぜこのような奇妙なことをし、しかも、最後に至るまであのようにわけのわからない行動をしたのか、だれにも理解できないと言う事なのである。」


「そして、西南戦争というものへの徹底的な解明を基にした、自己の民族性についての、きびしい反省があったなら、おそらく、太平洋戦争の愚は避け得たであろう_「それでは、西南戦争の西郷と同じことになってしまう」という言葉で。」

 

「では一体「反省」とは何なのか。反省しておりますとは、何やら儀式をすることではあるまい。それは、過去の事実をそのままに現在の人間に見せることであり、それで十分のはずである。」


〇「飢えの中で友軍の肉を食った」ということさえ、特別恥ずかしいことではないと思います。人間はもともとそのような「動物」なんだと思います。
なんでもあり、の動物が人間なんでしょう。
ただ、文化の力で、そうならないシステムを作り上げているのが、人間で、その文化の程度が「まだまだ」だったのだと思います。

恥ずかしいのは、そんなことがなかったかのようにふるまい、事実をねじまげ、嘘で固めてしまうことだと思います。

その事実をなかった事にするということは、何も考えず、また同じことを繰り返す、ということです。

反省力がない、ということは恥ずかしいことだと思います。

 

 

『生物学    生物学を知らぬ人間程みじめなものはない。軍閥は生物学を知らない為、国民に無理を強い東洋の諸民族から締め出しを食ってしまったのだ。人間は生物である以上、どうしてもその制約を受け、人間だけが独立して特別な事をすることは出来ないのだ。』

〇「精神の生活の中で、ハンナ・アーレントが繰り返し、「真理は強制する」と
言いました。

せめて、その「強制」を受け入れる真っ当さだけでも、あったらと今も思います。


『日本人は命を粗末にする(一部)   日本は余り人命を粗末にするので、終いには上の命令を聞いたら命はないと兵隊が気付いてしまった。生物本能を無視した狩り方は永続するものでない。特攻隊員の中には早く乗機が空襲で破壊されればよいと、密かに願う者も多かった。』


「最初に記したように、私が、本書を読んで「三十年ぶりに本ものの記録にめぐりあった」と感じた一番大きな点は、氏が人間を「生物」と捉えている点である。(略)


氏は、ある状態に陥った人間は、その考え方も生き方も行動の仕方も全く違ってしまう事、そしてそれは人間が生物である限り当然なことであり、従って「人道的」といえることがあるなら、それは、人間をそういう状態に陥れないことであっても、そういう状態に陥った人間を非難罵倒することではない、ということを自明とされていたからである。」


「氏は、戦乱飢餓に苦しみ続けた中国人が、なぜ人間性悪説を考えたかを、次のように記している。


人間性悪説    平地で生活していた頃は、人間性悪説等を聞いてもアマノジャク式の説と思っていた。ところが山の生活で各人が生きる為には性格も一変して他人の事等一切かまわず、戦友も殺しその肉まで食べると言う様なところまで見せつけられた。

そして殺人、強盗等あらゆる非人間的な行為を平気でやる様になり良心の呵責さえないようになった。こんな現実を見るにつけ聞くにつけ、人間必ずしも性善にあらずという感を深めた。戦争も勝ち戦や、短期戦なら訓練された精兵が戦うので人間の弱点を余り暴露せずに済んだが、負け戦となり困難な生活が続けばどうしても人間本来の性格を出すようになるものか。

支那の如く戦乱飢饉等に常に悩まされている国こそ性悪説が生まれたのだということが理解できる。』


(略)

人間とは生物である。そしてあらゆる生物は自己の生存のために、それぞれが置かれた環境において、その生存をかけて力いっぱい活動して生きている。人間とてその例外であり得ない。平和は、自分たち人間だけは例外であるかのような錯覚を抱かす。しかしそれは錯覚にすぎない。

もちろんその錯覚を支えるため、あらゆる虚構の”理論”が組み立てられ、人々はその空中楼閣を事実だと信じている。しかしその虚構は「飢餓」という、人間が生物にすぎないことを意識させる一撃で一瞬のうちに消えてしまう。」

 

 

「氏は、昨日まで立派な紳士と見えたものが、「山の生活」という極限状態で、どう変わってしまうかを見た。それは言いかえれば、いま日本軍を批判していた者が、赤軍派の「虐殺の森」のような、日本軍以上の残虐さを現出するのを見るのと同じことである。

人はなぜそうなるのか。」


社会主義とか資本主義とか、体制とか反体制とか、さまざまな理論とか主張とか_しかし、人々は忘れている。人間という生物の社会機構の基本とは、実は食物を各人に配給する機構だという事実を。(略)


しかし、つまるところは、人の口に食物をとどけることが、社会機構の基本であって、これが逆転して機構のため食物が途絶すれば、その機構は一瞬で崩壊する_資本主義体制であれ、社会主義体制であれ、また日本軍の”鉄の軍紀”であれ…。」


「私のいたのは、人跡未踏、絶対に人が住めず、その生活環境では「三か月以上の生存はおそらく不可能」と言われた場所である。(略)

それは、裸でエスキモーの氷の村に放り出されたに等しい状態といえよう。」


「「座して餓死を待つ」という言葉があるが、人はこういう時絶対に「座して」いない。全く理由もなく、理由もない方向へ、ふらふらと歩きだし、ふらふらと歩き続けて、行き倒れになる。おそらく採集経済時代の「生への希求の基本方式」すなわち「食の採集」がそのままに出てきて、「座して」いられなくなるであろう。(略)

従ってそれはもう、本能としか言いようがない。」


『栄養失調     山の生活で、糧秣は欠乏し、過労、長雨、食塩不足、栄養不良、それに加えて脚気、下痢、アミーバ赤痢マラリヤ等により、体力が消耗しつくし、何を食べても一向回復せず、いや養分を吸収する力が無くなり、というより八十才位の老人の如く機能が低下している。

いわゆる栄養失調患者が相当数このストッケードにもいる。所内をカゲロウの如く、フラフラと歩きまわっている様は悲惨なものだった。(略)


常にガツガツしている様は、餓鬼そのものだ。自制心の余程強い人は良いが、そうでない人は同情を強要し、食物は優先的に食べるものと一人決めしているのが多い。


軍医氏の話によれば、「栄養失調者は、身体の総ての細胞が老化するので、いくら食べても回復しない。それに脳細胞も老化しているので、非常識なことを平気でやるのも無理はない」という。なるほどと思われる解説だ。(略)

いずれにせよ、この栄養失調者の群れは、同情されぬ人が多かった。』


「「とんでもない、西アフリカやビアフラの写真を見れば、飢えの恐ろしさはわかります」という人がいるかもしれないが、それが私のいう「わからない」の証拠にすぎない。


人はそれらの写真を見て「恐ろしい」「かわいそう」といった感情をもつであろう。だがそれはその人が飢えていないという証拠にすぎない。同じように飢えれば、そういう感情はいっさいなくなる。そして本当に恐ろしい点は、この「なくなる」ということなのである。

小松さんは末尾にはっきりと記している。「いずれにせよ、この栄養失調者の群れは、同情されぬ人が多かった」と。(略)


飢えが、自分に関係ない遠い異境のことだと思える間は、そして写真等でそれを眺めるにすぎない間は、人は同情する。しかし、この小松氏の絵に対してすら、人々はそれほどの同情を感じまい。たとえそれが同じ日本人であっても_。そのはずであって、それが自然なのである。」


「これはまことに奇妙で、空想的というより妄想的、支離滅裂的発想である。(略)言っていることは結局、現代の資本主義的生産物の恩恵だけは十分に供与されながら、自然的環境の中で生活したい、簡単にいえば、自然的環境の中で冷暖房付きの家に住み、十分な食料と衣料がほしい、ということにすぎない。


だがそれは、最も不自然な生活だから、それを自然と誤解しているいまの日本人が本当に自然状態に帰らざるを得なくなったら、おそらく全人口の七割ぐらいは、生存競争に敗れて死滅してしまうであろう。


自然には、人間を保護する義務はない_ということは、自然状態にかえった人間も、ほかの人間を保護しないということである。」


『人を殺して平気でいられる場合    ストッケードで親しい交際をしていた人の内に最高学府を出た本当に文化人的な人がいた。この人はミンダナオ島で戦い、山では糧秣が全くなかったので友軍同志の殺し合いをやったという。


ある日友人達を殺しに来た友軍の兵の機先を制して至近距離で射殺したことがあると話してくれた。そしてその行為に対しては少しも後悔も良心の呵責もないと言い切っていた。

それはその友軍兵を自分が先にやらねば必ず自分が殺されているから、自己防衛上当然やむを得ない事だと言った。』

 

「中国軍がまだ延安にいたころ、先ず農地を整備して「食」を確保した。彼らは、それが基礎であることを知っていた。これは米比軍も同じで、米軍の再来まで頑張り続けた彼らは、まず山中のジャングル内に「隠田」ならぬ「隠畑」を、焼畑農耕の方法をつかってつくりあげ、それで「食」を確保してから、ゲリラ戦を展開した。


これがない限り、日本軍が呼号した長期持久も遊撃戦も、実行不能なスローガンにすぎないのである。


本当に、人間が生物であるという認識に立っていたら、これらの準備は日本軍にもできたことっであった。日本が単に「物量で敗れた」のでないことは、この一事でも明らかであろう。


そして皮肉なことに小松氏たちは、かつての米比軍ゲリラの根拠地に入って、そこで「人工」に接してはじめて「希望」を見出し、これを「希望盆地」と名づけるのである。

この例は、実は、比島戦に意外なほど多い。」


『食料あと一週間分となる(末尾)    (略)ジャングルの中に入ると良い道があった。しばらく行くと大きな家がある。最近まで米軍が居た跡だ。無電装置がしてあり、アンテナが張られていた。この道は敵に通ずる危ない道ではあるが、近くに畑があることが予想され気分が明るくなった。


米軍の永久抗戦の用意の良さに感心した。日本のそれは口だけであるのに反して。二時ごろ幕営す。この川にはドンコ(魚)がいる。釣り道具を出し久々に新鮮な魚を食べる。』

〇ただ、読んでいたこちらの気持ちまで明るくなり、涙が浮かびました。


「人という「生物」がいる。それは絶対に強い生物ではない。あらゆる生物が、環境の激変で死滅するように、人間という生物も、ちょっとした変化であるいは死に、あるいは狂い出し、飢えれば「ともぐい」をはじめる。そして、「人間この弱き者」を常に自覚し、自らをその環境に落とさないため不断の努力をしつづける者だけが、人間として存在しうるのである。

日本軍はそれを無視した。そして、いまの多くの人と同じように、人間は、どんな環境においても同じように人間であって、「忠勇無双の兵士」でありゆると考えていた。そのことが結局「生物本能を無視したやり方」になり、氏は、そういう方法が永続しないことを知っていた。」


〇私は今の子供たちが心配です。私の子供(30代後半)もゲームばかりして、
あまり仲間遊びをしませんでした。少年野球のような、大人の下での仲間活動はしていましたが、自分たちで仲間を作って遊ぶということは、びっくりするほど少なくて、どうなっているんだろう?と思いました。

でも、その子が家庭を持ち、育てている子供(小学生)は更に小さなころから
ゲームに夢中で、頭の中がゲームでいっぱいのように見えます。

人間も、多分「野生動物の猿のように過ごす時期」が必要なのではないか、と思います。野生の感覚を小さなころだけでも、体験しなければ、本当に「現実をしっかりと考えられる人間には、なれないのではないかと思うのですが。

心配性なので、心配のしすぎでしょうか。

 

 

「敗因 一六 思想的に徹底したものがなかった事
 敗因 五  精神的に弱かった(一枚看板の大和魂も戦い不利となるとさっぱり威    
       力なし)
 敗因 七  基礎科学の研究をしなかった事
 敗因 六  日本の学問は実用化せず、米国の学問は実用化する


 以上の四項目は、相互に関連がある。徹底的に考え抜くことをしない思想的不徹底さは精神的な弱さとなり、同時に、思考の基礎を検討せずにあいまいにしておくことになり、その結果、基盤なき妄想があらゆる面で「思想」の如くに振舞う結果にもなった。


それは、さまざまな面で基礎なき空中楼閣を作り出し、その空中楼閣を事実と信ずることは、基礎科学への無関心を招来するという悪循環になった。


そのためその学問は、日本という現実に即して実用化することができず、一見実用化されているように見えるものも、基礎から体系的に積み上げた成果でないため、ちょっとした障害でスクラップと化した。」

〇この「空中楼閣を作り出し」というのが、問題だと思います。
あの「東洋的な見方」の中でも、鈴木氏は、「そんなキチキチ突き詰めて考えるより、大雑把にゆったりとしている方が、人間として面白い」(←言葉は正確ではありません)的なことを言ってました。

趣があるとか味わいがある、という言い方で「波乱万丈」さを面白がるところがあると思うのですが、あえてそちらの傾向を求めると、「みんなで平和な安定した社会で暮らしたい」なんて考え方は、女子供の安っぽい人生だ、となって、男一匹関わっておられようか、みたいになります。

侍の腹切りの潔さを素晴らしいとする「空中楼閣」がかなり強烈に私たちの思考の中に入り込んでいるような気がします。

だから、粘り強く根気強く、一歩一歩、建設的に何かを積み上げる、というのが出来ないのではないかと。


「べビューホテルの生活    昭和十九年四月二十九日、天長節の休日を利用してパサイのルビオスアパートの高等官連中がベビューホテルに移転することになった。自分は経理監督部の司政官石村重蔵氏と七階の七五五号室に住むことになった。(略)


ベビューホテルは高等官だけのホテルだが、その住人はほとんど「打つ買う飲む」が専門だった。(略)日本人の知識階級の集まっているこのホテルの品性は余り上等とは言えぬ。(略)


「一億一心」と内地では酒もなく、先祖伝来の老舗を棒に振って工場に徴用されている時マニラだけが、こんなデタラメな生活をしていてよいのか?それより日本人の品性が情けなくなった。

日本人は教育はあるが、教養がないと或る米人が批評したというが本当だ。(略)」

 

「”思想的”な人の行動が、豊富な知識と高度の学歴をもつ人の集団が、自らの思想で自らを律することのできぬ、まことに「非生産的」な、奇言奇行家集団すなわち「変人会」となってしまったことを示している。

これは太平洋戦争中に多くの知識人が陥った自棄的な精神状態であり、現代にも通ずる問題である。


こうなってしまうと、各人は自己の一定の方針を持ちえず、その時々の状況に流され、無方針で場当たり、前後への思慮を失って誘惑に負ける。同時にその事後処理においても無責任、しかも他への批判だけは一人前だという状態にもなる。

以下の記述はこの問題の表われを示している。

 

『日本人と現地人の混血児     (略)比島人は米人、スペイン、支那人等、自分たちより勝れた者と混血することを喜び、混血児はミステーサァー、ミステーソー等といって一般比人の上位に位していた。(略)


その結果は彼女らの生活は少しも保証されず、感情は悪くなる一方であり、生まれた子供達は何の教育もされず貧民窟を彷徨う人種となるのが落ちだ。あれは日本人の種だと言われて恥ずかしくない者が何人出来るか?(略)』


この問題は、実は、戦後三十年たった現在でもまだ未解決で、尾をひいている問題である。」

 

『鈴木参謀と語る   (略)「ドイツの敗因は」と問えば「世界の大国を一時に三カ国も相手にして戦えばどんな強力な国でも勝てぬ」

「日本軍の欠陥は」 「最高人事行政も兵器行政もなっていない。兵器部長等という重職に兵器に何の知識も達見もない者をすえ、一種の閑職とさえしていた。万事この調子だ」

「日本の兵器の遅れているのは無理ないですね」「世界中の陸軍で銃剣術等に兵の訓練の主力を持ってゆき「銃剣何物をも制す」等という思想を持っているのは日本だけだ。(略)」


防衛大臣に稲田氏がなって、女性でそれほどまでに優秀なんだ、と見ていたら、
世界の人を相手に「私たちはきれいでかわいいですよね♪」みたいなことを言う人だった…。

日本にだって、間違いなく優秀で仕事の出来る女性がいるはずです。
でも、そのような人は抜擢されず、稲田氏のような人が重職に着く。

今の日本は、この頃と何も変わっていません。

 

「こういう例は、私も現地で見ている。そしてその中には、はじめから何のために来たのかわからないような人もいた。落選代議士やら退職高級官僚やらが「陸軍司政官」などという肩書きで、何もせず、高給をもらってただブラブラしていた。(略)


そしてこの「空中楼閣しかないから、それを隠すため威信だけは問題にする」という態度が、敗戦の最も大きな原因の一つであった_これも「思想(的)に徹底したものがなかった事」の一つの表れだが_。(略)」

 

天皇が避難した人々に声をかける時、床に膝をついて声をかけておられたことを評して、「天皇の威信を考慮してもっと天皇らしい態度を取った方が良い」などという意見を読んだことがあります。

「威信」を守るために、そう演じなければならない、という圧力を感じて、そういう振舞になるという面もあるのでは?と思いました。

 

国家主義から国際主義へ    今度の戦争を体験して、人間の本性というものを見極めたような気がした。色々考えて進めてゆく内に国家主義ではどうしても日本人が救われないという結論を得た。

そして我々は国際主義的高度な文化・道徳を持った人間になってゆかねばならんと思った。これが大東亜戦争によって得た唯一の収穫だと思っている。
(昭和二十一年十一月二十五日、カランバンにて)』


「氏は、「再軍備論者」の考えを、その考えが出てくる十年も二十年も前にはっきりと否定し、また最近になってはじめて問題とされている食糧問題、水の問題、農業問題にも、目を向けている。(略)

日本の悲劇は常に、この常識的な言葉に人が耳を傾けるまで三十年もかかると言う事である。


『日本再建    多くの将校や兵隊達は、日本が機会を得て再武装し再び戦って再興すると考えているようだ。原子科学時代にこの研究を許されない国民が、鉄の兵器でいくら武装しても何もならない。もう鉄の戦争は終わっている。


原子科学の時代だ。原子科学のないところに国際的な真の発言権はないのだ。もっとも原子科学の為に人類は滅びてしまうかもしれないが。

日本は何といっても国が狭いうえに人口か過剰だ。これをどうやって養っていくか。農業するにも土地も肥料もない、重軽工業の原料もない。これ等を打開する原子科学は禁じられている。

日本の前途は暗たんたるものだ。ある人は芸術と道徳に生きよと言っている。しかし、食のないところへ芸術も道徳も発達するわけがない。人口の整理(移民・産制をも含む)か、食料の合成があるだけだ。徳川三百年は産児制限によって保たれたとさえいうが、これからの日本にはこの問題が一番大きく響いてくるだろう。

食物の合成は今のところ、確たる具体案がないので残念だ。』

終戦直後の人々の考えがとてもよくわかる文章だと思いました。
産児制限が奨励され、原子力がもてはやされ、今や飽食の経済大国になりました。
よくやった、ということなのでしょうし、

ある意味、あのハラリ氏の「サピエンス全史」にあった、資本主義の「パイの拡大」の流れに乗ったため、とも言えると思います。

小松氏がいう、「国際主義」によってもたらされたものだと思います。
もう、再軍備し、戦い、再興する必要はありません。

でも、ここにきて、原子力の為に危機に陥り、少子化で「前途が暗たんたるもの」に
なっています。皮肉です。

『日本人が米人に比べて優れている点   永いストッケード生活を通じ、日本人の欠点ばかり目に付きだした。総力戦で負けても米人より何か優れている点はないかと考えてみた。面、体格、皆だめだ。ただ、計算能力、手先の器用さは優れていて彼らの遠く及ばないところだ。他には勘が良いこともあるが、これだけで戦争に勝つのは無理だろう。(略)


ただ技術の一断面をみると日本が優れていると思う事があるが、総体的にみれば彼らの方が優れている。日本人は、ただ一部の優秀に酔って日本の技術は世界一だと思い上がっていただけなのだ。小利口者は大局を見誤るの例そのままだ。』

 

「日本軍は、外面的組織ではすべてが合理的に構成されていて、その組織のどこに位置づけてよいかわからぬ存在は、原則として存在しない。組織は、それ自体として完結しており、少しも矛盾なき幾何学的図形のように明示できる。

各兵科別の指揮系統から各部(経理部・兵器部等)の指揮系統、さらに付属諸機関への指揮系統(簡単にいえば、慰安婦は部隊副官の指揮下)まで、完璧といってよい。そしてその頂点が天皇であり、完全なピラミッド型になっている。」


「たとえば、ブタノールをつくるという面では、軍属である小松氏が、実質的に、軍司令官を指揮しても不思議ではない。これは、指揮系統の中にいかにその知識と技術を合理的に組み込むかという問題であり、幾何学的な組織から見れば、そこには一種の位置づけの難しい非合理性が出てくるはずである。

これにいかに対処すべきかは、大きな問題のはずだが、陸軍には、この問題意識が全くなかった。
軍事評論家の秦郁彦氏によれば、このことは、ナチスドイツが最後まで婦人を動員しなかったこととともに、第二次大戦の一つの謎だそうである。
陸軍は最後まで、民間の知識も技術もその組織に合理的に組み入れて活用しようとせず、また、最後の最後まで知識人にも学生にも背を向けていた。

これは志願兵が続出して大学が空になり、一方軍は彼らの知識・教養を百パーセント活用したといわれる米英とは実に対蹠的だが、さらに、せっぱつまって学徒を動員してもその知識を活用しようとはせず、ただ「量」として、幾何学的組織の中に位置づけることしか考えなかったから不思議である。」


「一言でいえば、これが「ものまね」の結果である。一つのものを自ら創作した者は、自分で創作したのだから、また新たに創作しなおすことが出来る。否、そういう社会では、創作とは常に、今までのものを創作しなおすことにすぎない。いわば、自著だから改訂を続けることが出来るという状態である。

一方、「まね」をしたものは、こうはいかない。(略)

「本家よりきびしくしておけば大丈夫」という行き方であり、それは同時に、「本家よりきびしいのだから、自分の方が本物だ」という主張にもなる。(略)

日本軍のすべてが、日本人の実生活に根付いておらず、がんじがらめで、無理矢理に一つの体系を作っていたことである。そのため、すべての人間が、一言でいえば、「きゅうくつ」でたまらない状態に置かれていた。そしてこの「きゅうくつ」を規律と錯覚していたのである。」


「英国の将校は、知能・知識はもちろん、腕力の点ですら、兵よりまさることを要求されているという。いわば、この収容所の自然発生的「人間の階級」が階級であらねば、指揮など出来るはずはないという、きわめて常識的な発想に基づいているのである。」


『米兵と日本兵   米兵と日本兵の教育程度を比較してみると、日本兵の方がはるかに上だ。日本兵には自分の名の書けん者はいないが、米兵にはたくさんいて、字が書けてもたどたどしいのが多い。(略)


又、米兵に数学の問題、マッチの軸の考え物などさせると、なかなか解らずおもしろい。教育の程度は一般に低いが公衆道徳や教養は高いようだ。』


「文字が読めない教養人がいて少しも不思議ではない。だがしかし、そのことは、高度の学歴を持つ無教養人がいてこれまた少しも不思議ではない、ということではないはずである。

しかし日本でこのことが意識され出したのは、ここ二、三年の事ではないかと思う。われわれが、今までのべてきたような状態から脱しうるのは、おそらく、これからの課題であろう。」

 

「軍の計画はその意気を示すだけである」と言った人があったが、歩いてみて、つくづくそう思わざるを得ない事ばかりだ。前提条件を示しても、彼らが上官に報告する時はその前提は捨てている。


アルコールの生産、コメの増産、誠に結構な話ばかりだ。然し現在の困難な問題は捨てて下僚の責任とし、現実を忘れた机上計画を並べ立て、企業に権威ある人の出した事業の案を無視して、作戦の資料にしているに過ぎない。

今から思えば無根の戦果を宣伝し、われわれの仕事に対する判断を誤らしめている。

これは軍人そのものの性格ではない。日本陸軍を貫いている或る何かの力が軍人にこうした組織や行動をとらしめているのだ。」

 

「何故日本は戦争をしなければならなかったのだろうか。今ここにいる非戦闘員達は何が故にこうして逃げ延びなければならないのだろうか。閣下の名案のため非戦闘員の女までが犠牲にされてるのではないか。

厳しかった訓練は前の渡河の時どういう役に立ったのだ。平原で女子供に教え込んだ竹槍は目的なく逃げるために必要であったのか。一体何のために山の中へ遁入するのだ。

敵と斬り違えて死ぬ程闘う部隊は一つもいないで弱い者に威張って逃げ回るだけではないか。これでも未だ戦っている意味があるのだろうか。(略)

どうしてよいか自分にもわからないのが事実だ。子供の頃からの誤られた教育による意識が、本能的なものにまで食い入って、思考と行動との矛盾を解決できなくなってきているのではなかろうか。」

以上は「慮人日記」からの引用ではない。小松氏と非常によく似た境遇にあった国鉄の技師、小谷秀三氏の記述である。(略)

その著作が相互に読まれたことも全くないのに、その記述の中には不思議なぐらい、よく似た感想が記されている。(略)

そしてこのことには、二つの問題が提示されているであろう。

一つは、これらの潜在的意見_それがおそらく国民大多数の常識的意見だったわけだが_それがなぜ世論になりえなかったか、なぜそれが国の基本方針となり得なかったか、一言でいえば、なぜ常識が判断の基準になり得なかったか、ということ。


もう一つは、その事実がなぜ戦後に正確に知らされず、人々が戦前に対して普遍的な一つの虚像をもち、この虚像との対比において戦後を正当化するという、奇妙な状態に陥らざるを得なかったか、なぜ、戦前からの常識の延長線上にいると考え得なかったのかという問題である。」


〇今、安倍政権は「非常識な」やり方ばかりをしています。
にもかかわらず、なぜ今も安倍政権が続いているのか。

「なぜ常識が判断の基準になり得ないのか」

今も全く同じです。


「これは「敗因二十一カ条」の前文で小松氏が記している通り、「日本の敗因、それは初めから無理な戦いをしたからだと言えばそれにつきる」のであって、結局、問題の根本は、「なぜ、はじめから無理な戦いをする」結果になったか、という問題に戻って来る。」


「これは結局、すべてが歪曲されている、ということにほかならない。そしてこれを歪曲させているものが、小谷氏のいう「力」なのである。(略)


簡単にいえば、自分の実体を意識的に再把握していないから、「初めから無理な戦い」ができるわけである。」

 

「以上は簡単にいえば、終戦決定の報に接したときの軍司令官・参謀といった人々の「条件反射」的な態度である。いわば本心から(ということは通常性において)軍国主義でかたまり、軍人精神の権化で、神州不滅・尽忠報国で、敗戦ときいたらとたんに自殺しそうな言動をしていた人たちなのだが、この人たちが一瞬にしてがらりと変わった記録である。


第一、だれも驚かない、ということは心底では既定の事実だったわけである。

第二が、いまの秩序をそのまま維持し、責任を負うことなく特権だけは引き続き受けようという態度で、敗戦と言わず「我々は大命に拠り戦い、大命に依り戦いを終わるのだから軽はずみなことをするな」と訓示し、戦争および戦場における一切の責任を「大命」すなわち天皇に帰して、自己を免責にする。

第三がすぐ、私物の整理すなわち、自分のもっている物の確保で、そのためには、当然の義務である降伏に関する公務さえ放棄する。

第四が、その念頭にあるのは日本に帰った時の日常生活の事、「戦いの事はもうすっかり忘れたという態度で、東京にある家作の心配をしきりにしていた」というわけである。」

 

「私自身は、その人がどんな”思想”をもとうとその人の自由だと思うが、ただもし許されないことがあるなら、自己も信じない虚構を口にして、虚構の世界をつくりあげ、人々にそれを強制することであると思う。

簡単にいえば、日本の滅亡より自分の私物が心配なら軍人になるのをやめ、日本の運命より家作が心配なら、はっきりとそう言ってその言明にふさわしい行動をとればそれで十分だということである。


ただ明治以来、「ある力」に拘束され、これを「名言」しないことが当然視されてきた。いわば自分のもつ本当の基準は口にしてはならず、みな、心にもない虚構しか口にしない。

これは実に、戦前・戦後を通じている原則である。」


「戦後は「自由がありすぎる」などという。御冗談を!どこに自由と、それに基づく自由思考(フリーシンキング)と、それを多人数に行う自由な議論(フリー・トーキング)があるのか、それがないことは、一言でいえば、「日本にはまだ自由はない」ということであり、日本軍を貫いていたあの力が、未だにわれわれを拘束していると言う事である。」


〇 戦争中の話の苦しさと、今も戦前・戦後と全く同じ体質の私たち日本人の問題点を繰り返し指摘され、とても辛い内容でした。

でも、大勢の人々が読むべき本だと思いました。

これで、この本は終わりにします。