読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

昭和天皇の研究 その実像を探る

「二章  天皇の教師たち(Ⅰ) =倫理担当に杉浦重剛を起用した時代の意図

 

天皇の自己規定を形成した教師たち

 

人間の性格、ものの見方や考え方、さらに嗜好などがどのようにして決まるかは、今でも完全に解明されているわけではあるまい。たとえば天皇の趣味以上の趣味が生物学であることはよく知られているが、本職生物学者を除けば、生物学が趣味の人は珍しいというべきであろう。(略)

 

 

以上のように考えれば、天皇の生物学好きに決定的な影響を与えたのが、御学問所で博物を担当した服部博太郎博士であったことは間違いあるまい。二人がいかに気が合い、いかに嬉々として採集や観察にはげんだかは、さまざまな人の思い出にある。(略)

 

 

そこで当然に関心を持たざるを得なくなるのが、一章で記したような天皇の自己規定の形成において、生物学の服部広太郎博士のような影響を与えたのは誰で、その内容はどのようなものであったのかということである。

 

 

 

天皇は小学校は学習院で学ばれた。校長は乃木(希典)大将で、彼は殉死の直前に、山鹿素行江戸前期の儒学者)の「中朝事実」(日本の皇統を明らかにした歴史書)と三宅観瀾(江戸中期の儒学者)の「中興鑑言」(建武の新政の得失を論じた書)を、献上したという。(略)

 

 

 

ということは、旧制の中学・高校をこの御学問所で学ばれ、前述の服部広太郎博士もその教師陣の一人だった。

では、天皇の自己規定、および倫理的規範は、誰の影響によって形成されたのであろうか。言い換えれば、生物学における服部広太郎博士の役割を誰が演じたのであろうか。

 

 

それは、おそらく白鳥庫吉博士と杉浦重剛である。もっとも、この二人だけとは言い難いが、「倫理御進講草案」を残して、その跡をうかがわせるのは杉浦であり、自己の教育方針と一部の資料が明確なのが白鳥である。」

 

 

〇 天皇の「自己規定」の軌跡を辿りながら、私自身にとっての倫理的規範や私の子どもたちにとっての倫理的規範は、どんなものだったのか…と考えてしまいます。