読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

昭和天皇の研究 その実像を探る

「「普通倫理」と「帝王倫理」

 

重剛は「帝王倫理」と「普通倫理」は分けがたい点があるとしているが、その教育方針は、大体「普通倫理から帝王倫理」という行き方で、はじめは、ほとんどこれを分けることをしていない。「知仁勇=知情意」などは、両者に共通する基礎と見ている。当然といえば当然であろう。

 

「道徳には種々の項目あり。ことに王者として具備せらるべき徳も多々あるべしといえども、要は知仁勇の三徳に着眼して修養せらるること大切なり。即ち知を磨くには、まず能く諸種の学問を修め、古の教訓を味わい給うべし。

 

 

「中庸」にも学を好むは知に近し、と見えたり。かくの如くに学んで能く道を明らかにするときは、あたかも明鏡の物を照らすが如く、いかなる混雑にも迷わず、直ちに善悪正邪を判断することを得るに至るべし。

 

 

 

また仁は人を愛するの情なれば、単に一個人としてもこの情け無かるべからず。ことに幾千万の民の親として立たせらるる帝王には、下、民を愛隣せらるるの情をそなえさせらるること最も肝要なり。何となれば上に愛情なき時は、下これを慕うの念、また自ずから薄かるべきを以てなり。

 

 

現今の如く列国愛対峙して、競争激烈なる世にありては、種々困難なる問題の起こり来たるは、けだし免れざるの数なるべし。かかる際には十分勇気を鼓舞して、臆せず恐れず、これを処理し、これを断行せざるべからず。これすなわち勇なり。勇気を修養せんには、種々の方法もあるべけれど、「中庸」に恥を知るは勇に近しとあり。思うに能く恥を知りなば、その行為必ず公明正大にして、真正の勇者たるべし。

 

 

 

以上述べたる如く、支那にても西洋にても三徳を貴ぶこと一様なり。能くこれを修得せられたらんには、身を修め、人を治め、天下国家をも平らかならしむるを得べきものなれば、よろしくこの義を覚らせ給うべきなり」

 

以上が「第一 三種の神器」の本文であり、重剛はこれを「知仁勇=知情意」に変え、神秘的な要素は記していない。一言で言えば、化学者らしい「非神話化」で、重剛はこれを個人倫理の象徴に還元してしまったわけである。」