読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

昭和天皇の研究 その実像を探る

「早くから「敗戦」を予感していた天皇

 

この詔書の主意は、すでに述べたように「五箇条の御誓文」への「誓ヲ新ニシテ」であろうが、これをマスコミなどが「天皇人間宣言」と受け取った理由は、「天皇ヲ以テ現御神トシ」、それを基に「日本国民ヲ以テ他ノ民族ニ優越セル民族ニシテ」それなるが故に「世界ヲ支配スベキ運命ヲ有ストノ架空ナル観念」もまた厳然と存在し、そこに問題があったこともまた否定できないからである。

 

 

 

この観念は徳川時代朱子学から派生し、それが国学と集合し、さらに明治に西欧型の「貴族・軍人の長としての国王」という概念と結合するという”複雑な経過と相当に長い歴史”を経て形成されている。(略)

 

 

 

天皇自身にはその意思はなかったであろうが、「敗戦」の予感は戦争のはじまる前からあり、そのときどういう状態になるかは、全然予想していなかったわけでもないらしい。独ソが不可侵条約を結び、再び三国同盟熱が高まった昭和十五年八月三十一日に、天皇は次のように言われたと「西園寺公と政局」にある。

 

 

 

このときの首相は近衛(文麿)、外相は松岡(洋右)、独ソが不可侵条約を結んでいるのだから、この同盟は、日独ソ伊の四カ国の結束になり、アメリカを抑制できるはずというのが、内閣の見解であった。

 

 

閣議決定立憲君主天皇は当然に承認したが、内心では強い危惧を抱いていたらしく、次のように言われている。

「今回の日独軍事協定については、なるほどいろいろ考えて見ると、今日の場合已むを得まいと思う。アメリカに対して、もう打つ手がないというならば致し方あるまい。

 

 

しかしながら、万一アメリカと事を構える場合には海軍はどうだろうか。よく自分は、海軍大学の図上作戦では、いつも対米戦争は負けるのが常である、ということを聞いたが、大丈夫だろうか」

 

 

「自分は、この時局がまことに心配であるが、万一日本が敗戦国となった時に、一体どうだろうか。かくの如き場合が到来した時には、総理(近衛)も、自分と労苦を共にしてくれるだろうか」

 

 

 

このとき天皇が、内心どう考えていたかは明らかでないが、いざとなれば近衛は逃げてしまうだろうといった懸念が、その言葉に現れている。さらに単にそれだけでなく、天皇自身が軍部によって退位に追い込まれる可能性があると考えていたか否か、これは明確にはわからない。

 

 

 

大政翼賛会は、「まるで幕府が出来るよう」

 

マッカーサー司令部の民間情報教育局が編集した「真相箱」という著書が昭和二十一年に発行されている。(略)

いずれにせよ「宣撫工作」だから、そのつもりで読まねば危険だが、その中に次のような記述がある。

 

 

天皇陛下が、マッカーサー元帥を御訪問になったとき、「なぜ貴方は戦争を許可されたのですか」というマッカーサー元帥の問いに対して、元帥の顔を見つめられた陛下はゆっくり、「もし私が許さなかったら、きっと新しい天皇が建てられたでしょう。それは国民の意志でした。

 

 

 

こと、ここに至って国民の望みにさからう天皇は、恐らくいないでありましょう」と言われたのであります」

この話を私はフィリピンの収容所で聞き、デマだろうと思っていたが、内地に帰って「真相箱」を読んだとき、フィリピンで聞いたとおりなので少々驚いた。もっとも天皇の言葉が英訳され、それがまた日本語に訳されているのだから、歪曲はなくとも、相当にヌアンスの違ったものになることはあり得る。(略)

 

 

 

収容所にこのニュースが伝わった時、「それは天皇を退位させて秩父宮運部が擁立するという意味だ」といった解釈があったが、これは少々考えにくい。軍部にそれだけの決意があったとは、資料を調べても、裏付けることはできない。

 

 

もっとも「(天皇は)凡庸で困る」「天皇が改革に反対されるなら、某宮殿下(秩父宮)を擁して陛下に代うべし」といった言葉があったことは、後述するとおり事実であろう。しかし具体的計画があったらしい形跡は見当たらない。

 

 

そうではなく「新しい天皇」とは、天皇を実質的に棚上げして憲法を停止し、軍部およびそれを代表する者が実質的に天皇になるという可能性を口にされたのなら、これはあり得たであろう。

 

 

 

天皇は親ファシズム的な近衛文麿の行き方に危惧の念を抱いていたらしい。近衛が大政翼賛会をつくり、日本憲政史上はじめての「無政党時代」に進もうとしたとき、天皇は少々皮肉な言葉で、これを批判している。すなわち、結成式の前日に近衛が発足について天皇に報告すると「このような組織をつくってうまくいくのかね。これは、まるで、昔の幕府が出来るようなものではないか」と言われ、近衛も返事が出来ず絶句した。

 

 

確かに翼賛会が議会を完全に抑え、その翼賛会を軍部が支配すれば、「軍部党」の「一党独裁」というナチスばりの政権が出来得るから、まさに幕府の出現である。

 

 

 

天皇がそういう状態を、説明を簡略にするため「新しい天皇が立てられ」ると表現したのなら、これはあり得たであろう。「幕府」などと言っても、その意味はマッカーサーには分からないであろうから――。

 

 

」「なぜ、これほどまでに憲法を絶対化したのか

以上を通観していくと、天皇には「五箇条の御誓文憲法あっての天皇」という意識がきわめて強く、これが自己規定の基本であったように思われる。これは、五・一五事件後の新首相選定への「ご希望」にも示され、その中に「ファッショに近きものは絶対に不可なり。憲法を擁護せざるべからず。然らざれば明治天皇に相済まず」という言葉がある。(略)



昭和十五年八月三十一日の「木戸幸一日記」に次のように記されている。
憲法の改正を必要とするのであるならば、正規の手続きにより之を改正するに依存はないが、近衛がとかく議会を重んぜない様に思われるが、我が国の歴史を見るに、蘇我、物部の対立抗争以来、源平その他、常に二つの勢力が対立して居る、この対立を議会において為さしむるのは一つの行き方で、わが国では中々一つに統一ということは困難の様に思わる」

いわば対立があるのを当然として、それを憲法というルールのもとで、議会内で行うがよい、大政翼賛会のような組織はよろしくないという発言である。(略)


天皇の自己規定は、これ以外にも、調べていくとさまざまの興味深い面がある。まずいわゆる「英雄」になる気は全くなかった。

「我が国は歴史にあるフリードリッヒ大王やナポレオンのような行動、極端にいえばマキアベリズムの様なことはしたくないね」 (「木戸幸一日記」昭和十五年六月二十日付)(略)」