一下級将校の見た帝国陸軍(統帥権・戦費・実力者)
「統帥権の独立は、「ある時代の最も進歩的な考え方行き方は次の時代の始末に負えぬ手枷足枷となる」というケースの典型的なものであろう。そして、統帥権により日本国の三権から独立していた軍は、逆に、まず日本国をその支配下におこうとした。
従って帝国陸軍とは、一般国民から見れば、何を考えているかわからない。まことに不気味な「一国」、自分の手でどうにもできぬ横暴な他国に見えた。
そしてその国に強制移住させられれば、今までの常識も倫理も生活感も全く通用せず、何をされるかわからないという不安を、その心底に持たぬ者はいなかった。
そしてその不安は、戦後、収容所で、米軍に収容されるとき不安を感じたか感じなかったか、という話になった時、ある人が、「不安を感じたなぁ、だけど入営の前夜ほどではなかったな」と言った時、思わず皆が頷くほどであった。(略)
一方、軍の方も、軍隊以外を「地方」(陸軍)または「娑婆」(海軍)と呼び、それは、軍のために活用すべき従属者以外の何物でもなかった。従って、帝国陸軍の作戦には、国防軍として住民保護が至上の義務という見地は皆無、また戦闘員・非戦闘員の区別と非戦闘員の権利を、自国民に対してさえ実質的には認めなかった。
沖縄の人々の消し難い不信の背後には、「軍が住民を使い棄てにした」と受け取られるような、以上の考え方に基づく諸事実がある。だが、本土決戦が行われれば事情は全く同じであったろう。(略)
昭和二十二年に内地へ帰って、人々から米軍の印象を聞かされた時の感じをそのままのべれば、「旧占領軍の天皇の軍隊が去って、新占領軍のマッカーサの軍隊が来たが、この方が天皇の軍隊より話がわかる」と言った感じであった。
なぜそのような被占領状態におかれたか?政府も国民も、本当に「天皇の軍隊」を統制できず、軍だけが勝手に暴走したのであろうか。そうは言えない。戦争を行うには戦費が、軍を維持するには軍事費が不可欠である。従って、議会が戦費いわゆる臨軍費(臨時軍事費)を否決すれば、軍は動けない。従って、国民が軍を支配するか軍が国民を支配するかは、「戦費の支配権」をどちらが握るかにあった。(略)
ところが昭和になると、主戦・非戦両派とも、戦費という最も重要な問題に無関心なのである。ここに見える大きな差は、明治の日本は貧乏国であり、明治人は軍人といえども、明確に自国の貧乏を意識していたのに対して、昭和人には、「世界三大列強の一つ」といった奇妙な「大国的錯覚」があった。従って国民は戦費という問題に不思議に関心が向かなかった。
ベトナム戦争は結局、議会の戦費打ち切りで終わった。だが日華事変では、軍が憂慮するほど厭戦気分が国内に充満しながら、臨時軍事費を打ち切ることによって戦争を終わらそうという発想はどこにもなかった。一体この戦費は、だれの責任で支出したのか。その人間こそ最大の戦争責任者の一人だが、「戦費支出の戦争責任」は未だに究明されていない。
国民は「勝った!勝った!」で目をくらまされていたが、軍は、戦費が自分たちの死命を制することを知っていた。(略)
私はその瞬間、目から鱗が落ち、軍が何を恐れ、そのために何をやったかが、はじめてはっきりと見えたのである。(略)
軍人が、何かがあれば「軍民離間は利敵行為」といって目を怒らし、陸海軍両省がすでに昭和八年に「軍部批判は軍民離間の行動」と声明した事自体、軍と民が当時すでに離間していたことを自ら認めたに過ぎない。
ではもしこの批判が徐々に議会に反映し、議会が臨時費(戦費)を否決したらどうなる。軍の傀儡政府は議会を解散するであろうが、総選挙・新議会となって、その新議会がまた臨軍費を否決したらどうなる。終戦内閣か?もう一度二・二六か?
これが倨傲な態度で国民を睥睨していた彼らが、常にその心底に抱いていながら、絶対口にしなかった恐怖であった。(略)
だが、私がそれについて聞いた時、彼らの恐怖は既に去っていた。彼らはその事態にいたらせぬため、あらゆる手段を使った。従ってその時には、骨を抜かれた議会、すなわち翼賛議会は、すでに出来ていたのである。」
〇今の私たちの国の状況とあまりにも重なる部分が多くて、恐ろしくなります。
安倍政権はなりふり構わず、あらゆる手段を使い骨抜きの議会、翼賛議会を造り上げました。