「だが、規定はあくまでも規定であり、その発想の基本をわすれれば、この考え方には、いくつかの落とし穴があり、逆用も可能であった。その一つはまずその人たちが、日本軍を「治安軍」と考えても「野戦軍」とは考えなかった点である。
これは無理も無いことで、鎮台条例が廃止され、鎮台を師団に改編したのが命じ二十一年である。そして日清戦争の時でさえ、まだ、多くの日本人は帝国陸軍が外国と戦争できる野戦軍であることに対して、半信半疑であった。(略)
だがその後の日本軍の「軍事力成長率」は、戦後の経済成長率同様に恐怖すべき速度であり、いつしか軍事大国になっていた。そしてその速度は軍人のみならず多くの人に日本の軍事力成長は無限回で、「二十世紀は日本軍の成規」的な錯覚を抱かせた。
従ってこの状態のある時期には、日本の国土に、二国が併存していたと考えた方が、その実態が分かりやすい。一つは日本一般人国、もう一つは日本軍人国である。そしてこの一般人国と軍人国は、「統帥権の独立」と、軍人は「世論に惑わず政治に拘らず」の軍人勅諭の原則で、相互に内政不干渉を約している二国、そしてその共同君主が天皇という形をとっていた。
帝国陸軍とは、日本国行政政府の支配下になかったという意味で、天皇の軍隊であっても、日本国「政府軍」ではないという形態へといつしか進んで行った。この点、諸外国の国民軍(ナショナル・アーミイ)とは非常に性格が違っており、従って国民軍とも国防軍とも言い難い。
〇この太文字の部分の説明はとても分かりやすく、納得できます。
日本という国の中に、「一般人国」と「軍人国」があり、相互に内政不干渉だった。
「一般人国の人間は、軍隊を治安軍と考えていたのに、軍事力成長率は恐怖すべき速度で、いつしか軍事大国になっていた」という行を読んで、今の日本の状態ととても似ている雰囲気を感じます。