「日本軍は、外面的組織ではすべてが合理的に構成されていて、その組織のどこに位置づけてよいかわからぬ存在は、原則として存在しない。組織は、それ自体として完結しており、少しも矛盾なき幾何学的図形のように明示できる。
各兵科別の指揮系統から各部(経理部・兵器部等)の指揮系統、さらに付属諸機関への指揮系統(簡単にいえば、慰安婦は部隊副官の指揮下)まで、完璧といってよい。そしてその頂点が天皇であり、完全なピラミッド型になっている。」
「たとえば、ブタノールをつくるという面では、軍属である小松氏が、実質的に、軍司令官を指揮しても不思議ではない。これは、指揮系統の中にいかにその知識と技術を合理的に組み込むかという問題であり、幾何学的な組織から見れば、そこには一種の位置づけの難しい非合理性が出てくるはずである。
これにいかに対処すべきかは、大きな問題のはずだが、陸軍には、この問題意識が全くなかった。
陸軍は最後まで、民間の知識も技術もその組織に合理的に組み入れて活用しようとせず、また、最後の最後まで知識人にも学生にも背を向けていた。
これは志願兵が続出して大学が空になり、一方軍は彼らの知識・教養を百パーセント活用したといわれる米英とは実に対蹠的だが、さらに、せっぱつまって学徒を動員してもその知識を活用しようとはせず、ただ「量」として、幾何学的組織の中に位置づけることしか考えなかったから不思議である。」
「一言でいえば、これが「ものまね」の結果である。一つのものを自ら創作した者は、自分で創作したのだから、また新たに創作しなおすことが出来る。否、そういう社会では、創作とは常に、今までのものを創作しなおすことにすぎない。いわば、自著だから改訂を続けることが出来るという状態である。
一方、「まね」をしたものは、こうはいかない。(略)
「本家よりきびしくしておけば大丈夫」という行き方であり、それは同時に、「本家よりきびしいのだから、自分の方が本物だ」という主張にもなる。(略)
日本軍のすべてが、日本人の実生活に根付いておらず、がんじがらめで、無理矢理に一つの体系を作っていたことである。そのため、すべての人間が、一言でいえば、「きゅうくつ」でたまらない状態に置かれていた。そしてこの「きゅうくつ」を規律と錯覚していたのである。」
「英国の将校は、知能・知識はもちろん、腕力の点ですら、兵よりまさることを要求されているという。いわば、この収容所の自然発生的「人間の階級」が階級であらねば、指揮など出来るはずはないという、きわめて常識的な発想に基づいているのである。」
又、米兵に数学の問題、マッチの軸の考え物などさせると、なかなか解らずおもしろい。教育の程度は一般に低いが公衆道徳や教養は高いようだ。』
「文字が読めない教養人がいて少しも不思議ではない。だがしかし、そのことは、高度の学歴を持つ無教養人がいてこれまた少しも不思議ではない、ということではないはずである。
しかし日本でこのことが意識され出したのは、ここ二、三年の事ではないかと思う。われわれが、今までのべてきたような状態から脱しうるのは、おそらく、これからの課題であろう。」