読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

一下級将校の見た帝国陸軍(言葉と秩序と暴力)

「これが、この現実を見た時の小松さんの嘆きである。
そしてこの嘆きを裏返したような、私的制裁を「しごき」ないしは「秩序維持の必要悪」として肯定する者が帝国陸軍にいたことは否定できない。



そしてその人たちの密かなる主張は、もしそれを全廃すれば、軍紀すなわち秩序の維持も教育訓練も出来なくなるというのである。それを堂々と主張する下士官もいた。


「いいか。私的制裁を受けた者は手を挙げろと言われたら、手をあげてかまわないぞ。オレは堂々と営倉に入ってやる。これをやらにゃ精兵に鍛え上げることはできないし、軍紀も維持できない。オレはお国の為にやってんだ。やましい点は全然ないからな。いいか、あげたいやつは手をあげろ」



そしてこの暴力支配は将校にもあり、部下の章硫黄を平気で殴り倒し、気に食わねば自決の強要を乱発し、それをしつつ私的制裁絶滅を兵に訓旨していた隊長もいる。石田徳氏は「ルソンの霧」(朝日新聞社)で自決強要の恐怖すべき現場をそのままに記しておられるが、こういった例は決して少なくない。



収容所は、それらがただ赤裸々に出て来たに過ぎない。そしてここまで行かなくとも、暴力一瞬前の状態に相手を置き、攻撃的暴言の連発で非合理的服従を強要するのは、だれ一人不思議に思わぬ日常のことであった。



そして戦後にもこれがあり、多人数の集中的暴言で一人間に沈黙を強いることをだれも不思議に思っていない。



なぜか。なぜそうなるのか。軍隊にはいろいろの人がいる。動物学を学んでいたYさんは、これを「動物的攻撃性に基づく」秩序だと言い、収容所とは鶏舎で、その秩序はちょうど「トマリ木の秩序」と同じだと言った。雄鶏は、最も攻撃性の強いものがトマリ木に一番上にとまり、その強さの序列が上から順々に下がりトマリ木の序列になる、と。




帝国陸軍は、「攻撃精神旺盛ナル軍隊」だけを目指したから、動物的攻撃性だけが主導権をもち、野牛(バッファロー)の大軍が汽車に突撃するような攻撃をし、同時にそれを行うための秩序が、暴力という動物的攻撃性だけの「トマリ木の秩序」になった、と。



そういわれれば「戦後的ケロリ」は、攻撃が頓挫した野牛群が、ケロリとして草を食っているのと同じことなのか?




また軍制史の教官だったというA大差は、日本軍創設時に原因があると言った。そのころは、血縁・地縁を基礎とする自然発生的な村落共同体が厳存していたころで、その中の若衆制度という青年期の年次制「組」制度が輸入の軍隊組織と結合し、若衆三年兵組、二年兵組、初年兵組という形になり、その実質には結局手がつけられなかった。



そのうえ陸軍は自然発生的な村の秩序しか知らず、組織をつくって秩序を立てるという意識がない。これはヨーロッパの、アレキサンダー大王のマケドニハ方陣以来の、幾何学的な組織という考え方とそれを生み出す哲学が皆無なため、そういう組織的発想に基づく軍隊組織とは、内実は全く別のものになった、と。



従って軍人勅諭には組織論はもとより組織という概念そのものがなく、「礼儀を正しくすべし」の「礼」だけが秩序の基本だった。だから外面的な礼儀の秩序が虚礼となって宙に浮くと、暴力とそれに基づく心理的圧迫だけの秩序になってしまった。



一人への公開リンチによる全員への脅迫が全収容所を統制し得たのと非常によく似た形、すなわち一人の将校を自決させることによって、全将校とその部下を統制し、同時に私的制裁が末端の秩序を維持するという形になってしまった、と。」



〇 「(暴力・私的制裁)これをやらにゃ精兵に鍛え上げることはできないし、軍紀も維持できない。オレはお国の為にやってんだ。」という下士官の言葉は、ともすれば「教師」「スポーツコーチ」「親」など、教育する者が、そうなってしまう態度ではないかと思います。


明らかに間違っている。でも、それ以外にどうやって「鍛えればよいのか」よくわからないのです。自分もそう育てられてきた。そのやり方しか知らない。


ここで、思い出したのが、「中空構造日本の深層」の河合隼雄氏の言葉です。

「日本の昔の在り方は、西洋と異なって子供に対して父性的な厳しい訓練は行われない。しかし、結婚した夫婦も大家族の中に包含され(別居していても、心理的には同様である)、日本的「しがらみ」という母性的訓練を経て、徐々に一人前になってゆくのである。(略)


日本の家と社会は互いに浸透性が強いので、いわば日本という大きい大家族の中で鍛えられてゆくと言っていいと思われる。」


〇「しがらみ」という母性的訓練を経て鍛えられていく。

「そこでは個性ということを犠牲にしても、全体の平衡状態の維持に特に努力がはらわれるのである。


これに対して、父性原理は善悪や、能力の有無などの分割にきびしい規範をもち、それに基づいて個々人を区別し鍛えてゆく機能が強い。」