読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

一下級将校の見た帝国陸軍(敗戦の瞬間、戦争責任から出家遁世した閣下たち)

「部下を殺し、国を滅ぼし、生きて虜囚となった、きっすいの帝国陸軍軍人_少なくともこの時点までは、たとえその人にどのような責任があろうと、彼に対して私が好意を持つ限り、その人から顔をそむけることが、その人に対する唯一の礼儀であり、好意の表現であるように私には思われた。と同時に、砲の処置が自決に通じた帝国陸軍において、たとえ戦後とはいえ、そのことを語るのも気が重かった。(略)



それなら勤務をやめればよいはずである。(略)理由は、卑しㇺべきことかも知れぬが、前述の役得の「現物給与」、米軍人による私的なヤミ支給を失いたくないからである。(略)



だが私同様に骨と皮の人はいくらでもいる。その人たちが一日一二〇〇カロリーの薄いカユの三食に耐えているのを見た時、自己の行為に一種のやましさといやしさを感じないわけにいかない_(略)これは結局、誘惑に抵抗できぬ自分への自己釈明にすぎなかった。



理由の第二は、昭和十七年以来、「一人になれるのは便所の中だけ」という軍隊生活・収容所生活を強いられてきたかつての一学生にとって、「一人の時間」の甘美さは、一度それを手に入れると、もう絶対に手放したくない宝物のように思えたからである。そして一般収容所は、その便所すら、一人用ではなかった。


理由の第三は、収容所を支配している暴力団と、それが醸し出す異様な雰囲気から逃れられることであった。”ゲイジュツ家”は直接に暴力を振われることはないと言っても、それを目にし、目にしながら見て見ぬ振りをすることによって自分も間接的に統制されていることを否応なく思い知らされ、同時にそれによって受ける一種の威圧感ないしは「恐怖政治」的被支配感には、かつての内務班にも似た耐え難い不快さがあり、同時にそれをどうもできない自らの不甲斐なさが、それからの卑怯な逃避の誘引となった_だが、これについては、後述しよう。」



〇 こうして読んでくると、山本氏は、本当に恵まれていた、と感じます。
私がもし男で、戦地にいたら、以前山本氏も書いていたけれど、
何よりもこの「リンチ」が恐ろしかっただろうと思います。

当時、召集された人々も、軍隊よりも何よりも嫌だったのが、リンチだった、とありました。

「当時多くの者が何とかして兵役を逃れたいと内心思っていた現実的な理由は、このリンチの噂であった。従ってこれを「軍民離間の元凶」としたのは正しい。

多くのものは、軍隊そのものよりも、むしろリンチを逃れたかったのである。」(「私の中の日本軍 上」より)