読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

ギケイキ 2

「それで説得されたのか、されなかったのか。あるいは全体的に義経寄りの世論を気にしてか、その後、私の処分は暫くの間、保留になった。
けれども頼朝さんの私に対する疑念と恐怖は払拭されることがなかったのだろう。なお面会は許されず、そこで私はあらゆる神々に誓った起請文を何通も提出したがやはり許されない。」



「以上が私が書いた書状である。少しばかり混乱しているがそれも含めて当時の私の気持ちをそのまま記してあるように思う。悲痛な切迫感がある。そしてその悲痛な切迫感は当時の人々にも伝わって一定の効果をあげた。どういうことかというと、鎌倉で義経同情論が巻き起こったということで、これを読んだ人は基本泣いた。女房連中などは泣きすぎてズクズクになっていた。武者も声を放った泣いた。」



「「ところでねぇ、正尊さん。僕は困っているんだよ」
「それはどういうことでございましょうや」
とそう言って正尊は合掌した。
「じつは九郎のことなんだよ」
それを聞いた正尊の眉毛がビクビクッと動いた。頼朝さんはそれに気がついたが構わず話を続けた。(略)



「なるほど。やはりそういうことでしたか。半ばはそうではないか、と思っておりましたが、されど私は出家の身。その私をお召し、ということは、「法華経を説き聞かせよ」「仏教の肝要のところを教えよ」など仰るのではないか、と半ばでは思っておりました。しかしそうではなく、僧である私に、「御一門を亡き者にせよ」と仰る。悲しいことでございます」
正尊がそういうのを聞いて景季は思わず正尊の顔を見た。頼朝さんに向かってなんという大胆なことを言うのだろう、それじゃあ真正面からの頼朝さん批判ではないか、と思ったからである。



しかし正尊は視線を落したまま、深刻そうな悲しげな表情を変えずにいる。
なぜ正尊はそんな真正面から頼朝さんを批判するようなことを言ったのだろうか。そこには正尊なりの計算が働いていた。というのはまず正尊は上洛して私を殺しに行くのが嫌だったからである。なんとなれば私は天才的な戦術家で、そんな私に戦争を仕掛けて勝てるわけがない、と思ったからである。また、全体的に私に同情的な世論に気を遣った、というのもあるだろう。


というのは畠山も川越太郎も同じことだった。そこで川越は身内という事で逃げ、畠山は誰も反論できない正論を述べることによってこれを断わった。もちろんその正論の背景には畠山の軍事力があったわけだが。そして正尊は、というと宗教家であることを理由に断ろうとした。(略)



「なるほど。そういうことを言うってことはどうなんでしょうね。九郎と心をひとつにしているということですかね。そうだとしたらまずあなたから誅戮しなければならない。景季君、そこの刀を持ってきてください」
「いえいえいえいえいえ、ちゃいます、ちゃいます」
と、言いながら正尊はせわしなく考えを巡らせて急激な方針転換を行なった。上司と上司が敵対関係になった場合、どちらにもつくということは出来ないし、どちらにもつかないということもできない。必ずどちらか一方につかなければならない。それは賭けだが、少なくとも勝率は五割、どちらにもつかなければ勝率はゼロなのだ。」



「それははっきり言って私を追い詰めるためである。つまり私を滅ぼすという名目で正尊を派遣する。当然のことながら私はこれを返り討ちにする。となると私は頼朝さんに刃向かった、反逆した、敵対したことになる。そうなって初めて頼朝さんは大声で、「ほーら、言わぬこっちゃない。やっぱり九郎は僕に反逆しましたよ、皆さん。こんなことが許されるんでしょうか。いかがですか、皆さん」とアピる。そうなると私に同情的だった鎌倉の人民大衆も、まあ、軍事衝突が起きたのであれば反乱と認めざるを得ないね、という流れに傾く。その時点で初めて勝てる軍隊を派遣して私を本格的に誅戮する、という段取りを頼朝さんは考えていた。


つまり正尊は、噛ませ犬、という訳で、人数の話になって漸くそれに気がついた正尊は思わず唸ってしまったのである。
ううううっ。しもうた。はめられたわ。(略)



もちろんそれとて成功するとは限らないが、正面からの戦争に比べればよほど確率が高い。なにしろ不意を衝いて私一人を殺せばよいのだから。
それも簡単なことではないがこの時点で実は正尊、腹を決めていた。
死ぬと決めていたのである。
死んだら死ぬ。なにもなくなる。けれどもこうなってしまった以上、死ぬより他に道はない。そして俺の師はけっして犬死ではない。なぜなら鎌倉殿は俺に恩賞としてではなく事前に安房上総を賜ったからだ。俺が死んでもその二カ国は子孫に遺すことが出来る。」