読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

いまだ人間を幸福にしない日本というシステム

「第二章 説明責任を果たそうとしないバブルの張本人

 

日本の市民たちがときおり受け入れさせられる偽りの現実とは、壮大で、驚きのあまり思わず息をのむほど巧妙な欺瞞である。その典型例でもあり、同時に人々の暮らしの根本にもかかわるものが、「バブル経済」であった。これはきわめて重要な出来事である。(略)

 

 

 

この中では「バブル」という言葉そのものが、偽りの現実の形成におもな役割を果たしている。(略)

 

 

だが一九八〇年代後半に起きた出来事を理解しようと思うなら、泡沫を意味する「バブル」ではなく、「風船」を思い浮かべ、そこに「ゴム」や果ては「皮」といった形容詞を付け加えるべきだ。(略)

 

 

これまであなたは「バブル経済」は不動産投機によって起きたと繰り返し聞かされてきたことだろう。そして投機は銀行融資でまかなわれてきたので、あなたは新聞に寄稿する多くの有識者たちと同じように、「バブル経済」の責任の大半は市中銀行にあると結論付けたかもしれない。

 

 

さらには、銀行業界の規制緩和のせいだとする、大蔵省の説明を耳にしたこともあるかもしれない。しかしあなたは大いに誤解させられている。

 

 

 

なぜなら「バブル経済」には秘められた目的があったからだ。日本でこのことを知っている専門家はもちろんいるが、彼らはあなたにその事実を伝える気はない。そして政府の専門家たちも、現実の真の姿を明らかにしようなどとは、決してしないだろう。

市民であるあなたは、政府の専門家や評論家たちというのは、人々の信頼を裏切るものだ、という事実を忘れてはならないのだ。

 

 

 

バブル経済」の真の目的は、たしかに政府の公式の政策ではなかった。状況の論理から生じ、管理者たちが非公式な権力を行使しようと、複雑な手法を通じて進めて行ったのが、バブルだった。(略)

 

 

このことは、そこから空気を抜くために、金融当局がどんなやり方をしたかを詳しく検討すれば、すぐにわかる。

 

 

二番目に、その本当の目的が何であったかを理解するには、「バブル経済」でおもに利益を手にしたのがだれだったかを知らなければならないだろう。最大の恩恵に浴したのは、系列システムと政治的に密接に結びついた大企業だ。実際、彼らはそのすべてを得た。(略)

 

 

なぜそんなことが可能になったかを説明する前に、「バブル経済」などと実態にそぐわない呼称がつけられたこの現象の背後で、なぜ各機関が際立った協調ぶりを見せたのか、その理由を理解しておかなければならないだろう。

 

 

戦後日本が征服したもの

(略)

 

燃料や原材料、食料や生産機械の一部、それに航空機といった、日本経済が自力で供給できないものを買うためには、国際市場で稼がなければならない。

 

 

ところが日本の管理者たちが推進する使命によって、日本の輸出額は、輸入で使う外資獲得に必要とされる金額をはるかに上回って膨れ上がった。二〇一一年三月の大震災とそれにともなう大津波による

打撃で落ち込むまで、日本は数十年にわたって巨額の貿易黒字を計上してきた。その巨大さゆえに世界中でひんしゅくを買うにいたったのである。(略)

 

 

ところが日本に輸入される外国車はいまなおかぎられた市場向けでしかなく、また海外産の電子機器も、国内消費者市場では日本の有名メーカー製品と比べればもののかずではない。それは第一部で述べたように、「販売系列」というたてのつながりや業界団体を通じて、外国勢との競争から日本の市場を管理し、守るのが比較的容易だからである。

 

 

こうした日本のやり方は新重商主義として知られている。一六世紀から一八世紀のヨーロッパに広く見られた重商主義の新型である。ちなみに、多くの日本人は、自分たちがなぜ重商主義だと批判されるのかが理解できないらしい。それは彼らが重商主義を「貿易立国」と同じ意味だと解釈しているからだ。しかし重商主義経済とは、他諸国を犠牲にして自国の力を強化することにつながる。(略)

 

 

日本の輸出業者が狙い定めた海外の産業部門が、台風にともなう豪雨を思わせる輸出攻勢に突如として見舞われればどうなるかを想像してみてほしい。(略)

 

半導体産業など、その恰好の事例だろう。いくつかの種類のチップが、利益を度外視し、単に日本勢の市場シェアを確立するために、大量に国際市場(特にアメリカ)に供給された。このようなやり方を見て、先のレオン・ホラーマンは、日本の官僚は自国を、できるだけ多くの世界の重要な産業部門の「司令部」にしようとしている、という結論にいたったのだった。

 

 

読者は退屈に思うかも知れないが、ここでこの「貿易問題」とは、経済ではなく政治問題である、という点に目を向ける必要がある。

その違いは何だろうか?(略)

本来、「経済学」と呼ばれる独立した学問はなかった。というのも人間の暮らしの経済的に重要な側面は、政治哲学の問題として研究されていたからだ。そしてそうしてしかるべきだったのだ。世界のどこでも、経済と政治は関連し合っている。(略)

 

 

政治化された日本社会では、政治的な思惑の方が経済より重視されていることはすぐにわかる。日本の経済機構同士は、非常に長期にわたって相互に守り合い、拡大をめざしていることから、彼らの目的は経済ではなく政治的だと言える。(略)

 

 

日本経済に関して、専門家の意見が分かれる点は多々あるが、そのなかで日本の企業が収益よりも市場シェアを長いこと重視してきた、という点でほぼすべての人々は一致した見方をしている。(略)

 

 

また普通、経済活動をはじめると、市場での地位を確立するまでは、最初は損失をこうむっても仕方がないものだ。しかしここで疑問に思うのは、どの時点で、市場での支配領域を広げることから、収益を求めることへと軸足を移すのか、ということだ。(略)

 

 

系列銀行は同じグループ内のメーカーに融資し続けるが、それは系列システム全体が拡大を望んでいるからだ。日本企業が市場で短期間に確固たる地位を築けるようにとりはかる、というのが伝統なのである。

 

 

 

彼らの背後には手厚い支援体制がある。国内市場では価格を高くし、それが輸出を後押しし、系列銀行やほかのメンバーたちも協力を惜しまない。彼らが一丸となって海外市場シェアを勝ち取ろうと動く場合には、欧米企業にはとても真似のいないような低価格で、しかも長期にわたって製品を提供する。ここでもやはり収益より市場の制覇が優先されるのである。

 

 

 

日本企業と競争しなければならない海外の産業は、このようなやり方にはうんざりさせられている。日本の経済活動に対して海外が不信を抱くのも、こうした偏った攻勢のかけ方に強い不安を覚えるからである。(略)

 

 

だが私は「失われた一〇年」など存在しなかったと考えている。

これは問題の上っ面をなでただけの呼称にすぎないのだが、当局にしてみれば、みんながそう信じてくれる方が都合がよかった。アメリカ政府は圧力をかけ、要求を突きつけるのを止めるし、日本の労働者たちは報酬がカットされても文句を言わずにしたがってくれるからだ。

 

 

 

「失われた一〇年」とされるこの時期は、東京のかなりの地域と大阪での再開発とともにはじまった。その結果、東京は以前よりずっときれいになった。かつて上昇を続けていた経済指標が上りはしなくても、またこれまで見慣れた形となってあらわれたわけではなくとも、大がかりな経済活動はたしかに行われていたのだ。(略)

 

 

日本の人々にもっといい住宅環境を与えることは、経済面でも有益であり、また社会的にも意義あることだ。日本企業は日本に必要な海外製品を買う外貨を稼ぐために、まだこれからも輸出しなければならないだろう。しかし無限の拡大をめざす生産マシーンが生み出すものの多くは、国内市場に向けることができる。

 

 

日本では連携のとれた作業によるインフラ整備がなによりも必要とされている。それが日本の人々にいっそうのメリットをもたらすのは間違いない。これは当然やらなければならないことなのに、なぜそうならないのか?

 

 

我々はその理由を別の議論の中ですでに検証した。官僚たちは出来るだけ早く日本が欧米諸国に追いつけるようにするという、本来の任務を果たした。だが本来の目的に達した後も、彼らは自分の役割を変えようとはしない。

 

それを変えられるはずの国会が、重要問題をひとつも決断できないのは、残念なことにこれがうまく機能していないからだ。国会は政策を議論することもなく、政治スキャンダルに明け暮れている。(略)

 

 

一九七一年にアメリカが為替レートの見直しに踏み切ると、どう対処すればいいのか考えあぐねた大蔵省は、当初、「円を防衛」するという、同省始まって以来の最大の失敗をおかした。

大企業のように系列システムの支援をほとんど期待できない日本の中小企業の多くが、ドル・ショックの余波で大変な損害をこうむった。円の価値が上昇したために、海外収益は吹き飛んだ。

 

 

 

しかし日本という生産マシーンはまたしても驚異的な回復力を見せた。(略)

その後しばらくして、アメリカ政府は日本の国際貿易収支が常に黒字で、しかもアメリカとの貿易がきわめて不均衡であることは「耐え難い」と判断した。(略)

 

 

 

この事態に、日本を注視する多くの外国人たちは、日本企業は海外市場、特にアメリカ市場でのシェアの大半を失うことになるだろうと考えた。ところがそうはならなかった。なぜそうならなかったのか?

 

 

彼らはどんなに安くても、海外の人々が買ってくれる値段で製品を売ったからだ。なかにはアメリカ市場を独占するに近い地位を獲得した日本企業もあった。だがメーカーの多くは長い間、海外輸出で赤字を計上することになった。

 

 

こんな状態で、日本の生産マシーンはどうやって拡大し続けたのだろうか?非公式とはいえ、誰の目にも明らかだった戦後日本の使命をどうやって果たし続けたのだろうか?

 

 

このような疑問を投げかけてこそ「バブル経済」の目的が明らかになるのである。戦後の世界経済が発展するなかで迎えた「必然的」な転換期に起きたのが「バブル経済」だった。状況の論理にしたがううちに、日本の金融部門の管理者たちは、経済活動ではまったく新しい分野を操作できそうなことに気づいた。」

 

〇 難しくて、よくわかりません。