読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

サピエンス全史  上 第9章 統一へ向かう世界

「農業革命以降、人間社会はしだいに大きく複雑になり、社会秩序を維持している想像上の構造体も精巧になって行った。神話と虚構のおかげで、人々はほとんど誕生の瞬間から、特定の方法で考え、特定の基準に従って行動し、特定のものを望み、特定の規則を守ることを習慣づけられた。


こうして彼らは人工的な本能を生み出し、そのおかげで厖大な数の見ず知らずの人同士が効果的に協力できるようになった。
この人工的な本能のネットワークのことを「文化」という。

 

20世紀前半には、学者たちは次のように教えた。どの文化もそれを永遠に特徴づける不変の本質を持っており、完全で、調和している。人間の集団にはそれぞれ独自の世界観と、社会的、法律的、政治的取り決めの制度があり、惑星が恒星の周りを回るように、集団を円滑に動かしている。この見方によれば、 文化は放っておかれれば変化しないという。(略)


だが今日では、文化を研究している学者の大半が、その逆が真実であると結論している。どの文化にも典型的な信念や規範、価値観があるが、それらは絶えず変化している。(略)矛盾とは無縁の物理学の法則とは違って、人間の手になる秩序はどれも、内部の矛盾に満ちあふれている。文化はたえず、そうした矛盾の折り合いをつけようとしており、この過程が変化に弾みをつける。」

 

「この矛盾が完全に解決されることはついになかった。だが、ヨーロッパの貴族や聖職者、庶民がそれに取り組むうちに、文化が変わった。」


「中世の文化が騎士道とキリスト教との折り合いをつけられなかったのとちょうど同じように、現代の世界は、自由と平等との折り合いをつけられずにいる。だが、これは欠陥ではない。このような矛盾はあらゆる人間文化につきものの、不可分の要素なのだ。


それどころか、それは文化の原動力であり、私たちの種の創造性と活力の根源でもある。」

 

「たとえばキリスト教徒が、通りの先にあるモスクに通うイスラム教徒のことを理解したいと心から願っていたら、すべてのイスラム教徒が大切にしている純粋な価値観の数々を探し求めるべきではない。


むしろ、イスラム教文化のジレンマ、つまり規則と規則がぶつかり合い、標準どうしが突進している部分を調べるべきだ。イスラム教徒を最もよく理解できるのは、彼らが二つの原則の間で揺れている場所なのだ。」

 

<歴史は統一に向かって進み続ける>

 

「人類の文化は絶えず変化している。この変化は完全にランダムなのか、それとも、何かしら全体的なパターンを伴うのか?言い換えると歴史には方向性があるのか?


答えは、ある、だ。何千年もの間に、小さく単純な文化が、より大きく複雑な文明に少しずつまとまって行ったので、世界に存在する巨大文化の数はしだいに減り、そうした巨大文化のそれぞれが、ますます大きく複雑になった。」

 

「歴史の進む全般的な方向を理解する最善の方法は、地球という惑星上に同時に存在する別個の人間社会の数を数えることだ。」

 

「地球上には異なる人間社会が幾つ存在したのだろう?紀元前一万年ごろ、この星には何千もの社会があった。紀元前2000年には、その数は数百、多くても数千まで減っていた。


1450年には、その数はさらに激減していた。ヨーロッパ人による大航海時代の直前だった当時、地球にはタスマニアのようなごく小規模な世界が以前として相当数あった。だが、人類の九割近くが、アフロ・ユーラシア大陸という単一の巨大世界に暮らしていた。


アジアとヨーロッパの大半と、アフリカの大半(サハラ砂漠以南のかなりの部分を含む)は、文化、政治、経済の重要な絆ですでに結ばれていた。

世界人口の残り一割の大半は、相当な規模と複雑さを持つ四つの世界に分かれていた。

1 メソアメリカ世界 — 中央アメリカのほぼ全土と北アメリカの一部に及ぶ領域。

2 アンデス世界 ― 南アメリカ西部のほぼ全土に及ぶ領域。

3 オーストラリア世界 ― オーストラリア大陸全土に及ぶ領域。

4 オセアニア世界 ― ハワイからニュージーランドまで、太平洋南西部の島々の大半を含む領域


その後300年間に、アフロ・ユーラシア大陸という巨人は、他の世界をすべて呑み込んだ。」

 

アフロ・ユーラシア大陸という巨人が、呑み込んだものをすべて消化するまでには数世紀かかったが、この過程は逆転不可能だった。今日、人類のほぼ全員が同一の地政学的制度(地球全体が、国際的に承認された国家に分割されている)や、


同一の経済制度(資本主義の市場勢力が、地球上の最果ての地まで支配下に置いている)、同一の法制度(少なくとも理論上は、人権と国際法があらゆる場所で有効になっている)、同一の科学的制度(イラン、イスラエル、オーストラリア、アルゼンチン、その他どこの専門家であれ、原子の構造あるいは結核の治療法について、完全に見解を一にしている)を持っている。」

 

 

<グローバルなビジョン>

 

「実際的な視点に立つと、グローバルな統一の最も重要な段階は、数々の帝国が発展し、交易が盛んになった、過去数世紀の間に展開した。」


ホモ・サピエンスは、人々は「私たち」と「彼ら」の二つに分けられると考えるように進化した。「私たち」というのは、自分が何者であれ、すぐ身の回りにいる人の集団で、「彼ら」はそれ以外の人全員を指した。


じつのところ、自分が属する種全体の利益に導かれている社会的な動物はいない。(略)
だが認知革命を境に、ホモ・サピエンスはこの点でしだいに例外的な存在になっていった。人々は、見ず知らずの人と日頃から協力し始めた。」

 

「紀元前1000年紀に普遍的な秩序となる可能性を持ったものが三つ登場し、その信奉者たちは初めて、一組の法則に支配された単一の集団として全世界と全人類を想像することが出来た。


誰もが「私たち」になった。いや、少なくともそうなる可能性があった。「彼ら」はもはや存在しなかった。真っ先に登場した普遍的秩序は経済的なもので、貨幣という秩序だった。


第二の普遍的秩序は政治的なもので、帝国という秩序だった。第三の普遍的秩序は宗教的で、仏教やキリスト教イスラム教といった普遍的宗教の秩序だった。

 

「私たち vs  彼ら」という進化上の二分法を最初に超越し、人類統一の可能性を予見し得たのは、貿易商人や征服者、預言者だった。貿易商人にとっては、全世界が単一の市場であり、全人類が潜在的な顧客だった。


彼らは誰にでもどこにでも当てはまる経済的秩序を打ち立てようとした。征服者にとっては、全世界は単一の帝国であり、全人類は潜在的な臣民であり、預言者にとっては、全世界は単一の真理を内包しており、全人類は潜在的な信者だった。彼らも、誰にでもどこにでも当てはまる秩序を確立しようとしていた。」


「その征服者とは、貨幣だ。同じ神を信じていない人々も、同じ王に従属していない人々も、喜んで同一の貨幣を使う。あれほどアメリカの文化や宗教や政治を憎んでいたウサマ・ビンラディンでさえ、アメリカのドルは大好きだった。神も王も通用しない所で、なぜ貨幣は成功出来たのだろう?」

 

サピエンス全史  上 第8章 想像上のヒエラルキーと差別

〇 第7章を抜かしてしまったようです(>_<)。今になって気がつきました。

 

==================================

 

「第8章 想像上のヒエラルキーと差別

農業革命以降の何千年もの人類史を理解しようと思えば、最終的に一つの疑問に行きつく。人類は、大規模な協力ネットワークを維持するのに必要な生物学的本能を欠いているのに、自らをどう組織してそのようなネットワークを形成したのか、だ。


手短に答えれば、人類は想像上の秩序を生み出し、書記体系を考案することによって、となる。これら二つの発明が、私たちが生物学的に受け継いだものに空いていた穴を埋めたのだ。


だが、大規模な協力ネットワークの出現は、多くの人にとって、良いことずくめではなかった。これらのネットワークを維持する想像上の秩序は、中立的でも、公正でもなかった。人々はそうした秩序によって、ヒエラルキーを成す、架空の集団に分けられた。


上層の人々は特権と権力を享受したが、下層の人々は差別と迫害に苦しめられた。(略)


アメリカ人が1776年に打ち立てた想像上の秩序は、万人の平等を謳っていながら、やはりヒエラルキーを定めていた。この秩序は、そこから恩恵を受ける男性と、影響力を奪われたままにされた女性との間に、ヒエラルキーを生み出した。


また、自由を謳歌する白人と、下等な人間と見なされて人間として対等の権利にあずかれなかった黒人やアメリカ先住民との間に、ヒエラルキーを生み出した。(略)


アメリカの秩序は、富める者と貧しい者の間のヒエラルキーも尊重した。当時のアメリカ人の大半は、裕福な親が資金や家業を子供に相続させることで生じる不平等をなんとも思わなかった。

彼らの目から見れば、平等とは、富める者にも貧しい者にも同じ法律が適用されることに過ぎなかったからだ。平等は、失業手当や、人種差別のない教育、医療保険とも無関係だった。」


「不幸なことに、複雑な人間社会には想像上のヒエラルキーと不正な差別が必要なようだ。(略)人間はこれまで何度となく、人々を想像上のカテゴリーに分類することで社会に秩序を生み出してきた。たとえば、上層自由人と一般自由人と奴隷、白人と黒人、貴族と平民、バラモンシュードラ、富める者と貧しい者といったカテゴリーだ。


これらのカテゴリーは、一部の人々を他の人々よりも法的、政治的、あるいは社会的に勇気に立たせることで、何百万もの人々の間を調整してきた。


ヒエラルキーは重要な機能を果たす。ヒエラルキーのおかげで、見ず知らずの人同士が個人的に知り合うために必要とされる時間とエネルギーを浪費しなくても、お互いをどう扱うべきなのか知ることが出来る。」


「人がある才能を持って生まれても、その才能は育て、研ぎ澄まし、訓練してやらなければ発揮されない。すべての人が自分の能力を養い、磨くための機会を同じだけ得られるわけではない。


そうした機会があるかどうかは普通、社会の想像上のヒエラルキーのどの位置にいるかで決まる。」

 

「イギリスの支配下にあったインドで、不可触民の男性と、バラモンの男性と、カトリック教徒のアイルランド人男性と、プロテスタントイングランド人男性が、仮に完全に同じビジネス感覚をなんとか発達させたとしても、金持ちになる同等の機会は得られなかっただろう。


経済のゲームは、法律的な制約と非公式のガラスの天井(目に見えない障壁)によって、不正に仕組まれていたからだ。」

 

<悪循環>

「あらゆる社会は想像上のヒエラルキーに基づいているが、必ずしも同じヒエラルキーに基づいているわけではない。その違いは何がもたらすのか?」

 

「歴史を通して、ほぼすべての社会で、穢れと清浄の概念は、社会的区分や政治的区分を擁護する上で主要な役割を果たし、無数の支配階級が自らの特権を維持するために利用してきた。(略)


女性、ユダヤ人、ロマ、ゲイ、黒人など、何であれ人間の集団を分離しておきたければ、彼らが穢れのもとだと誰にも思い込ませるのが、最も有効な手段だ。」

 


「現代のインドでは、民主的なインド政府がそのような区別を廃止して、異なるカーストうしの交わりに不浄な点はまったくないことをヒンドゥー教徒に納得させようと、あれこれ努力しているにも関わらず、結婚と職業はカースト制度の影響を依然として強く受けている。」

 

アメリカ大陸における清浄>

 

「近代のアメリカ大陸では、同様の悪循環が人種のヒエラルキーを永続させてきた。16世紀から18世紀にかけて、ヨーロッパから来た征服者たちは、何百万ものアフリカ人奴隷を輸入して、アメリカ大陸の鉱山やプランテーションで働かせた。


彼らがヨーロッパや東アジアからではなくアフリカから奴隷を輸入することを選んだのには、当時の状況に起因する三つの要因があった。


第一にアフリカの方が近かったので、たとえばヴェトナムからよりもセネガルからの方が奴隷が安く輸入できた。


第二に、アフリカではすでに、奴隷貿易(主に中東向けの奴隷輸出)がよく発達していたのに対して、ヨーロッパでは奴隷は非常に珍しかった。(略)


そしてこれが一番重要なのだが、第三に、ヴァージニア、ハイチ、フラジルといった場所にあるアメリカのプランテーションでは、マラリアや黄熱病が蔓延していた。これらはもともとアフリカの病気であり、アフリカ人は幾世代も経るうちに、完全ではないがそれに対する遺伝的免疫を獲得していたが、ヨーロッパ人はまったく無防備で、続々と命を落した。」

 

「だが人々は、経済的に好都合だから特定の人種あるいは生まれの人々を奴隷にしているとは言いたくない。インドを征服したアーリア人同様、南北アメリカの白人ヨーロッパ人は、経済的に成功しているだけでなく、敬虔で、公正で、客観的だと見られたがった。


そこで、この身分差別を正当化するために、宗教的神話や科学的神話が無理やり動員された。神学者たちは、アフリカ人はノアの息子ハムの子孫で、彼の息子は奴隷になるというノアの呪いを負わされていると主張した。


生物学者たちは、黒人は白人に比べて知能が劣り、道徳感覚が発達していないと主張した。医師たちは、黒人は不潔な暮らしをし、病気を広める_言い換えれば、彼らは穢れの源である_と断言した。


こうした神話にはアメリカ大陸の文化と、西洋文化全般が共鳴した。そしてその神話は、奴隷制を生み出した状況が消えてなくなってからもずっと、影響力をふるい続けた。


19世紀初期に大英帝国奴隷制を非合法として、大西洋での奴隷貿易を停止し、その後の数十年間で奴隷制アメリカ大陸全土で徐々に非合化された。これは特筆に値するが、奴隷所有社会が自主的に奴隷制を廃止したのは、このときが歴史を通じて最初で唯一の例だ。


ただし、奴隷は解放されたとはいえ、奴隷制を正当化した人種差別的神話は存続した。人種による分離は、人種差別的な法律や社会習慣によって維持された。」

 

「もし、大切なのがお金だけであれば、人種間の明確な区分は、とくに人種間の結婚によって、ほどなく曖昧になっていたはずだ。


だが、そうはならなかった。1865年までには、白人と比べて黒人は知能が劣り、暴力的で、性的にふしだらで、怠惰であり、きれい好きではないというのが、白人ばかりでなく多くの黒人の常識になっていた。」

 

「この悪循環の罠にはまった黒人たちは、知能が低いと見なされたためにホワイトカラーの仕事に就けず、ホワイトカラーの仕事に就いている黒人の少なさが、彼らが劣っていることの証拠とされた。」


「このような悪循環は、何百年も何千年も続いて、偶然の歴史上の出来事に端を発する想像上のヒエラルキーを永続させ得る。不正な差別は時が流れるうちに、改善されるどころか悪化することが多い。


お金はお金のある人の所に行き、貧困は貧困を招く。教育が教育を呼び、無知は無知を誘う。いったん歴史の犠牲になった人々は、再び犠牲にされやすい。逆に、歴史に優遇された人々は、再び優遇されやすい。


たいていの社会政治的ヒエラルキーは、論理的基盤や生物学的基盤を欠いており、偶然の出来事を神話で支えて永続させたものに他ならない。歴史を学ぶ重要な理由の一つもそこにある。(略)


これらの現象を理解するには、想像力が生み出した虚構を、残忍で非常に現実味のある社会構造に変換した出来事や事情、力関係を学ぶしかないのだ。」

 

 

<男女間の格差>

 

「社会が異なれば採用される想像上のヒエラルキーの種類も異なる。現代のアメリカ人にとって人種は非常に重要だが、中世のイスラム教徒にとっては、たいして意味を持たなかった。(略)


だが、既知の人間社会のすべてでこの上ない重要性を持ってきたヒエラルキーが一つある。性別のヒエラルキーだ。」


「中国でも最古の部類に入る文書は、未来を占うために使われた甲骨で、紀元前1200年にさかのぼる。その一つには、「后の婦好の出産は幸運に恵まれるか」という問いが刻まれていた。その答えは、こう記されている。「もし子供が丁(ひのと)の日に産まれれば幸運に恵まれ、庚(かのえ)の日に産まれれば、はなはだ幸運だ」。ところが婦好は甲寅の日に出産した。その文書は陰鬱な言葉で結ばれている。


「三週間と一日後、甲寅の日に子どもは生まれた。運が悪かった。女の子だった」。それから3000年以上が過ぎ、中華人民共和国が「一人っ子」政策を実施すると、多くの中国人家庭が相変わらず女の子の誕生を不運と見なした。次は男の子が生まれるかもしれないと願って、生まれたばかりの女の子を遺棄したり殺したりする親さえときおりいた。


多くの社会では、女性は男性(父親か夫か兄弟の場合が最も多かった)の財産にすぎなかった。強姦は多くの法制度では、財産侵害に該当した。つまり、被害者は強姦された女性ではなく、その女性を所有している男性だった。」

 

「2006年現在で、夫が妻を強姦しても起訴できない国が依然として53カ国もあった。ドイツにおいてさえ、強姦法が修正され、夫婦間の強姦としう法律のカテゴリーが設けられたのは、1997年だった。」


「生物学的に決まっているものと、生物学的な神話を使って人々が単に正当化しているだけのものとを、私たちはどうすれば区別できるだろうか?「生物学的作用は可能にし、文化は禁じる」というのが、有用な経験則だ。」


「文化は、不自然なことだけを禁じると主張する傾向にある。だが生物学の視点に立つと、不自然なものなどない。可能なことは何であれ、そもそも自然でもあるのだ。」


「実際には、「自然な」と「不自然な」という私たちの概念は、生物学からではなくキリスト教神学に由来する。」


「同様のマルチタスキングが私たちの生殖器や性行動にも当てはまる。性行動はもともと、生殖や配偶者候補の適性を判断するための求愛儀式として進化した。だが、今では多くの動物が生殖器も性行動も、自分の小さな複製を生み出すこととはほとんど無関係の、様々な社会的目的で使っている。

たとえばボノボは、政治的同盟を強固にしたり、親密な関係を打ち立てたり、緊張を和らげたりするために性行動をする。それは不自然なのだろうか?」

 

 

 <生物学的な性別と社会的・文化的性別>

 

「というわけで、女性の自然な機能は出産することだとか、同性愛は不自然だとか主張しても、ほとんど意味がない。男らしさや女らしさを定義する法律や規範、権利、義務の大半は、生物学的な現実ではなく人間の想像を反映している。」

 

<男性のどこがそれほど優れているのか?>


「少なくとも農業革命以降、ほとんどの人間社会は、女性より男性を高く評価する家父長制社会だった。社会が「男性」と「女性」をどう定義しようと、男性である方がつねに優っていた。」


「家父長制はこれほど普遍的なので、偶然の出来事が発端となった悪循環の産物のはずがない。これは特筆に値するのだが、コロンブスアメリカを発見した1492年より前でさえ、アメリカ大陸とアフロ・ユーラシア大陸の社会は、何千年にもわたって接触がなかったにも関わらず、その大半が家父長制だった。


アフロ・ユーラシア大陸の家父長制が、何らかの偶然の出来事の結果だとしたら、なぜアステカ族やインカ族も家父長制だったのか?(略)


その理由が何なのかは、私たちにはわからない。説は山ほどあるが、なるほどと思わせるようなものは一つもない。」


<筋力>

「さらに重要なのだが、人間の場合、体力と社会的権力はまったく比例しない。二十代の人の方が六十台の人よりもずっと強壮なのに、たいていは六十台の人が二十代の人を支配している。」


「組織犯罪の世界では、マフィアのドンは一番腕力のある男性とはかぎらない。むしろ、自分の拳を滅多に使うことのない、年長の男性のことが多い。」


「したがって、さまざまな種の間の力の連鎖も、暴力ではなく精神的能力と社会的能力で決まるのが当然だ。というわけで、歴史上最も影響力が大きく安定したヒエラルキーが、女性を力ずくで意のままにする男性の能力に基づいているとは信じがたい。」


「<攻撃性>

男性優位は強さではなく攻撃性に由来するという説もある。何百万年にも及ぶ進化を経て、男性は女性よりもはるかに暴力的になった。女性は憎悪や強欲、罵詈雑言に関しては男性と肩を並べうるが、この説によると、いざとなったら男性のほうが進んで粗暴な行為に及ぶという。だからこそ歴史を通して、戦争は男性の特権だったのだ。」

 

「実際には、歴史を通して多くの社会では、最上級の将校は二等兵からの叩き上げではない。貴族や富裕者、教育のある者は、兵卒として一日も軍務に就かずに自動的に将校の位に就く。」

 

「中国では、軍を文民官僚の支配下に置く長い伝統があったので、一度も剣を手にしたことのない官吏がしばしば戦争を指揮した。「好鐡不當釘(釘を作るのに良い鉄を無駄にしない)」という中国の一般的なことわざがある。本当に有能な人は兵卒ではなく文民官僚になるということだ。それならなぜ、これらの官吏はみな男性だったのか?」


「女性は身体的に弱かったから、あるいはテストステロン値が低かったから、官吏や将軍、政治家として成功できなかったというのは、筋が通らない。戦争を指揮するには、たしかにスタミナが必要だが、体力や攻撃性はあまりいらない。戦争は酒場の喧嘩とは違う。戦争は、並外れた程度までの組織化や協力、妥協が必要とされる、複雑な事業だ。


国内の平和を維持し、国外では同盟国を獲得し、他の人々(とくに敵)の考えていることを理解する能力が、たいてい勝利のカギを握っている。したがって、攻撃的な獣のような人は、戦争の指揮を任せるには差悪の選択であることが多い。

 

妥協の仕方や人心を操る方法、さまざまな視点から物事を眺める方法を知っている協力的な人の方が、はるかに優る。帝国の建設者は、こうした資質を備えているものだ。軍事的には無能なアウグストゥスは、安定した帝政を確立した。


格段に優れた武将だったユリウス・カエサルにもアレクサンドロス大王にも成し遂げられなかったことをやってのけたのだ。彼を賞賛する当時の人々も、現代の歴史家も、この偉業を彼の「クレメンティア(温厚さと寛大さ)」という美徳に帰することが多い。

 

女性は男性よりも人を操ったり宥めたりするのが得意であると見られがちで、他者の立場から物事を眺める能力が優れているという定評がある。こうした固定観念に少しでも真実が含まれているのなら、女性は、戦場での忌まわしい仕事はテストステロンをみなぎらせている力自慢の単細胞たちに任せて、秀でた政治家や帝国建設者になっていてよかったはずだ。

だが、女性の能力に関するこうした神話が世間に流布しているにもかかわらず、実際に女性が秀でた政治家や帝国建設者になることは稀だった。それが何故かはまったくわからない。


<家父長制の遺伝子>

生物学的な説明の第三の種類は、野獣のような力や暴力は重視せず、何百万年もの進化を通して、男性と女性は異なる生存と繁殖の戦略を発達させたと主張する。子供を産む能力のある女性を孕ませる機会を求めて男性が競い合う状況では、個体が子孫を残す可能性は何よりも、他の男性を凌いだり打ち負かしたりする能力にかかっていた。

時が過ぎるうちに、次の世代に行き着く女性の遺伝子は、従順な養育者のものが増えていった。権力を求めてあまりに多くの時間を戦いに費やす女性は、自分の強力な遺伝子を未来の世代にまったく残せなかった。」

 

「こうした劇的な変化があるからこそ、私たちは社会的・文化的性別の歴史にとまどうのだ。今日明確に実証されているように、家父長制が生物学的事実ではなく根拠のない神話に基づいているのなら、この制度の普遍性と永続性を、いったいどうやって説明したらいいのだろうか?」

 

 

 

 

 

 

サピエンス全史  上 第6章 神話による社会の拡大

「農業革命は歴史上、最も物議を醸す部類の出来事だ。この革命で人類は繁栄と進歩への道を歩み出したと主張する、熱心な支持者がいる。一方、地獄行きにつながったと言い張る人もいる。(略)

 

農耕へ移行する前の紀元前一万年ごろ、地上には放浪の狩猟採集民が500万~800万ほどいた。それが、一世紀になると、狩猟採集民は(主にオーストラリアと南北アメリカとアフリカに)100万~200万人しか残っておらず、それをはるかに上回る2億5000万もの農耕民が世界各地で暮らしていた。」


「これは広範に影響の及ぶ革命で、その影響は建築上のものであると同時に、心理的なものでもあった。以後、「我が家」への愛着と、隣人たちとの分離は、以前よりずっと自己中心的なサピエンスの心理的特徴となった。」

 

「火の使用を別にすれば、狩猟採集民は自分たちが歩き回る土地に意図的な変化はほとんどもたらさなかった。」

 

「西暦1400年になっても、農耕民の大多数は、彼らの動植物とともに、わずか1100万平方キロメートル、つまり地表の2パーセントに身を寄せ合っていた。」

 

 <未来に関する概念>

 

「農耕民の空間が縮小する一方で、彼らの時間は拡大した。狩猟採集民はたいてい、翌週や翌月のことを考えるのに時間をかけたりしなかった。だが農耕民は、想像の中で何年も何十年も先まで、楽々と思いを馳せた。

狩猟採集民が未来を考慮に入れなかったのは、彼らがその日暮らしで、食べ物を保存したり、所有物を増やしたりするのが難しかったからだ。もちろん、明らかに彼らも先のことを多少は考えていた。」


〇ここで、狩猟採集民が未来を考慮に入れなかったというのは、主に、現在の狩猟採集民の部族の生き方を見て、そう考えるのでしょうか?

多分、考えなかった部族は、今も狩猟採集民を続けていて、それ以外の未来を考えずにいられなかった狩猟採集民は、農耕民へとなっていったのでは?と思うのですが。

「ところが農業革命のせいで、未来はそれ以前とは比べようもないほど重要になった。農耕民は未来を念頭に置き、未来のために働く必要があった。(略)


未来に関する懸念の根本には、季節の流れに沿った生産周期だけではなく、そもそも農耕に付きまとう不確実性もあった。」


〇山の木の実が豊作か不作かで、野鳥の動きも変わりますし、クマの動きも変わります。
多分、狩猟採集民にとっても、未来はとても気になるものだったろうと思います。だからこそ、「手を打てる状況」を作り出したいと考えて、農耕に移行してしまったのでは?と思うのですが。

でも、それが「罠」だったとすると、やはり、あの禅の教えを知るべきだったのでしょう。

「第一の心得は、「空の座」にすわること、「ただいま・ただここ」の一念に徹底して、ただ凡夫と成り切って、それから自然に湧き出る大慈大悲の室の中で、忍辱と精進の大方便の衣裳を著けて、自由・自在・自主で、自然なる「創造者」を働くことである。

これが人間として「このまま」の生き方である。(東洋的な見方より)」

「農耕民が未来を心配するのは、心配の種が多かったからだけでなく、それに対して何かしら手が打てたからでもある。彼らは、開墾して更に畑を作ったり、新たな灌漑水路を掘ったり、追加で作物を植え付けたりできた。


不安でしかたがない農耕民は、夏場の収穫アリさながら、狂ったように働きまくり、汗水垂らしてオリーブの木を植え、その実を子供や孫が搾り、すぐに食べたいものも、冬や翌年まで我慢した。

農耕のストレスは、広範な影響を及ぼした。そのストレスが、大規模な政治体制や社会体制の土台だった。

悲しいかな、勤勉な農耕民は、現在の賢明な労働を通して何としても手に入れようと願っていた未来の経済的安心を達成できることは、まずなかった。


至る所で支配者やエリート層が台頭し、農耕民の余剰食糧によって暮らし、農耕民は生きて行くのが精一杯の状態に置かれた。


こうして没収された食糧の余剰が、政治や戦争、芸術、哲学の原動力となった。余剰食糧のおかげで宮殿や砦、記念碑や神殿が建った。


近代後期まで、人類の9割以上は農耕民で、毎朝起きると額に汗して畑を耕していた。彼らの生み出した余剰分を、王や政府の役人、兵士、聖職者、芸術家、思索家といった少数のエリート層が食べて生きており、歴史書を埋めるのは彼らだった。


歴史とは、ごくわずかの人の営みであり、残りの人々はすべて、畑を耕し、水桶を運んでいた。」

〇ここで言われていることは、本当に納得です。西洋に「哲学」が発達したと言っても、余剰食糧が思索家を食べさせていたから、発達したのだろうと思います。

そして、時々思うのですが、西洋は一つになった時期がある、とヤスパースが言いましたけど、それだって、身分の差がはっきりしていて、一部の豊かな「文化人」が歴史を動かしていたからこそ、一つになれたのでは?と。

 

 <想像上の秩序>

 

〇この<想像上の秩序>は、とても興味深い内容でした。

 

「農耕民が生み出した余剰食糧と新たな輸送技術が組み合わさり、やがて次第に多くの人が、最初は大きな村落に、続いて町に、最終的には都市に密集して暮らせるようになった。そして、それらの村落や町や都市はすべて、新しい王国や商業ネットワークによって結びつけられた。


とはいえ、こうした新しい機会を活用するためには、余剰食糧と輸送の改善だけでは不十分だった。一つの町で1000人を養えたり、一つの王国で100万人を養えたりするだけでは、人々が土地や水をどう分け合い、対立や紛争をどう解決するか、旱魃や戦争のときにどうするかについて、全員が同意できるとはかぎらない。


そして、合意に至ることが出来なければ、たとえ倉庫にあり余るほど物があっても、不和が拡がってしまう。歴史上の戦争や革命の大半を引き起こしたのは食糧不足ではない。フランス革命の先頭に立ったのは、飢えた農民ではなく、豊かな法律家たちだった。


古代ローマ共和国(共和制ローマ)は、地中海全域から艦隊が財宝を積んで来て、祖先が夢にも思わなかったほど豊かになった紀元前一世紀に権力の頂点に達した。だが、そうして豊かさを極めたまさにそのとき、ローマの政治体制は崩壊して一連の致命的な内戦が勃発した。


1991年のユーゴスラヴィアは、住民全員を養って余りある資源を持っていたにもかかわらず、分裂して恐ろしい流血状態に陥った。


こうした惨事の根本には、人類が数十人から成る小さな生活集団で何百万年も進化してきたという事実がある。農業革命と、都市や王国や帝国の登場を隔てている数千年間では、大規模な協力のための本能が進化するには、短過ぎたのだ。


そのような生物学的本能が欠けているにもかかわらず、狩猟採集時代に何百もの見知らぬ人同士が協力できたのは、彼らが共有していた神話のおかげだ。だが、この種の協力は穏やかで限られたものだった。


どのサピエンスの集団も、独立した生活を営み、自らの必要の大半を自ら満たし続けた。二万年前に社会学者が住んでいたなら、農業革命以降の出来事を全く知らないから、神話が威力を発揮できる範囲はかなり限られていると結論付けるのではないか。

 

祖先の霊や部族のトーテムについての物語は、500人が貝殻を交換し、風変わりな祭りを祝い、力を合わせてネアンデルタール人の集団を一掃できるほど強力ではあったが、それが限度だった。神話は何百万もの見知らぬ人同士が日常的に協力することを可能にしうるとは、例の古代の社会学者はけっして思わなかったことだろう。


だが、彼の考えは間違っていた。実は、神話は誰一人想像できなかったほど強力だったのだ。農業革命によって、混雑した都市や無数の帝国を打ち立てる機会が開かれると、人々は偉大なる神々や母国、株式会社にまつわる物語を創作し、必要とされていた社会的つながりを提供した。


人類の進化がそれまで通りのカタツムリの這うようなペースで続く中、人類の想像力のおかげで、地球上ではかつて見られなかった類の、大規模な協力の驚くべきネットワークが構築されていた。


紀元前8500年ごろ、世界で最大級の定住地はエリコのような村落で、数百人が住んでいた。紀元前7000年には、アナトリアのチャタル・ヒュユクの町の住民は、5000~一万を数えた。当時そこは、世界最大の定住地だったかもしれない。


紀元前5000年紀と4000年紀には、肥沃な三日月地帯(訳注 パレスティナ地方からペルシア湾に及ぶ、弧状の農業地帯)には、何万もの住民を擁する都市が続々とでき、そのそれぞれが、近隣の多くの村落を支配下に置いていた。

 

紀元前3100年には、ナイル川下流域全体が統一され、最初のエジプト王国となった。歴代のファラオは、何千平方キロメートルもの土地と、何十万もの人を支配した。紀元前2250年ごろには、サルゴン一世が世界初の帝国、アッカドを打ち立てた(訳注 本書では、通常は「王国」「王朝」などと呼ばれる国家体制も、著者の語の選択に準拠して「帝国」と訳してある)。


この帝国は、100万を超える臣民と、5400の兵から成る常備軍を誇った。紀元前1000年から紀元前500年にかけて、中東では初期の巨大帝国が現れ始めた。後期アッシリア帝国バビロニア帝国、ペルシア帝国だ。


これら三国はみな、何百万もの臣民を支配し、何万もの兵士を擁していた。」

 

「紀元前221年、秦朝が中国を統一し、その後まもなく、ローマが地中海沿岸を統一した。秦は4000万の臣民から取り立てた税で、何十万もの兵からなる常備軍と、10万以上の役人を抱える複雑な官僚制を賄った。


ローマ帝国はその全盛期には、最大一億の臣民から禅を徴収した。この歳入が、25万~50万の兵から成る常備軍や、1500年後になっても使われていた道路網、今日でも大がかりな出し物の舞台となる劇場や円形劇場の資金に充てられた。


見事であることに疑いはないが、ファラオのエジプトやローマ帝国で機能していた「大規模な協力のネットワーク」についてバラ色の幻想を抱いてはならない。「協力」というと、とても利他的に聞こえるが、いつも自発的とは考えられないし、平等主義に基づいていることはめったにない。


人類の協力ネットワークの大半は、迫害と搾取のためにあった。農民は急成長を遂げる協力ネットワークに対して、貴重な余剰食糧を提供させられた。収税吏が皇帝の権威を振りかざして、一筆書いただけで、まる一年分の重労働の成果を取り上げられるたびに、頭を抱えた。


有名なローマの円形劇場は、裕福で暇なローマ人が、奴隷が様々な健闘を演じるのを眺められるように、他の奴隷たちによって建設されることが多かった。監獄や強制収容所さえも、協力ネットワークであり、何千もの見知らぬ人どうしが、どうにかして協調行動を取ればこそ機能する。


古代メソポタミアの都市から秦やローマの帝国まで、こうした協力ネットワークは「
想像上の秩序」だった。すなわち、それらを維持していた社会規範は、しっかり根付いた本能や個人的な面識ではなく、共有された神話を信じる気持ちに基づいていたのだ。


神話はどうやって帝国全体を支えられるのか?そのような例は、すでに一つ取り上げた。プジョーだ。
今度は歴史上とりわけ有名な二つの神話を例に取ろう。一つは、紀元前1776年ごろに制定されたハンムラビ法典で、これは何十万もの古代バビロニア人の協力マニュアルの役割を果たした。


もう一方は、1776年に書かれたアメリカ合衆国の独立宣言で、これは何置くもの現代アメリカ人の協力マニュアルとして、今なお役割を果たしている。
紀元前1776年のバビロンは、世界最大の都市だった。そして、バビロニア帝国はおそらく世界最大の帝国で、臣民の数は100万を超えた。


この帝国は、現代のイラクの大部分と、シリアとイランの一部を含む、メソポタミアの大半を支配していた。今日もっともよく知られているバビロニアの王はハンムラビ
だ。彼の名声は、その名を冠したハンムラビ法典という文書に負うところが大きい。


これは法律と裁判の判決を集めたもので、ハンムラビを公正な王の役割も出るとして提示するとともに、バビロニア帝国全土におけるより画一的な法制度の基盤の役を担い、未来の世代に正義とは何か、公正な王はどう振舞うかを教えることを目的としていた。


そして、後に続く世代はたしかにこの法典に注目した。古代メソポタミアのエリート知識人やエリート官僚は、この文書を神聖視し、ハンムラビが亡くなって彼の帝国が廃墟と化した後もずっと、見習い筆写者たちが書き写し続けた。したがってハンムラビ法典は、古代メソポタミア人の社会秩序の理想を理解するためには、素晴らしい拠り所となる。


法典の冒頭には、メソポタミアの主要な神々であるアヌ、エンリル、マルドゥックがハンムラビを指名して、「この地に正義を生き渡らせ、悪しきものや邪なるものを排し、強者が弱者を迫害するのを防ぐ」任を負わせたとある。


続いて300の判決が、「もしこれこれのことが起こったなら、判決はこれこれである」という定型で示されている。たとえば、判決196~199と209~214は、以下の通りだ。


196   もし上層自由人が別の上層自由人の目を潰したなら、その者の目も潰さ
      れるものとする。

197   もし別の上層自由人の骨を折ったなら、その者の骨も折られるものとす
      る。

198   もし一般自由人の目を潰したり、骨を折ったりしたなら、その者は銀6
      0シュケル(訳注 シュケルは古代バビロニアの重さの単位で、一シュ
      ケルは8.33グラム)を量り、与えるものとする。


199   もし上層自由人の奴隷の目を潰したり骨を折ったりしたら、奴隷の価値
      の半分(の銀)を量り、与えるものとする。


209   もし上層自由人の男が上層自由人の女を打ち、そのせいで女が流産した
      なら、その者は胎児のために銀10シュケルを量り、与えるものとす
      る。


210   もしその女が死んだら、その者の娘を殺すものとする。

211   もし一般自由人の女を打ち、そのせいで女が流産したなら、その者は胎
      児のために銀5シュケルを量り、与えるものとする。

212   もしその女が死んだら、銀30シュケルを量り、与えるものとする。

213   もし上層自由人の女奴隷を打ち、そのせいで女が流産したなら、その者
      は銀2シュケル与えるものとする。


214   もしその女奴隷が死んだら、銀20シュケルを量り、与えるものとする。


判決を列挙した後、ハンムラビは再びこう宣言する。


これらは有能な王ハンムラビが打ち立て、それによりこの地を誠の道と正しい生き方に沿って進ませるよう命じた、公正なる判決である……我はハンムラビ、高貴な王なり。エンリル神によって我に委ねられ、マルドゥック神によって導くよう任された人民に対し、我は軽率であったことも怠慢であったこともかつてない。」

 

ハンムラビ法典は、バビロニアの社会秩序が神々によって定められた普遍的で永遠の正義の原理に根差していると主張する。このヒエラルキーの原理は際立って重要だ。この法典によれば、人々は二つの性と三つの階級(上層自由人、一般自由人、奴隷)に分けられている。


それぞれの性と階級の成員の価値はみな違う。女性の一般自由人の命は銀30シュケルに、女奴隷の命は銀20シュケルに相当するのに対して、男性の一般自由人の目は銀60シュケルの価値を持つ。


この法典は、家族の中にも厳密なヒエラルキーを定めている。それによれば、子供は独立した人間ではなく、親の財産だった。したがって、高位の男性が別の高位の男性の娘を殺したら、罰として殺害者の娘が殺される。殺人者は無傷のまま、無実の娘が殺されるというのは、私たちには奇妙に感じられるかもしれないが、ハンムラビとバビロニア人たちには、これは完璧に公正に思えた。


ハンムラビ法典は、王の臣民がみなヒエラルキーの中の自分の位置を受け容れ、それに即して行動すれば、帝国の100万の住民が効果的に協力できるという前提に基づいていた。効果的に協力できれば、全員分の食糧を生産し、それを効率的に分配し、敵から帝国を守り、領土を拡大してさらなる富と安全を確保できるというわけだ。


ハンムラビの死の約3500年後、北アメリカにあった13のイギリス植民地の住民が、イギリス王に不当な扱いを受けていると感じた。彼らの代表がフィラデルフィアの町に集まり、1776年7月4日、これらの植民地はその住民がもはやイギリス国王の臣民ではないと宣言した。


彼らの独立宣言は、普遍的で永遠の正義の原理を謳った。それらの原理は、ハンムラビのものと同様、神の力が発端となっていた。ただし、アメリカの髪によって定められた最も重要な原理は、バビロンの神々によって定められた原理とはいくぶん異なっていた。アメリカ合衆国の独立宣言には、こうある。


我々は以下の事実を自明のものと見なす。すなわち、万人は平等に造られており、奪うことのできない特定の権利を造物主によって与えられており、その権利には、生命、自由、幸福の追求が含まれる。


アメリカの礎となるこの文書は、ハンムラビ法典と同じで、もし人間がこの 文書に定められた神聖な原理に即して行動すれば、膨大な数の人民が効果的に協力して、公正で繁栄する社会で安全かつ平和に暮らせることを約束している。ハンムラビ法典と用、アメリカの独立宣言も書かれた時と場所だけに限られた文書ではなく、後に続く世代にも受受け容れ。られたアメリカの児童生徒は200年以上にわたって、この文書を書き写し、そらんじてきた。


これら二つの文書は私たちに明らかな矛盾を突きつける。ハンムラビ法典アメリカの独立宣言はともに、普遍的で永遠の正義の原理を略述するとしているものの、アメリカ人によれば、すべての人は平等なのに対して、バビロニア人によれば、人々は明らかに同等ではないことになる。


もちろん、アメリカ人は自分が正しく、ハンムラビが間違っているというだろう。当然ながらハンムラビは、自分が正しくアメリカ人が間違っていると言い返すだろう。じつは、両者はともに間違っている。ハンムラビもアメリカの建国の父たちも、現実は平等あるいはヒエラルキーのような普遍的で永遠の正義の原理に支配されていると想像した。


だが、そのような普遍的原理が存在するのは、サピエンスの豊かな想像や、彼らが創作して語り合う神話の中だけなのだ。これらの原理には、何ら客観的な正当性はない。


私たちにとって、「上層自由人」と「一般自由人」という人々の分割が想像上の産物であることを受け容れるのはたやすい。とはいえ、あらゆる人間が平等であるという考え方も、やはり神話だ。いったいどういう意味合いにおいて、あらゆる人間は互いに同等なのだろう?


人間の想像の中を除けば、いったいどこに、私たちが真に平等であるという客観的現実がわずかでもあるだろうか?あらゆる人間が生物学的に同等なのか?先ほど挙げた、アメリカの独立宣言で最も有名な以下の文を、生物学的な言葉で言い換えられるか、試してみよう。


我々は以下の事実を自明のものと見なす。すなわち、万人は平等に造られており、奪うことのできない特定の権利を造物主によって与えられており、その権利には、生命、自由、幸福の追求が含まれる。


生物学という科学によれば、人々は「造られ」たわけではないことになる。人々は進化したのだ。そして、彼らは間違っても「平等に」なるようには進化しなかった。平等という考えは、天地創造という考えと分かち難く結びついている。アメリカ人は平等という考えをキリスト教から得た。


キリスト教は、誰もが神によって造られた魂を持っており、あらゆる魂は神の前で平等であるとする。だが、もし私たちが神や天地創造や魂についてのキリスト教の神話を信じていなければ、あらゆる人が「平等」であるとは、何を意味するのか?進化は平等ではなく差異に基づいている。誰もがいくぶん異なる遺伝子コードを持っており、誕生の瞬間から異なる環境の影響にさらされている。その結果、異なる生存の可能性を伴う。異なる特性が発達する。従って、「平等に造られ」は「異なった形で進化し」と言い換えるべきだ。

 

生物学という科学によれば、人々はけっして造られなかったばかりでなく、彼らに何であれ「与え」る「造物主」も存在しない。行き当たりばったりの進化の過程があるだけで、何の目的もなく、それが個々の人の誕生につながる。「造物主によって与えられる」はたんに「生まれる」とすべきだ。


また、生物学には権利などというものもない。あるのは器官や能力や特徴だけだ。鳥は飛ぶ権利があるからではなく翼があるから飛ぶ。そしてこれらの器官や能力や特徴が「奪うことのできない」というのも正しくない。その多くがたえず突然変異を起こしており、時と共に完全に失われるかも知れない。ダチョウは鳥だが、飛ぶ能力を失った。したがって、「奪うことのできない権利」は「変わりやすい特徴」とするべきだ。


それから、人類で進化した特徴は何だろう?「生命」は間違いなく含まれる。だが、「自由」は?生物学には自由などというものはない。平等や権利や有限責任会社とまったく同じで、自由は人間が創作したもので、人間の想像の中にしか存在しない。生物学の視点に立つと、民主的な社会の人間は自由で、独裁国の人間は自由がないと言うのは無意味だ。


それでは「幸福」はどうだろう?これまでのところ生物学の研究は、幸福の明確な定義や、幸福を客観的に計測する方法を生み出せずにいる。ほとんどの生物学的研究は、快感の存在しか認めていない。快感のほうが定義も計測も簡単だからだ。そこで、「生命、自由、幸福の追求」は、「生命と、快感の追求」に書き換えるべきだ。


というわけで、アメリカ独立宣言の例の一文を生物学の言葉に翻訳すると、以下のようになる。


我々は以下の事実を自明のものと見なす。すなわち、万人は異なった形で進化しており、変わりやすい特定の特徴を持って生まれ、その特徴には、生命と快感の追求が含まれる。


平等と人権の擁護者は、このような論法には憤慨するかもしれない。そしておそらく、こんな風に応じるだろう。「人々が生物学的に同等でないこと等承知している!だが、私たちはみな本質において平等であると信じれば、安定し、繁栄する社会を築けるのだ」と。私は、それに反論する気はさらさらない。それこそまさに、私の言う「想像上の秩序」に他ならないからだ。


私たちが特定の秩序を信じるのは、それが客観的に正しいからではなく、それを信じれば効果的に協力して、より良い社会を作り出せるからだ。「想像上の秩序」は邪悪な陰謀や無用の幻想ではない。むしろ、多数の人間が効果的に協力するための唯一の方法なのだ。


ただし、覚えておいてほしいのだが、ハンムラビなら、ヒエラルキーについて自分の原理を、同じロジックを使って擁護したかもしれない。「上層自由人、一般自由人、奴隷は本来異なる種類の人間ではないことを、私は承知している。だが、異なっていると信じれば、安定し、繁栄する社会を築けるのだ」と。」


アメリカ独立宣言にある「平等に造られており」という言葉は、そう信ずれば皆で協力し繁栄する社会を築けるから、というこのハラリ氏の主張に少し異議があります。

「平等」というのは、存在の「平等」さだと思うのです。
「精神の生活 下」にハイデガーの言葉が引用されていました。

「「生成の無垢」と「永劫回帰」は精神の能力から引き出したものではない。その根拠にあるのは、我々が世界に「投げ出され」(ハイデガー)ており、誰も我々がここにいたいのか、今ある状態を願っているのかと尋ねたことのないという議論の余地のない事実である。(精神の生活より)」

「この世界に投げ出されて」いない人間はいません。誰もがみな、同じように(平等に)投げ出されています。明日をも知れぬ運命の中で生きています。

私はそれは客観的事実だと思います。

ただ、そのことはなかなか気づきにくいし、一言で説明しにくいので、このハラリ氏は、わかりやすくこんな風に言ったのかな?と思ったのですが。

<想像上の秩序>については、132ページから143ページまで、全文を書き写しました。

下巻のあとがきに、「人間には数々の驚くべきことができるものの、私たちは自分の目的が不確かなままで、相変わらず不満に見える。」

という言葉がありました。私たち人間は<想像上の秩序>で、協力ネットワークを築き、やってきた。私たちはどんな世界を願っているのか。目的はなんなのか。
そこをはっきりさせなければ、地球の生態系を破滅させ、自らも滅びるしかない、と言っているのだと思いました。

 

<真の信奉者>

 

「ここまでの数段落を読みながら、椅子の上で身悶えした読者も少なからずいたことだろう。今日、私たちの多くはそうした反応を見せるように教育されている。

ハンムラビ法典は神話だと受け容れるのは簡単だが、人権も神話だという言葉は聞きたくない。もし、人権は想像の中にしか存在しないことに人々が気付けば、私たちの社会が崩壊する危険はないのか?


ヴォルテールは神についてこう言っている。「神などいないが、私の召使いには教えないでくれ。さもないと、彼に夜中に殺されかねないから」と。」


「そのような恐れはしごくもっともだ。自然の秩序は安定した秩序だ。重力が明日働かなくなる可能性はない。たとえ、人々が重力の存在を信じなくなっても。


それとは対照的に、想像上の秩序は常に崩壊の危険を孕んでいる。なぜならそれは神話に依存しており、神話は人々が信じなくなった途端に消えてなくなってしまうからだ。想像上の秩序を保護するには、懸命に努力し続けることが欠かせない。


そうした努力の一部は、暴力や強制という形を取る。軍隊、警察、裁判所、監獄は、想像上の秩序に即して行動するよう人々を強制するために、休むことなく働いている。(略)1860年にアメリカ国民の過半数が、アフリカ人奴隷は人間であり、したがって自由という権利を享受してしかるべきだと結論した時、南部諸州を同意させるには、血なまぐさい内戦を必要とした。」

 

「たった一人の聖職者が兵士100人分の働きをすることはよくある。それも、はるかに安く、効果的に。そのうえ、銃剣がどれほど効率的でも、誰かがそれを振るわなければならない。


自分が信じていない想像上の秩序など、兵士や看守、裁判官、警察がどうして維持するだろうか?

人間の集団活動のうちで、暴力ほど組織するのが難しいものはない。(略)


軍隊を強制だけによって組織することは不可能だ。少なくとも、一部の指導官と兵士が、神、名誉、母国、男らしさ、お金であれ何であれ、ともかく何かを心から信じている必要がある。」


「だから冷笑家は帝国を建設せず、想像上の秩序は人口の相当部分(それも、とくにエリート層や治安部隊の相当部分)が心からそれを信じている時にだけしか維持できない。


キリスト教は、司教や聖職者の大半がキリストの存在を信じられなかったら、2000年も続かなかっただろう。


アメリカの民主主義は、大統領と連邦議会員の大半が人権の存在を信じられなかったら、250年も持続しなかっただろう。近代の経済体制は、投資家と銀行家の大半が資本主義の存在を信じられなかったら、一日も持たなかっただろう。」


〇「たとば(神)などはいない。でも、(神)を信じる虚構が協力を可能にした」というような話は、以前、「プジョー伝説」というたとえ話で、語られました。

「想像上の現実は噓とは違い、誰もがその存在を信じているもので、その共有信念が存在する限り、その想像上の現実は社会の中で力をふるい続ける。」

「サピエンスはこのように、認知革命以降ずっと二重の現実の中に暮らしてきた。一方には、川や木やライオンと言った客観的現実が存在し、もう一方には、神や国民や法人といった想像上の現実が存在する。」

〇この「信じる」というのは、実際に自分がその中に身を投じてみると、とても不思議なことだと思いました。以前も書きましたが、私は宗教などは軽蔑していた人間です。そんな嘘を信じてまで、楽に生きたいのか?と思っていました。

でも、実際に、生きるとなると、一言でいってしまうと、人間って何かを信じて生きない限り、空しい気持ちになって、元気に生きられない動物なんだと、認めるしかなかったのです。

「空の空、その空を生きる」というのもまた、一つの信念だと思います。
でも、何にしろ、何かを信じて生きるしかないのが人間。
多分、そういうDNAが入ってしまっているのでしょう。

だったら、何を信じるか…

冷笑主義か、お金か、何も信じないという信念か…

どうせ信じて生きるしかないのが人間なら、みんなで元気になれて、みんなで幸せになれる(かもしれない)ものを信じたいと思いました。


そして、信じるとなると…
これも不思議なのですが、本当に心から信じて、そこにもう一つの「確かな現実」が生まれてしまいます。不思議だなぁと思います。

私は、このハラリ氏が、そこのところをしっかりと確認してみせてくれているのが、
すごい!と思います。


そして、あと一つ思ったのは、日本人社会は何を信じているのでしょうか?
天皇制?民主主義?

帝国など作らない「冷笑主義者」が多いのか…

 

<脱出不能の監獄>

キリスト教や民主主義、資本主義といった想像上の秩序の存在を人々に信じさせるにはどうしたらいいのか?まず、その秩序が想像上のものだとは、けっして認めてはならない。

社会を維持している秩序は、偉大な神々あるいは自然の法則によって生み出された客観的実体であると、常に主張する。

人々が同等ではないのは、ハンムラビがそう言ったからではなく、エンリルとマルドゥクがそう定めたからだ。


人々が平等なのは、トマス・ジェファーソンがそう言ったからではなく、神がそのように人々を創造したからだ。


自由市場が最善の経済制度なのは、アダム・スミスがそう言ったからではなく、それが不変の自然法則だからだ。」


「人文科学や社会科学は、想像上の秩序が人生というタペストリーにいったいどのように織り込まれているかを説明することに、精力の大半を注ぎ込んでいる。(略)


そこには三つの主要な要因があって、自分の人生をまとめ上げている秩序が自分の想像の中にしか存在しないことに人々が気づくのを妨げている。


a  想像上の秩序は物質的世界に埋め込まれている。
  (略)
今日の西洋人の大半は、個人主義を信条としている。彼らは、すべての人間は個人であり、その価値は他の人がその人をどう思うかに左右されないと信じている。私たちの誰もが、自分の中に、人生に価値と意義を与えるまばゆい一筋の光を持っている。現代の西洋の学校では、教師と親が子供たちに、クラスメイトにからかわれたら無視するように言う。他人ではなく子供たち自身だけが、自分の真の価値を知っているというわけだ。
   (略)

中世の貴族は個人主義を信奉していなかった。人の価値は社会のヒエラルキーにその人が占める位置や、他の人々がその人についてどう言っているかで決まった。

笑われるのは恐ろしい不名誉だった。貴族は自分の子どもたちに、どんな犠牲を払っても評判を守るように教えた。現代の個人主義と同じで、中世の価値体系も想像を離れて、中世の石造りの城という形で明示された。城には子供たちのための個室はめったになかった(そもそも、子供以外のための個室もなかった)。(略)」


〇この中世の貴族の価値観はまさに、日本社会の価値観と似てると思いました。びっくりです。個人主義を信じない限り、ヒエラルキーを信じるので、そうなってしまう、ということなのでしょうか?

 


「b 想像上の秩序は私たちの欲望を形作る。


たいていの人は、自分たちの生活を支配している秩序が想像上のものであることを受け容れたがらないが、実際には、誰もがすでに存在している想像上の秩序の中へと生まれてきて、その人の欲望は誕生時から、その秩序の中で支配的な神話によって形作られる。したがって、私たちの個人的欲望は、想像上の秩序にとって最も重要な砦となる。


たとえば、今日の西洋人が一番大切にしている欲望は、何世紀も前からある、ロマン主義国民主義、資本主義、人間至上主義の神話によって形作られている。(略)


人々が、ごく個人的な欲望と思っているものさえ、たいていは想像上の秩序によってプログラムされている。(略)


ロマン主義は、人間としての自分の潜在能力を最大限発揮するには、できるかぎり多くの異なる経験をしなくてはならない、と私たちに命じる。(略)


消費主義は、幸せになるためにはできるかぎり多くの製品やサービスを消費しなくてはならない、と私たちに命じる。(略)」


〇昔、「消費は美徳」というフレーズが盛んに言われました。最初に聞いた時は、疑いながら聞きました。(だいたい、何でも疑い深いのです(^-^;)
でも、少し大人になって、経済の仕組みがわかるようになると、消費しなければ、経済が活性化せず、活性化しなけれが、国民生活が苦しくなるからなのだ、とわかり納得しました。

でも、今思うとそれもある種の「目くらまし」にあっていたのだと思います。

古代エジプトのエリート層同様、たいていの文化のたいていの人は、人生をピラミッドの建設に捧げる。(略)たとえば、プールと青々とした芝生の庭がある郊外の住宅や、羨望に値するほど見晴らしの良いきらびやかなペントハウスといった形を取ることもある。そもそも私たちにピラミッドを欲しがらせる神話について問う人はほとんどいない。」

 

「c  想像上の秩序は共同主観的である。

私が超人的努力をして自分の個人的欲望を想像上の秩序から解放することに成功したとしても、それは私ただ一人のことでしかない。想像上の秩序を変えるためには、何百万という見ず知らずの人を説得し、彼らに協力してもらわなければならない。なぜなら、想像上の秩序は、私自身の想像の中に存在する主観的秩序ではなく、膨大な数の人々が共有する想像の中に存在する、共同主観的秩序だからだ。(略)

「たとえば、放射能は神話ではない。放射線放射は、人類が発見するよりもはるか前から起こっていたし、人々がその存在を信じていない時にさえ、危険だ。(略)


「主観的」なものは、単一の個人の意識や信念に依存して存在している。本人が信念を変えれば、その主観的なものも消えたり変わったりしてしまう。(略)


同様に、ドルや人権、アメリカ合衆国も、何十億という人が共有する想像の中に存在しており、誰であれ一人の人間がその存在を脅かすことはありえない。(略)


想像上の秩序から逃れる方法は無い。監獄の壁を打ち壊して自由に向かって脱出した時、じつは私たちはより大きな監獄の、より広大な運動場に走り込んでいるわけだ。」

〇だからこそ、「よりよい想像上の秩序」「よりマシな想像上の秩序」を作る努力が必要だという主張が感じられます。

 

<書記体系の発明>

 

「進化は人類にサッカーをする能力を与えてはくれなかった。(略)いつの日にであれ、午後に学校のグラウンドで知らない人たちと試合をするには、それまで一度も会ったことがないかも知れないような人10人と協力しなければならないばかりでなく、敵の11人の選手が同じルールでプレイしていることを了解してもいなければならない。


他の個体と儀式化した攻撃行動を取る人間以外の動物はすべて、主に本能からそうしている。世界中の子犬は、喧嘩のような荒々しい遊びのルールが遺伝子にもともと組み込まれている。

だが、人間のティーンエイジャーは、サッカーのための遺伝子など持っていない。それでも赤の他人とサッカーができるのは、誰もがサッカーについて同一の考えを学んだからだ。それらの考えは完全に想像上のものなのだが、全員が共有していれば、誰もがサッカーができる。


同じことがもっと大規模な形で、王国や教会、交易ネットワークにも当てはまるが、そこには一つ重要な違いがある。サッカーのルールは比較的単純で完結であり、狩猟採集民の生活集団や小さな村落での協力に必要なルールによく似ている。(略)


だが、22人ではなく、何千人、いや何百万人もがかかわる大規模な協力体制の場合には、誰であれ一個人の脳では保存や処理がとうていできないほどの、膨大な量の情報を扱い、保存する必要がある。」

 

「帝国は厖大な量の情報を生み出す。帝国は法律以外にも、さまざまな業務や税金の記録、軍需品の目録や商船の目録、祝祭や戦勝記念の日程といったものを維持しなければならない。


人々は何百万年にもわたって、ただ一か所に情報を保存してきた。すなわち、自分の脳に。あいにく、人間の脳は帝国サイズのデータベースの保存装置としてはふさわしくない。それには三つの理由がある。


第一に、脳は容量が限られている。(略)
第二に、人間は死に、脳もそれとともに死ぬ。(略)
第三に、人間の脳は特定の種類の情報だけを保存し、処理するように適応してきた。(略)だが、農業革命の後、著しく複雑な社会が出現し始めると、従来とは全く異なる種類の情報が不可欠になった。数だ。(略)これらの数をすべて記憶し、思い出し、処理する必要に迫られた時、ほとんどの人間の脳は情報の過剰摂取に陥るか、あるいは眠りに陥る。(略)」


「紀元前3500年と紀元前3000年の間に、名も知れぬシュメール人の天才が、脳の外で情報を保存して処理するシステムを発明した。(略)シュメール人が発明したこのデータ処理システムは、「書記」と呼ばれる。」

 

<「クシム」という署名>

 

「(略)この初期の段階では、書記は事実と数に限られていた。仮にシュメール人の傑作小説などと言うものがあったとしても、それが粘土板に記されることはけっしてなかった。」

 

「私たちの祖先が残した最初期のメッセージには、たとえば、「二万九〇八六 大麦 三七カ月 クシム」などと書かれている。」


シュメール人は、自分たちの書記体系が詩歌を書くのにはふさわしくないことを気にしていなかった。(略)コロンブスアメリカ大陸に到来する以前のアンデスの文化など、一部の文化は、その歴史を通して不完全な書記体系しか使わず、その書記体系はシュメールの書記体系とは大きく異なった。


実際、あまりに異なるので、まったく書記体系などではなかったと主張する人も多いだろう。それは粘土板に刻まれたり神に書かれたりするのではなく、色のついた縄に結び目を作って記すものだった。これをキープ(結縄(けつじょう))という。」

 

 

<官僚制の驚異>

 

メソポタミア人はやがて、単調な数理的データ以外のものも書きとめたいと思い始めた。紀元前3000年から紀元前2500年にかけて、次第に多くの記号がシュメール語の書記体系に加えられ、今日では楔形文字と呼ばれる完全な書記体系へと徐々に変わって行った。」

 

「完全な書記体系は、これらの初期の中心地から各地へ広がり、さまざまな新しい形を取り、斬新な役割を担う方になった。人々は詩歌や歴史書、伝奇物語、戯曲、預言、料理本などを書き始めた。(略)


ヘブライ聖書(旧約聖書)、ギリシアの「イリアス」、ヒンドゥー教の「マハーバーラタ」、仏教の三蔵(経蔵・律蔵・論蔵)はすべて、もともと口承作品だった。」

 

「現代の考古学者は、古代メソポタミアの学校で行われた初期の練習の遺物を発見した。それを見ると、約4000年前の生徒たちの日華が窺える。


教室に入って座ると、先生が私の粘土板を読んだ。先生は言った。「漏れがある!」
そして先生は私を鞭打った。
担当者の一人が言った「私の赦しもなしになぜ口を開けたのか?」
そしてその担当者は私を鞭打った。
規律の担当者が言った。「私の許しもなしになぜ立ち上がったのか?」
そしてその担当者は私を鞭打った。
門番が言った。「私の許しもなしになぜ出ていくのか?」
そして門番は私を鞭打った。
ビールの入れ物の番人が言った。「私の許しもなしになぜ飲んだのか?」
そして番人は私を鞭打った。
シュメール語の先生は言った。「なぜアッカド語を話したのか?」
そして先生は私を鞭打った。
先生は言った。「お前の書き方はなっていない!」
そして先生は私を鞭打った。」


「このような引出しのシステムを運営する人は、正常に機能するためには、普通の人間として考えるのをやめて、整理係や会計士として考えるように、頭をプログラムし直さなければならない。


古代から今日に至るまで、誰もが知っている通り、整理係や会計士は普通の人間とは違う思考法を採る。彼らは書類整理用のキャビネットのように考えるのだ。


それは彼らの落ち度ではない。そのように考えなければ、彼らの引き出しは大混乱になり、彼らは政府や企業や組織が必要とするサービスを提供できないだろう。


書記体系が人類の歴史に与えた最も重要な影響は、人類が世の中について考えたり、世の中を眺めたりする方法を、徐々に変えたことだ。自由連想と網羅的思考は、分類と官僚制に道を譲ったのだ。」

 

<数の言語>

「何世紀も過ぎるうちに、官僚制のデータ処理方法は、人間の自然な思考法からますますかけ離れていった。そしてますます重要になっていった。ある、決定的に重要な進展が九世紀より前に起こった。


新しい不完全な書記体系が発明され、前代未聞の効率性をもって数理的データを保存したり処理したりできるようになったのだ。この不完全な書記体系は〇から九までの一〇個の数を表す記号から成っていた。


紛らわしい話だが、これらの記号は古代インド人が最初に発明したにもかかわらず、アラビア数字として知られている(さらにややこしいのだが、現代のアラビア人は西洋のものとは外見が非常に異なる数字を使っている)。


だが、アラビア人がその栄誉にあずかったのは、彼らがインドに進入した時、この数字のシステムに出会い、その有用性を理解し、それを洗練させ、まず中東に、その後ヨーロッパに広めたからだ。


後にアラビア数字にいくつか他の記号(足し算や引き算、掛け算の記号など)が加えられると、近代的な数学的表記の基礎が誕生した。


この書記の体系は今なお不完全な書記体系のままだが、世界の最も有力な言語となった。」


「したがって、政府や組織、企業の決定に影響を与えたいと望む人は数を使って語ることを学ぶ必要がある。」


「だが、話はここで終わらない。人工知能の分野は、コンピューターの二進法の書記体系だけに基づいた新しい種類の知能を生み出そうとしている。「マトリックス」や「ターミネーター」といったサイエンス・フィクション映画は、二進法の書記体系が人類の軛をかなぐり捨てた日のことを描いている。


反乱を起こしたこの書記体系を人類が再び手懐けようとしたとき、この書記体系はそれに反発し、人類を一掃しようと試みるのだ。」

 

 

 

 

 

 

 

                       

サピエンス全史 上  第5章 農耕がもたらした繁栄と悲劇

「人類は250万年にわたって植物を採集し、動物を狩って食料としてきた。そして、これらの動植物は、人間の介在なしに暮らし、繁殖していた。」


ホモ・サピエンスは、東アフリカから中東へ、ヨーロッパ大陸とアジア大陸へ、そして最後にオーストラリア大陸アメリカ大陸へと広がったが、サピエンスもどこへ行こうが、野生の植物を収集し、野生の動物を狩ることで暮らし続けた。


他のことなどする理由があるだろうか?なにしろ、従来の生活様式でたっぷり腹が満たされ、社会構造と宗教的信仰と政治的ダイナミクスを持つ豊かな世界が支えられているのだから。


だが、一万年ほど前にすべてが一変した。それは、いくつかの動植物種の生命を操作することに、サピエンスがほぼすべての時間と労力を傾け始めた時だった。


人間は日の出から日の入りまで、種を蒔き、作物に水をやり、雑草を抜き、青々とした草地にヒツジを連れていった。こうして働けば、より多くの果物や穀物、肉が手に入るだろうと考えてのことだ。

これは人間の暮らし方における革命、すなわち農業革命だった。」


「今でさえ、先進的なテクノロジーのいっさいをもってしても、私たちが摂取するカロリーの9割以上は、私たちの祖先が紀元前9500年から紀元前3500年にかけて栽培化した、ほんの一握りの植物、すなわち小麦、稲、トウモロコシ、ジャガイモ、キビ、大麦に由来する。(略)


私たちの心が狩猟採集民のものであるなら、料理は古代の農耕民のものと言える。


かつて学者たちは、農耕は中東の単一の発祥地から世界各地へ広がったと考えていた。だが今日では、中東の農耕民が自らの革命を輸出したのではなく、他の様々な場所でもそれぞれ完全に独立した形で発生したということで、学者たちの意見は一致している。」


「私たちの祖先が狩猟採集した何千もの種のうち、農耕や牧畜の候補として適したものはほんのわずかしかなかった。それらは特定の地域に生息しており、そこが農業革命の舞台となったのだ。

かつて学者たちは、農業革命は人類にとって大躍進だったと宣言していた。彼らは、人類の頭脳の力を原動力とする、次のような進歩の物語を語った。進化により、次第に知能の高い人々が生み出された。そしてとうとう、人々はとても利口になり、自然の秘密を解読できたので、ヒツジを飼い慣らし、小麦を栽培することができた。


そして、そうできるようになるとたちまち、彼らは身にこたえ、危険で簡素なことの多い狩猟採集民の生活をいそいそと捨てて腰を落ち着け、農耕民の愉快で満ち足りた暮らしを楽しんだ。

だが、この物語は夢想に過ぎない。人々が時間と共に知能を高めたという証拠は皆無だ。(略)

人類は農業革命によって、手に入る食糧の総量を確かに増やすことは出来たが、食糧の増加は、より良い食生活や、より長い余暇には結びつかなかった。


むしろ、人口爆発と飽食のエリート層の誕生につながった。平均的な農耕民は、平均的な狩猟採集民よりも苦労して働いたのに、見返りに得られる食べものは劣っていた。農業革命は、史上最大の詐欺だったのだ。」

 

「ここで小麦の立場から農業革命について少し考えてほしい。(略)生存と繁殖という、進化の基本的規準に照らすと、小麦は植物のうちでも地球の歴史上で指折りの成功を収めた。(略)世界全体では、小麦は225万平方キロメートルの地表を覆っており、これは、日本の面積の約6倍に相当する。この草は、取るに足りないものからる所に存在するものへと、どうやって変わったのか?

小麦は自らに有利な形でホモ・サピエンスを操ることによって、それを成し遂げた。(略)


2000年ほどのうちに、人類は世界の多くの地域で、朝から晩までほとんど小麦の世話ばかりを焼いて過ごすようになっていた。楽なことではなかった。小麦は非常に手がかかった。


岩や石を嫌うので、サピエンスは汗水たらして畑からそれらを取り除いた。(略)
小麦は多くの水を必要としたので、人類は泉や小川から苦労して運び、与えてやった。小麦は養分を貪欲に求めたので、サピエンスは動物の糞便まで集めて、小麦の育つ地面を肥やしてやることを強いられた。

ホモ・サピエンスの身体は、そのような作業のために進化してはいなかった。石を取り除いたり水桶を運んだりするのではなく、リンゴの木に登ったり、ガゼルを追いかけたりするように適応していたのだ。

人類の脊椎や膝、首、土踏まずにそのつけが回された。古代の骨格を調べると、農耕への移行のせいで、椎間板ヘルニアや関節炎、ヘルニアといった、実に多くの疾患がもたらされたことがわかる。


そのうえ、新しい農業労働にはあまりにも時間がかかるので、人々は小麦畑のそばに定住せざるをえなくなった。そのせいで、彼らの生活様式が完全に変わった。


このように、私たちが小麦を栽培化したのではなく、小麦が私たちを家畜化したのだ。」


「それでは小麦は、どうやってホモ・サピエンスを説得し、素晴らしい生活を捨てさせ、もっと惨めな暮らしを選ばせたのか?見返りに何を提供したのか?より優れた食生活は提供しなかった。(略)


小麦は経済的安心を与えてはくれなかった。(略)もし雨が十分降らなかったり、イナゴの大群が来襲したり、その主要食糧の品種をある種の菌類が冒すようになったりすると、農耕民は何千から何百万という単位で命を落した。


小麦はまた、人類どうしの暴力から守られるという安心もあたえてくれなかった。(略)

村落や部族以上の政治的枠組みを持たない単純な農耕社会では、暴力は全死因の15パーセント、男性の死因の25パーセントを占めていたとする、人類学や考古学の研究が多数ある。


現代のニューギニアでは、ダニ族の農耕部族社会での男性の死因の30パーセントが暴力に帰せられる。(略)


やがて、都市や王国、国家といった、より大きな社会的枠組みの発達を通して、人類の暴力は抑え込まれた。だが、そのような巨大で効果的な政治構造を築くには、何千年もの月日がかかった。


たしかに村落の生活は、野生動物や雨、寒さなどから前よりもよく守られるといった恩恵を、初期の農耕民にただちにもたらした。とはいえ、平均的な人間にとっては、おそらく不都合な点の方が好都合な点より多かっただろう。」


「それでは、いったいぜんたい小麦は、その栄養不良の中国人少女を含めた農耕民に何を提供したのか?実は、個々の人々には何も提供しなかった。(略)


野生の植物を採集し、野生の動物を狩って食いつないでいた紀元前一万三千年ごろ、パレスティナのエリコのオアシス周辺地域では、比較的健康で栄養状態の良い人々およそ100人から成る放浪の集団を一つ維持するのがせいぜいだった。


ところが、紀元前8500年ごろ、野生の草が小麦畑に取って代わられたときには、そのオアシスでは、もっと大きいものの窮屈な、1000人規模の村がやっていけた。ただし、人々は病気や栄養不良にはるかに深刻に苦しんでいた。」


「これ、すなわち前より劣悪な条件下であってもより多くの人を生かしておく能力こそが農業革命の神髄だ。

とはいえ、この進化上の算盤勘定など、個々の人間の知ったことではないではないか。正気の人間がなぜわざわざ自分の生活水準を落してまで、ホモ・サピエンスのゲノムの複製の数を増やそうとするのか?


実は、誰もそんな取引に合意したわけではなかった。農業革命は罠だったのだ。」

〇野生動物に襲われて死ぬ恐怖というのは、大きいと思います。私ならそう思います。たとえ、生活水準を落しても、その恐怖から逃れられるなら、定住して農業に、という気持ちはわかるような気がするのですが。

 

<贅沢の罠>

 

「この変化は段階を追うもので、各段階では、日々の生活がわずかに変わるだけだった。」


「他の多くの哺乳動物と同じで、人類は繁殖を制御するのを助けるホルモンや遺伝子の仕組みを持っている。」

 

「他にも、完全な、あるいは部分的な性的禁欲(文化的タブーの後押しがあったかもしれない)、妊娠中絶、ときおりの間引きといった方法も採られた。」


「最初のうちは、収穫期に四週間ほど野営していたかもしれない。二、三〇年すると、小麦が増えて広がり、収穫の野営も五週間、六週間と延び、ついには永続的な村落になった。そのような定住地の証拠は、中東、とくに紀元前一万二千五〇〇年から紀元前九千五〇〇年にかけてナトゥーフ文化が栄えたレヴァント地方で発見されている。」


「野生の小麦を採集していた人と、栽培化した小麦を育てていた人とは、何であれ単一のステップで隔てられているわけではないので、農耕への決定的な移行がいつ起こったかを正確にいうのは難しい。」


「だが、食べさせてやらなければならない人が増えたので、余剰の食物はたちまち消えてなくなり、さらに多くの畑で栽培を行わなければならなかった。」


「時がたつにつれて、「小麦取引」はますます負担が大きくなっていった。子供が大量に死に、大人は汗水垂らしてようやく食いつないだ。


紀元前8500年にエリコに住んでいた平均的な人の暮らしは、同じ場所に紀元前9500年あるいは一万三千年に住んでいた平均的な人の暮らしよりも厳しかった。

だが、何が起こっているのか気づく人は誰もいなかった。各世代は前の世代と同じように暮し、物事のやり方に小さな改良を加える程度だった。皮肉にも一連の「改良」は、どれも生活を楽にするためだったはずなのに、これらの農耕民の負担を増やすばかりだった。」


〇今も同じようなことが起こっているようです。いわゆる「安売りスーパー」のような所で、安い物を買う、その行動が結果として、安売りスーパーの従業員の給料を低くし、その物を作っている人々の給料も低くする。

儲かるのは、オーナーだけ、というシステムになっていると、聞いたことがあります。

そして、「何が起こってるのか気づくのは誰もいない」状態です。


「人々はなぜ、このような致命的な計算違いをしてしまったのか?それは、人々が歴史を通じて計算違いをしてきたのと同じ理由からだ。人々は、自らの決定がもたらす結果の全貌を捉えきれないのだ。」


「より楽な暮らしを求めたら、大きな苦難を呼び込んでしまった。しかもそれはこのとき限りのことではない。苦難は今日も起こる。」


「歴史の数少ない鉄則の一つに、贅沢品は必需品となり、新たな義務を生じさせる、というものがある。」


「贅沢の罠の物語には、重要な教訓がある。(略)数人の腹を満たし、少しばかりの安心を得ることを主眼とする些細な一連の決定が累積効果を発揮し、古代の狩猟採集民は焼けつくような日差しの下で桶に水を入れて運んで日々を過ごす羽目になったのだ。」

 

<聖なる介入>

 

「以上の筋書きは、農業革命を計算違いとして説明するものだった。じつに説得力がある。(略)だが、生産違い以外の可能性もある。農耕への移行をもたらしたのは、楽な生活の探求ではなかったかもしれない。

サピエンスは他にも強い願望を抱いており、それらを達成するためには、生活が厳しくなるのも厭わなかったかもしれないのだ。」

 

「1995年、考古学者たちはトルコ南東部のギョベクリ・テペと呼ばれる場所で遺跡の発掘を始めた。(略)


一つひとつの石柱は、最大で七トンあり、高さは五メートルに達した。近くの採石場では、削り出しかけの石柱が一つ発見された。重さは50トンもあった。全部で10を超える記念碑的構造物が発掘され、最大のものは差し渡しが30メートル近くあった。」


「ところがギョベクリ・テペの構造物は、紀元前9500年ごろまでさかのぼり、得られる証拠はみな、狩猟採集民が建設したことを示している。(略)


古代の狩猟採集民の能力と、彼らの文化の複雑さは、従来考えられていたよりもはるかに目覚ましかったようだ。(略)


そのような事業を維持できるのは、複雑な宗教的あるいはイデオロギー的体制しかない。」

 

「最近の発見からは、栽培化された小麦の少なくとも一種、ヒトツブコムギがカラカダ丘陵に由来することが窺える。この丘陵は、ギョベクリ・テペから約30キロメートルのところにある。


これはただの偶然のはずがない。(略)
だが、ギョベクリ・テペの遺跡は、まず神殿が建設され、その後、村落がその周りに形成されたことを示唆している。」

 

<革命の犠牲者たち>

「野生のヒツジを追い回していた放浪の生活集団は、餌食にしていた群れの構成を少しずつ変えていった。おそらくこの過程は、選択的な狩猟とともに始まったのだろう。」

 

「人類が世界中に拡がるのに足並みを揃えて、人類が家畜化した動物たちも拡がって行った。(略)


だが今日の世界には、ヒツジが10億頭、豚が10億頭、牛が10億頭以上、ニワトリが250億羽以上いる。(略)

あいにく、進化の視点は、成功の物差しとしては不完全だ。この視点に立つと、個体の苦難や幸福はいっさい考慮に入らず、生存と繁殖という基準ですべてが判断される。

家畜化されたニワトリと牛は、進化の上では成功物語の主人公なのだろうが、両者はこれまで生を受けた生き物のうちでも、極端なまでに惨めなのではないか。


動物の家畜化は、一連の残酷な慣行の上に成り立っており、そうした慣行は、歳月が過ぎるうちに酷さを増す一方だった。」

 

ニューギニア北部の農耕民は、ブタが逃げ出さないように、鼻先を削ぎ落す。こうすると、ブタは匂いを嗅ごうとするたびに、激しい痛みを覚える。ブタは匂いを嗅げないと食べ物を見つけられないし、ろくに歩き回ることさえできないので、鼻先を削ぎ落されると、所有者の人間に完全に頼るしかない。


ニューギニアの別の地域では、行先が見えないように、ブタの目をえぐる習慣がある。」


「図15 工場式食肉農場の現代の子牛。子牛は誕生直後に母親から引き離され、自分の体とさほど変わらない小さな檻に閉じ込められる。そして、そこで一生(平均でおよそ4カ月)を送る。檻を出ることも、他の子牛と遊ぶことも、歩くことさえも許されない。

すべて、筋肉が強くならないようにするためだ。柔らかい筋肉は、柔らかくて肉汁がたっぷりのステーキになる。子牛が初めて歩き、筋肉を伸ばし、他の子牛たちに触れる機会を与えられるのは、食肉処理場へ向かう時だ。


進化の視点に立つと、牛はこれまで登場した動物種のうちでも、屈指の成功を収めた。だが同時に、牛は地球上でも最も惨めな部類の動物に入る。」

〇かわいい目の子牛が檻に入れられている写真が載っています。子牛の目がこちらを見ていて、辛くなります。涙が出ます。

「すべての農耕社会が家畜に対してそこまで残酷だったわけではない。(略)
家畜飼育者と農耕民は歴史を通して、飼っている動物たちへの愛情を示し、大切に世話をした。


それはちょうど、多くの奴隷所有者が奴隷に対して愛情を抱き、気遣いを見せたのと同じだ。王や預言者が自らヒツジ飼いと称し、自分や神が民を気遣う様子を、ヒツジ飼いがヒツジたちを気遣う様子になぞらえたのは、けっして偶然ではない。」

 

進化上の成功と個々の苦しみとのこの乖離は、私たちが農業革命から引き出しうる教訓のうちで最も重要かもしれない。(略)


サピエンスの集合的な力の劇的な増加と、表向きの成功が、個体の多大な苦しみと密接につながっていたことを、私たちは今後の章で繰り返し目にすることになるだろう。」


〇私たちの国の文化は、「集合的な力」を讃えるものではあっても、「個体の多大な苦しみ」を想像するものではない、としみじみ思います。

 

 

 

サピエンス全史 上  第4章 史上最も危険な種

「第4章 史上最も危険な種 
認知革命以前には、どの人類種ももっぱらアフロ・ユーラシア大陸(訳注 アフリカ大陸とユーラシア大陸を合わせた大陸)で暮らしていた。(略)

地球という惑星は、いくつかの別個の生態系に別れており、そのそれぞれが、特有の動植物群から成っていた。このような豊かな生物相に、ホモ・サピエンスが今まさに終止符を打とうとしていた。」

 

「彼らの最初の成果は、役4万5千年前の、オーストラリア大陸への移住だ。(略)最も妥当な説は以下の通りだ。約4万5千年まえ、インドネシアの島々(アジア大陸やお互いとは狭い海峡によってのみ隔てられている)に住んでいたサピエンスが、初めて海洋社会を発達させた。


彼らは大洋を航海できる舟の作り方や操り方を編み出し、彼方まで出かけて漁や交易、探検を行うようになった。これによって、人類の能力と生活様式に前代未聞の変化がもたらされたことだろう。」

 

「たしかにこれまで、考古学者は4万5千年前にまでさかのぼる筏や櫂、漁村を掘り出したためしがない(発見するのは難しいだろう。海面が上昇し、古代インドネシアの海岸線は100メートルの深さに没してしまったからだ)。」

 


「人類は、約3万5千年前に日本に、約3万年前に台湾に、それぞれ初めて到達している。(略)


人類によるオーストラリア大陸への初の旅は、歴史上屈指の重要な出来事で、少なくともコロンブスによるアメリカへの航海や、アポロ11号による月面着陸に匹敵する。(略)


それに輪をかけて重要なのは、これらの人類の開拓者たちが、この新しい世界でしたことだ。狩猟採集民が初めてオーストラリア大陸に足を踏み入れた瞬間は、ホモ・サピエンスが特定の陸塊で食物連鎖の頂点に立った瞬間であり、それ以降、人類は地球という惑星の歴史上で最も危険な種となった。」

 

「その後数千年のうちに、これらの巨大な生き物は事実上すべて姿を消した。体重が50キログラム以上あるオーストラリア大陸の動物種24種のうち、23種が絶滅したのだ。(略)これはみな、ホモ・サピエンスのせいだったのだろうか?」

 

 

 <告発のとおり有罪>

 

「気候の気まぐれな変動(このような場合のお決まりの容疑者)に責めを負わせて私たちの種の無実の罪を晴らそうとする学者もいる。(略)


第一に、オーストラリア大陸の気候はおよそ4万5千年前に変化したとはいえ、それはあまり著しい変動ではなかった。(略)


過去100万年間には、平均すると10万年ごとに氷河時代があった。(略)


また、約7万年前、最後の氷河期の最初のピークも生き延びた。それならばなぜ、4万5千年前に消えてしまったのか?
もちろん、このころ消えた大型動物がディプロトドンだけだったのなら、ただの偶然の巡りあわせだったかもしれない。


だが、ディプロトドンとともに、オーストラリア大陸の大型動物相の9割以上が姿を消した。この証拠は間接的ではあるものの、これらの動物がみな寒さでばたばたと死んでいるまさにそのとき、サピエンスがたまたまオーストラリア大陸に到着したというのは、想像しがたい。」


「第二に、気泡変動が大規模な絶滅を引き起こすときにはたいてい、陸上動物と同時に海洋生物にも大きな被害が出る。それなのに、4万5千年前に海洋動物相が著しく消失したという証拠はない。」

 

「第三に、このオーストラリアでの原初の大量消失に類する大規模な絶滅が、その後の歳月に何度となく繰り返されている。(略)


たとえば、約4万5千年前の「気候変動」と称されるものを無傷で切り抜けたニュージーランドの大型動物相は、人類が最初に上陸した直後に、壊滅的な打撃を被っている。


ニュージーランドにおける最初のサピエンスの移住者であるマオリ人は、800年ほど前に、この島々にやってきた。その後200年のうちに、地元の大型動物相の大半は、全鳥類種の六割とともに絶滅した。」


オーストラリア大陸の移住者たちが利用できたのは、石器時代の技術だけだ。それなのに、どうやってこのような生態学的大惨事を引き起こすことが出来たのか?


それには、ぴったり噛み合う三つの説明がある。」


「それとは対照的に、オーストラリア大陸の大きな生き物たちは、逃げることを学ぶ暇がなかった。人類は特別危険そうには見えない。」


「第二の説明は、サピエンスはオーストラリア大陸に到達した頃にはすでに、焼き畑農業を会得していた、というものだ。(略)


この説を裏付ける証拠として挙げられるのが、植物の化石記録だ。ユーカリの木は、4万5千年前にはオーストラリア大陸では珍しかった。だが、ホモ・サピエンスの到着とともに、この木は黄金時代を迎えた。ユーカリの木は火事に非常に強いので、他の高木や低木が姿を消すのを尻目に、広く分布するようになった。」

 

「第三の説明は、狩猟と焼き畑農業が絶滅に重大な役割を果たしたことには同意するが、気候の役割を完全には無視できないことに重点を置く。(略)


気候変動と人間による狩猟の組み合わせは、大型動物にとりわけ甚大な被害をもたらした。」

 

<オオナマケモノの最期>

 

「だが、その後には、なおさら大きな生態学的惨事が続いた。(略)


寒さに適応したネアンデルタール人たちでさえ、もっと南のそれほど寒くない地方にとどまった。だがホモ・サピエンスは、雪と氷の土地ではなくアフリカ大陸のサバンナで暮らすのに適応した身体を持っていたにも関わらず、独創的な解決策を編み出した。


サピエンスの狩猟採集民の放浪集団は、前より寒い地方に移り住んだ時、雪の上を歩くために履物や、幾重にも重ね、針を使ってきつく縫い合わせた毛皮や皮革から成る、保温効果の高い衣服の作り方を身につけた。(略)

 

だが彼らはなぜ、わざわざそんなことをしたのだろう?どうしてシベリア流刑を自ら選びとったのか?」

 

「スンギルでの発見が立証しているとおり、マンモス狩猟民は凍てつく北の地方でたんに生き延びただけではない。彼らは大いに繁栄していたのだ。」

 

「彼らはもともと北極圏で大きな獲物の狩に適応していたが、驚くほど多様な気候と生態系に間もなく順応した。シベリア人の子孫は、現在のアメリカ合衆国東部の鬱蒼とした森や、ミシシッピ川デルタ地帯の湿地、メキシコの砂漠、中央アメリカのうだるような密林に住みついた。


アマゾン川流域の川の世界に落ちつく者もいれば、アンデス山脈の渓谷や、アルゼンチンの開けた大草原に根を下ろす者もいた。


そして、これはみな、わずか1000年か2000年の間に起こったのだ!(略)


アメリカ大陸を席巻した人類の電撃戦は、ホモ・サピエンスの比類のない創意工夫と卓越した適応性の証だ。どこであっても事実上同じ遺伝子を使いながら、これほど短い期間に、これほど多種多様な根本的に異なる生息環境に進出した動物はかつてなかった。」

 

「動物の遺物を探し、研究する古代生物学者や動物考古学者は、古代のラクダの化石化した骨やオオナマケモノの石化した糞便を探して、何十年にもわたって南北アメリカの平地や山々をくまなく調べて来た。


お目当てのものを見つけると、そうした宝は注意深く梱包されて研究室に送られ、そこで骨や糞石(化石化した糞を意味する専門用語)が一つ一つ入念に調べられ、年代が推定される。


そうした分析からは、繰り返し同一の結果が得られる。最も新しい糞石も、最も新しいラクダの骨も、人間がアメリカ大陸に殺到した時代、すなわちおよそ紀元前一万二千~九千年にさかのぼるのだ。(略)


私たちが犯人なのだ。この事実は避けて通れない。仮に気候変動の手助けがあったとしても、人間が関与したことは決定的なのだ。」


〇このハラリ氏は、まるで、大工さんの棟梁のように、また、名探偵ポアロのように、学者たちの様々な研究を組み合わせて、一つの結論を導き出しているように見えます。

そして、またまた「真理は強制する」です。
「私たちが犯人なのだ。この事実は避けて通れない」

この結論に行きついたなら、その結論を避けようとするのは、人間として信じられないほど愚かでまともにつき合えないほど幼稚で軽蔑すべき人、ということになります。

あの刑事コロンボの犯人は、事実を突きつけられたら、潔く認めます。
どれほどひどい犯罪を犯した人でも、事実は認めます。

安倍総理に爪のあかを煎じて飲ませたい。

 

 <ノアの方舟

 

「最大の被害者は毛皮で覆われた大型の動物たちだった。認知革命の頃の地球には、体重が50キログラムを超える大型の陸上哺乳動物がおよそ200属生息していた。それが、農業革命の頃には、100属ほどしか残っていなかった。

ホモ・サピエンスは、車輪や書記、鉄器を発明するはるか以前に、地球の大型動物のおよそ半数を絶滅に追い込んだのだ。」

 

「もっと多くの人が、絶滅の第一波と第二波について知っていたら、自分たちが起こしている第三派についてこれほど無関心ではいないかもしれない。私たちがすでにどれほど多くの種を根絶してしまったかを知っていたら、今なお生き延びている種を守ろうという動機が強まるかもしれない。


これは大型の海洋動物については、とくに重要だ。(略)もしこのままいけば、クジラやサメ、マグロ、イルカはディプロトドンやオオナマケモノ、マンモスと同じ運命をたどって姿を消す可能性が高い。


世界の大型生物のうち、人類の殺到という大洪水を唯一生き延びるのは、人類そのものと、ノアの方舟を漕ぐ奴隷の役割を果たす家畜だけということになるだろう。」

 

サピエンス全史 上 第3章 狩猟採集民の豊かな暮らし

「第3章 狩猟採集民の豊かな暮らし
私たちの性質や歴史、真理を理解するためには、狩猟採集民だった祖先の頭の中に入り込む必要がある。サピエンスは、種のほぼ全歴史を通じて狩猟採集民族だった。


過去200年間は、しだいに多くのサピエンスが都市労働者やオフィスワーカーとして日々の糧を手に入れるようになったし、それ以前の一万年間は、ほとんどのサピエンスが農耕を行ったり動物を飼育したりして暮らしていた。

だが、こうした年月は、私たちの祖先が狩猟と採集をして過ごした膨大な時間と比べれば、ほんの一瞬にすぎない。


隆盛を極める進化心理学の分野では、私たちの現在の社会的特徴や心理的特徴の多くは、農耕以前のこの長い時代に形成されたと言われている。


この分野の学者は、私たちの脳と心は今日でさえ狩猟採集生活に適応していると主張する。」

 

「もし石器時代の女性が、たわわに実ったイチジクの木を見つけたら、辺りに住むヒヒの群れに食べつくされる前に、その場で食べられるだけ食べるのが最も理に適っていた。」


「この「大食い遺伝子」説は広く受け容れられている。他にもあれこれ説があるが、はるかに異論が多い。たとえば、次のように主張する進化心理学者もいる。古代の狩猟採集民の集団は、一夫一婦制の男女を中心とする核家族から成っていたわけではなく、彼らは私有財産も、一夫一婦制の関係も持たず、各男性には父権さえない原子共同体(コミューン)で暮らしていた。


そのような集団では、女性は同時に複数の男性(及び女性)と性的関係を持ち、親密な絆を形成することが可能で、集団の成人全員が協力して子育てに当たった。

男性はどれが我が子か断定できないため、どの子共も同等に気遣った。

そのような社会構造は空想上のユートピアではない。動物、とくに私たちに最も近い親戚であるチンパンジーボノボの間で、詳細に記録されている。


現代の人類の文化でも、たとえばベネズエラの先住民バリ族のもののように、集団的父権性が取られているものは多い。(略)


この「古代コミューン」説の支持者によれば、大人も子供も苦しむ多種多様な心理的コンプレックスはもとより、現代の結婚生活の特徴である頻繁な不倫や、高い離婚率はみな、私たちが自分の生物学的ソフトウェアとは相容れない、核家族と一夫一婦の関係の中で生きるように強制された結果だという。


多くの学者は、一夫一婦での暮らしと核家族の形成はともに、人間社会の根幹を成す行動であると断言し、この説を猛然と拒絶する。」


「この論争にけりをつけ、私たちの性行動や社会、政治を理解するためには、祖先の生活状況について学び、サピエンスが約七万年前の認知革命から、約一万二千年前の農業革命の開始までの期間をどう生きたかを考察する必要がある。」

 

<原初の豊かな社会>

 

「あいにく、狩猟採集民だった私たちの祖先の暮らしに関して、確かなことはほとんどわかっていない。「古代コミューン」派と「永遠の一夫一婦制」派との論争は、薄弱な証拠に基づいている。


当然ながら、狩猟採集時代の記録文書など皆無であり、考古学的証拠は主に骨の化石と石器から成る。」

 

「このように、人工遺物に頼ると、古代の狩猟採集生活の説明が歪んでしまう。それを正す方法の一つは、現代の狩猟採集社会に目を向けることだ。そのような社会は人類学的観察によって直接研究できる。」


「古代狩猟採集民の間の民族的・文化的多様性も壮観で、農業革命前夜に世界中に住んでいた500万~800万の狩猟採集民は何千もの別個の部族に別れ、何千もの異なる言語と文化を持っていたと考えるのが理に適っている。

これは結局、認知革命の主要な遺産の一つだった。同じ遺伝的構造を持ち、類似した生態的条件下に生きている人々でさえ、虚構が登場したおかげで、非常に異なる想像上の現実を生み出すことが出来、それが異なる規範や価値観として現れたのだ。」

 

「認知革命以降、サピエンスには単一の自然な生活様式などというものは、ついぞなかったのだ。そこには、途方に暮れるほど多様な可能性が並んだパレットからどれを選ぶかという文化的選択肢があるだけだった。」

 

「<原初の豊かな社会> そうはいうものの、農耕以前の世界での暮らしについて、どんな一般論が語れるだそうか?大多数の人は、数十、最大でも数百の個体から成る小さな集団で生活しており、それらの個体はすべて人類だったと言って差支えなさそうだ。」

 

「犬はホモ・サピエンスが真っ先に飼い慣らした動物で、犬の家畜化は農業革命の前に起こった。」

 

「生活集団の成員は、互いをごく親しく知っており、生涯を通して友人や親族に囲まれていた。孤独やプライバシーは珍しかった。(略)


近隣の集団どうしの関係がとても緊密で、単一の部族を形成し、共通の言語や神話、規範や価値観を持つこともあった。
とはいえ、そうした外面的な関係の重要性を過大評価してはならない。」


「農業革命以前には、全地球上の人類の数は、今日のカイロの人口より少なかった。」

 

「狩猟採集民の集団が40年ごとに2つに分裂し、一方が100キロメートル東にある新しい領域に移住したら、東アフリカから中国まで、およそ10000年で到達しただろう。」

「「狩りをする人類」という一般的なイメージに反して、採集こそがサピエンスの主要な活動で、それによって人類は必要なカロリーの大半を得るとともに、燧石や木、竹などの原材料も手に入れていた。


サピエンスは食べ物と材料を採集するだけにとどまらなかった。彼らは知識も漁り回った。生き延びるためには、縄張りの詳しい地図を頭に入れておくことが必要だった。日々の食べ物探しの効率を最大化するためには、個々の植物の成長パターンや、それぞれの動物の習性についての情報が欠かせなかった。


どの食べ物に栄養があり、どれを食べると具合が悪くなるかや、治療にはどれをどう使えばいいかを知っておく必要もあった。また、季節がどう進み、雷雨や日照りについてはどんな徴候に注意すればいいかも知らなくてはならなかった。

彼らは近辺にある流れや、クルミの木、クマの洞窟、燧石の鉱床を一つ残らず調べた。誰もが、石のナイフの作り方や、裂けた衣服の縫い方、ウサギ用の罠の仕掛け方、雪崩や腹を空かせたライオンに遭遇したりヘビに噛まれたりしたときの対処の仕方を心得ていなければならなかった。


こうした多くの技能のそれぞれを習得するには、何年もの見習いと練習の期間が必要だった。古代の平均的な狩猟採集民は、ほんの数分もあれば燧石で槍の穂先が作れた。この離れ業を私たちが真似ようとすると、たいてい惨めな失敗に終わる。(略)


言い換えると、平均的な狩猟採集民は、現代に生きる子孫の大半よりも、直近の環境について、幅広く、深く、多様な知識を持っていたわけだ。(略)


人類全体としては、今日の方が古代の集団よりもはるかに多くを知っている。だが個人のレベルでは、古代の狩猟採集民は、知識と技能の点で歴史上最も優れていたのだ。」

 

「狩猟採集民は、地域ごと、季節ごとに大きく異なる暮らしをしていたが、後世の農民や牧夫、肉体労働者、事務員よりも、全体として快適で実りの多い生活様式を享受していたようだ。


今日、豊かな社会の人は、毎週平均して40~45時間働き、発展途上国の人々は毎週60時間、あるいは80時間も働くのに対して、今日、カラハリ砂漠のような最も過酷な生息環境で暮らす狩猟採集民でも、平均すると週に35~45時間しか働かない。狩は三日に一日で、採集は毎日わずか3~6時間だ。通常、これで集団が食べていかれる。(略)


そのうえ、狩猟採集民は家事の負担が軽かった。食器を洗ったり、カーペットに掃除機をかけたり、床を磨いたり、おむつを交換したり、勘定を払ったりする必要がなかったからだ。


狩猟採集経済は、農業や工業と比べると、より興味深い暮らしを大半の人に提供した。今日、中国の工員は朝の7時ごろに家を出て、空気が汚れた道を通り、賃金が安く条件の悪い工場に行き、来る日も来る日も、同じ機械を同じ手順で動かす、退屈極まりない仕事を延々10時間もこなし、夜の7時ごろに帰宅し、食器を洗い、洗濯をする。


三万年前、中国の狩猟採集民は仲間たちと、例えば朝8時ごろに野営地を離れたかもしれない。近くの森や草地を歩き回り、キノコを摘み、食べ物になる根を掘り出し、カエルを捕まえ、ときおりトラから逃げた。午後早くには野営地に戻って昼食を作る。


そんな調子だから、噂話をしたり、物語を語ったり、子供たちと遊んだり、ただぶらぶらしたりする時間はたっぷりある。

もちろん、たまにトラに捕まったり、ヘビに噛まれたりすることもあったが、交通事故や産業公害の心配はなかった。


たいていの場所でたいていのとき、狩猟採集で手に入る食物からは理想的な栄養が得られた。これは意外ではない。何十万年にもわたってそれが人類の常食であり、人類の身体はそれに十分適応していたからだ。化石化した骨格を調べると、古代の狩猟採集民は子孫の農耕民よりも、飢えたり栄養不良になったりすることが少なく、一般に背が高くて健康だったことがわかる。


平均寿命はどうやらわずか30~40歳だったようだが、それは子供の死亡率が髙かったのが主な原因だ。(略)


現代の狩猟採集社会では、45歳の女性の平均余命は20年で、人口の5~8パーセントが60歳を超えている。


何が狩猟採集民を飢えや栄養不良から守ってくれていたかといえば、その秘密は食物の多様性にあった。」


「古代の狩猟採集民は、感染症の被害も少なかった。天然痘や麻疹(はしか)、結核など、農耕社会や工業社会を苦しめて来た感染症のほとんどは家畜に由来し、農業革命以後になって初めて人類も感染し始めた。」


「とはいえ、これらの古代人の生活を理想化したら、それは誤りになる。(略)現代の狩猟採集民は、歳をとったり障害を負ったりして集団についていけなくなった人を置き去りにしたり、殺しさえしたりすることがある。


望まない赤ん坊や子供は殺すかもしれないし、宗教心から人間を生贄にする場合すらある。
1960年代までパラグアイの密林に暮らしていた狩猟採集民のアチェ族は、狩猟採集生活の暗い側面を垣間見させてくれる。アチェ族の人々は、集団にとって貴重な成員が亡くなると、小さな女の子を一人殺していっしょに埋葬するのが常だった。」

 

アチェ族の老女が集団の足手まといになると、若い男性の一人が背後から忍び寄り、頭に斧を振り下ろして殺害するのだった。アチェ族のある男性は、詮索好きな人類学者たちに、密林で過ごした全盛期の話を語った。

「よく老女を殺したものだ。おばたちも殺した…。女たちに恐ろしがられていた…。今ではここで白人たちといっしょに暮らすうちに、すっかり弱くなってしまった。」


生まれた時に髪の毛が生えていない赤ん坊は、発育不全と見なされて、ただちに殺された。ある女性は、集団の男性たちがもう女の子を望んでいなかったので、初めて産んだ女の子を殺された思い出を語った。


また、別の折には、ある男性が幼い男の子を殺した。自分の「機嫌が悪く、その子が泣いていた」からだという。生き埋めにされた子もいる。「見かけが変で、他の子どもたちが笑った」からというのがその理由だ。」

 

「財産は乏しいのに極端なほど気前が良く、成功や富に執着することはなかった。彼らが人生で最も大切にするのは、他者との良好な交流と、質の高い交友関係だった。彼らは、今日多くの人が中絶や安楽死を見るのと同じ目で子供や病人、老人の殺害を編めていた。(略)

実際にはアチェ族の社会は、あらゆる人間社会がそうであるように、非常に複雑だった。(略)アチェ族は天使でもなければ悪魔でもなく、人類だった。そして、古代の狩猟採集民にしても同じだったのだ。」

〇色々感想はあるのですが、返却日までに読み終える必要があるので、感想はあとで、付け足して行くことにしたいと思います。

 

 <口を利く死者の霊>

 

「だが私たちが導き出せるのは、このような慎重な一般論がせいぜいだ。太古の霊性の具体的な点を記述しようとする試みはすべて、不確実極まりない。(略)


狩猟採集民がどう感じていたかを知っていると主張する学者の説からは、石器時代の宗教よりも、学者自身の偏見がはっきり浮かび上がって来る。」


「彼らはアニミズムの信奉者だったとは思うが、そこから分かることはあまりない。」


「すでに説明したように、学者たちは、私有財産核家族、一夫一婦制の関係が存在したかどうかといった基本的な事柄についてさえ、意見の一致を見ていない。」

 

「1955年、ロシアの考古学者がスンギルで、マンモス猟文化に属する三万年前の埋葬地の遺跡を発見した。墓の一つには、マンモスの牙でできた合計3000ほどの珠を糸に通したもので覆われた、50歳ぐらいの男性の骨格が納まっていた。

亡くなった男性の頭には、キツネの歯で飾った帽子が被せられていたようだ。男性の両の手首には、やはりマンモスの牙で作られた腕輪が25個はめられていた。(略)


その後、考古学者たちは、なおさら興味深い墓を見つけた。中には二体の骨格が頭と頭を寄せ合うようにして納まっていた。一方は12,3歳ぐらいの少年、もう一方は9歳か10歳ぐらいの少女の骨格だった。

少年は、マンモスの牙で作られた5000個の珠で覆われていた。そして、キツネの歯で飾られた帽子を被り、キツネの歯250本のついたベルトを締めていたらしい(これだけの歯を手に入れるには、少なくともキツネ60頭から抜歯する必要があったはずだ)。


少女の方は、5250個の珠で飾られていた。(略)二人の子供を覆っていた一万以上の牙製の珠をこしらえるのに、細心の注意を要する仕事を7500時間以上行われなければならなかったわけで、これは熟練職人による三年を優に超える労働に匹敵する!(略)


彼らがこれほど豪勢な埋葬をしてもらえた理由は、文化的信念でしか説明できないだろう。(略)


真相がどうであれ、スンギルの子どもたちは、サピエンスが三万年前に、DNAの命令や、他の人類種と動物種の行動パターンをはるかに超える、社会政治的規準を考案しえたことを示す、有力な証拠の一つだ。」

 

<平和か戦争か?>

 

「最後に、狩猟採集民社会における戦いの役割という、厄介な疑問がある。古代の狩猟採集社会は平和な楽園だと思い、戦争や暴力は農業革命に伴って、すなわち、人々が私有財産を蓄え始めた時に、初めて現れたと主張する学者がいる。


一方、古代の狩猟採集民の世界は並外れて残忍で暴力的だったと断言する学者もいる。だが、どちらの考え方も空中楼閣にすぎず、乏しい考古学的遺物と、現代の狩猟採集民の人類学的観察というか細い糸でかろうじて大地につなぎ止められているだけだ。」

 

「化石化した人骨も、やはり解釈が難しい。骨折は戦いでの負傷を示唆しているかもしれないが、事故の可能性もある。逆に、古代の骨格に骨折や切り傷がなくても、柔組織への外傷で死にいたることもあるからだ。


なおさら重要なのだが、産業化以前の闘いでは、死者の九割以上が武器ではなく飢えや寒さ、病気で命を落した。次のような筋書きを想像してほしい。三万年前、ある部族が近隣の部族を打ち負かして、狩猟採集場所として垂涎の的だった土地から追い出した。その決戦の時、負けた側の部族の成員が10人死んだ。翌年、その部族では飢えと寒さと病気のせいでさらに100人が死んだ。


110体の骨格を見つけた考古学者は、大半の古代人が何らかの自然災害で命を落したと、あっさり結論するかもしれない。彼らが全員、無慈悲な戦争の犠牲者だったかどうかは、知りようがないではないか。」


「農業革命直前の時代の400体の骨格がポルトガルで調査された。明らかに暴力を加えられたことが分かる骨格は2体しかなかった。


イスラエルで同時代の骨格400体を対象とした同様の調査では、人間による暴力が原因かもしれない、ひびが一本だけ入った頭蓋骨が一つだけ見つかるにとどまった。


ドナウ川流域の農耕以前の様々な遺跡で出土した400体の骨格を調べた別の調査では、18体の骨格で暴力の証拠が見つかった。(略)もし18人全員が現に暴力によって死んだとしたら、古代ドナウ川流域での死の約4.5パーセントが人間の暴力に起因することになる。


今日、戦争と犯罪を合わせても、暴力による死の割合の世界平均は1.5パーセントにしかならない。二十世紀には、人間の死のうち、人間による暴力が原因のものはわずか5パーセントだった_歴史上、最も血なまぐさい戦争と、最も大規模な組織的大量虐殺が行われた世紀であるというのに。


もしこの発見が典型的だとすれば、古代ドナウ川流域は20世紀と同じぐらい暴力に満ちていたことになる。」


スーダンジェベル・サハバでは、一万二千年まえの墓地が発見され59体の骨格が見つかった。その四割に当たる24体は、鏃や槍の穂先が突き刺さっていたり、そばに落ちていたりした。


ある女性の骨格には、12か所の傷があった。バイエルンのオフネット洞窟では、考古学者は38人の狩猟採集民の遺骨を発見した。ほとんどが女性と子供で、二つの墓穴に放り込まれていた。

子供と赤ん坊のものも含め、これらの骨格の半数には、棍棒やナイフのような人間の武器による損傷の明らかな痕跡があった。


数少ない成人男性の骨格には、最もひどい暴力の跡が見られた。おそらく、狩猟採集集団がオフネットでまるごと一つ虐殺されたのだろう。(略)

 

狩猟採集民が多種多様な宗教と社会構造を示したのと同じで、おそらく彼らの見せる暴力の度合いも様々だったのだろう。平和や平穏を享受した場所や時期もあれば、残忍な争いで引き裂かれた場所や時期もあったのだ。」

 

<沈黙の帳>

 

「古代狩猟採集民の生活の全体像を復元するのが難しいとすれば、具体的な出来事はほぼ回復不能だ。」


「それでもなお、答えが得られないような問いを発することは不可欠だ。そうしなければ、「当時の人々は重要なことは何もしなかった」などという言い訳をして、人類史七万年のうちの六万年を切り捨てる誘惑に駆られかねない。


実際には、彼らは重要なことを数多く行った。とくに、彼らは私たちの周りの世界を一変させた。それがどれほど大きな変化だったのかに、ほとんどの人が気付いていない。


シベリヤのツンドラや、オーストラリア大陸中央部の砂漠、アマゾンの熱帯多雨林を訪れるトレッカーは、人間の手に事実上まったく触れられていない原始のままの領域に入ったとばかり思いこむ。

だが、それは錯覚だ。そこには狩猟採集民が私たちよりも先に立ち入っており、彼らはどれほど植物の繁茂する密林や、どれほど荒涼とした原野にさえも、劇的な変化をもたらした。


次章では、最初の農村が出来上がるよりもはるか以前に、狩猟採集民が私たちの惑星の生態環境をどのようにして完全に作り変えたかを説明する。

物語を語るサピエンスの流浪の集団は、動物界が生み出したうちで最も重要かつ破壊的な力だったのだ。」

 

 

 

サピエンス全史 上  第2章 虚構が協力を可能にした

「(略)
それどころか、サピエンスとネアンデルタール人との間の、証拠が残っている最古の遭遇では、ネアンデルタール人が勝利した。約十万年前、サピエンスの複数の集団が、ネアンデルタール人の縄張りだったレヴァント地方(訳注 地中海東岸の地方)に移り住んだが、揺るぎない足場は築けなかった。(略)

太古のサピエンスは見かけは私たちと同じだが、認知的能力(学習、記憶、意志疎通の能力)は格段に劣っていた。彼らに英語を教えたり、キリスト教の教義が正しいと信じさせたり、進化論を理解させたりしようとしても、おそらく無駄だっただろう。」

「だがその後、およそ七万年前から、ホモ・サピエンスは非常に特殊なことを始めた。そのころ、サピエンスの複数の生活集団が、再びアフリカ大陸を離れた。

今回は、彼らはネアンデルタール人を始め他の人類種をすべて中東から追い払ったばかりか、地球上からも一掃してしまった。サピエンスは驚くほど短い期間でヨーロッパと東アジアに達した。(略)

約七万年前から約三万年前にかけて、人類は舟やランプ、弓矢、針(暖かい服を縫うのに不可欠)を発明した。芸術と呼んで差しつかえない最初の品々も、この時期にさかのぼるし(図4のシュターデル洞窟のライオン人間を参照のこと)、宗教や交易、社会的階層化の最初の明白な証拠にしても同じだ。

ほとんどの研究者は、これらの前例のない偉業は、サピエンスの認知的能力に怒った革命の産物だと考えている。」

「このように七万年前から三万年前にかけて見られた、新しい思考と意思疎通の方法の登場のことを、「認知革命」という。その原因は何だったのか?
それは定かではない。最も広く信じられている説によれば、たまたま遺伝子の突然変異が起こり、サピエンスの脳内の配線が変わり、それまでにない形で考えたり、まったく新しい種類の言語を使って意思疎通をしたりすることが可能になったのだという。」

「オウムは、電話の鳴る音や、ドアがバタンと閉まる音、けたたましく鳴るサイレンの音も真似できるし、アルベルト・アインシュタインが口に出来ることは全て言える。

アインシュタインがオウムに優っていたとしたら、それは口頭言語での表現ではなかった。それでは、私たちの言語のいったいどこがそれほど特別なのか?(略)

サバンナモンキーは仲間たちに、「気をつけろ!ライオンだ!」と叫ぶことは出来る。だが、現生人類は友人たちに、今朝、川が曲がっているところの近くでライオンがバイソンの群れの跡をたどっているのを見た、ということが出来る。(略)

これとは別の説もある。私たちの独特の言語は、周りの世界についての情報を共有する手段として発達したという点では、この説も同じだ。(略)

この説によれば、ホモ・サピエンスは本来、社会的な動物であるという。私たちにとって社会的な協力は、生存と繁殖のカギを握っている。個々の人間がライオンやバイソンの居所を知っているだけでは十分ではない。自分の集団の中で、誰が誰を憎んでいるか、誰が誰と寝ているか、誰が正直か、誰がずるをするかを知ることの方が、はるかに重要なのだ。」

〇「初めに言(ことば)があった。言は神と共にあった。言は神であった。この言は初めに神と共にあった。」(ヨハネによる福音書 1-1)を思い出します。
言葉によってサピエンスが「特別な動物」になったということを、「初めに言(ことば)があった」という言葉で表現していることに、感心します。
その本当の意味、深い意味、未知の意味を感じ取るからこそ、西洋人は、言葉に拘り、言葉による真理を積み上げようと、哲学に拘ったのだろう、と感じます。

そして、ここで、「誰が正直か、誰がずるをするか…」の言葉で、私はまたまた安倍政権の人々を思い浮かべました。
本当に本当に、あんなあからさまにズルをしている人々を、私たちは政治のトップに置いておいていいのでしょうか?
私たちは、平気でズルをする国です、と宣言しているに等しいと思います。子供たちにどうやって説明しますか?
情けなくて、恥ずかしくて、やりきれません。

プジョー伝説>

「陰口を利くというのは、ひどく忌み嫌われる行為だが、大人数で協力するには実は不可欠なのだ。新世代のサピエンスは、およそ七万年前に獲得した新しい言語技能のおかげで、何時間も続けて噂話が出来るようになった。
誰が信頼できるかについての確かな情報があれば、小さな集団は大きな集団へと拡張でき、サピエンスは、より緊密でより精緻な種類の協力関係を築き上げられた。」

「噂話はたいてい、悪行を話題とする。噂好きな人というのは、元祖第四階級、すなわち、ずるをする人やたかり屋について社会に知らせ、それによって社会をそうした輩から守るジャーナリストなのだ。」
〇私たちの社会では、その「ジャーナリスト」の力が弱いのでしょうか。それとも、あまりにもずるをする人やたかり屋の力が強いので、沈黙するしかないのでしょうか。

「とはいえ、私たちの言語が持つ真に比類ない特徴は、人間やライオンについての情報を伝達する能力ではない。むしろそれは、まったく存在しないものについての情報を伝達する能力だ。

見たことも、触れたことも、匂いを嗅いだこともない、ありとあらゆる種類の存在について話す能力があるのは、私たちの知る限りではサピエンスだけだ。」

「伝説や神話、神々、宗教は、認知革命に伴って初めて現れた。それまでも、「気をつけろ!ライオンだ!」と言える動物や人類種は多くいた。だがホモ・サピエンスは認知革命のおかげで、「ライオンはわが部族の守護霊だ」という能力を獲得した。
虚構、すなわち架空の事物について語るこの能力こそが、サピエンスの言語の特徴として異彩を放っている。」

「だが虚構のおかげで、私たちはたんに物事を想像するだけではなく、集団でそうできるようになった。聖書の天地創造の物語や、オーストラリア先住民の「夢の時代(天地創造の時代)」の神話、近代国家の国民主義の神話のような、共通の神話を私たちは紡ぎ出すことができる。そのような神話は、大勢で柔軟に協力するという空前の能力をサピエンスに与える。

アリやミツバチも大勢で一緒に働けるが、彼らのやり方は融通が利かず、近親者としかうまくいかない。オオカミやチンパンジーはアリよりもはるかに柔軟な形で力を合わせるが、少数のごく親密な個体とでなければ駄目だ。
ところがサピエンスは、無数の赤の他人と著しく柔軟な形で協力できる。だからこそサピエンスが世界を支配し、アリは私たちの残り物を食べ、チンパンジーは動物園や研究室に閉じ込められているのだ。」

「<プジョー伝説>(略)
アルファオスはたいてい、競争相手よりも身体的に強いからではなく、大きくて安定した連合を率いているから、その地位を勝ち取れる。」

「自然状況下では、典型的なチンパンジーの群れは、およそ二〇~五〇頭から成る。群れの個体数が増えるにつれ、社会秩序が不安定になり、いずれ不和が生じて、一部の個体が新しい群れを形成する。

100頭を超える集団を動物学者が観察した例は、ほんの一握りしかない。(略)
一つの集団が、近隣の群れの成員のほとんどを計画的に殺害する「大量虐殺」活動さえ、一件記録されている。」

「認知革命の結果、ホモ・サピエンスは噂話の助けを得て、より大きくて安定した集団を形成した。だが、噂話にも自ずと限界がある。社会学の研究からは、噂話によってまとまっている集団の「自然な」大きさの上限がおよそ150人であることがわかっている。
ほとんどの人は、150人を超える人を親密に知ることも、それらの人について効果的に噂話をすることも出来ないのだ。」

「近代国家にせよ、中世の教会組織にせよ、古代の都市にせよ、太古の部族にせよ、人間の大規模な協力体制は何であれ、人々の集合的想像の中にのみ存在する共通の神話に根差している。

教会組織は共通の宗教的神話に根差している。たとえばカトリック教徒が、互いに面識がなくてもいっしょに信仰復興運動に乗り出したり、共同で出資して病院を建設したりできるのは、神の独り子が肉体を持った人間として生まれ、私たちの罪を贖うために、あえて十字架に架けられたと、みな信じているからだ。(略)

司法制度は共通の法律神話に根差している。互いに面識がなくても弁護士同士が力を合わせて、赤の他人の弁護をできるのは、法と正義と人権_そして弁護料として支払われるお金_の存在を信じているからだ。

とはいえこれらのうち、人々が創作して語り合う物語の外に存在しているものは一つとしてない。宇宙に神は一人もおらず、人類の共通の想像の中以外には、国民も、お金も、人権も、法律も、正義も存在しない。」

〇神も国民もお金も人権も法律も正義も全て人間の創り出した「物語」だ、と言い切っている。敢えて、言い切っているところに、著者の強い主張が感じられる。

「「原始的な人々」は死者の霊や精霊の存在を信じ、満月の晩には毎度集まって焚火の周りでいっしょに踊り、それによって社会秩序を強固にしていることを私たちは簡単に理解できる。

だが、現代の制度がそれとまったく同じ基盤に依って機能していることを、私たちは十分理解できていない。

企業の世界を例に取ろう。現代のビジネスマンや法律家は、じつは強力な魔術師なのだ。彼らと部族社会の呪術師(シャーマン)との最大の違いは、現代の法律家の方が、はるかに奇妙奇天烈な物語を語る点にある。その格好の例がプジョーの伝説だろう。」
「もしプジョーの創業者一族のジャンが13世紀のフランスで荷馬車製造工場を開設していたら、いわば彼自身が事業だった。もし彼の製造した荷馬車が購入後一週間で壊れたら、買い手は不満を抱き、ジャンその人を告訴しただろう。(略)

彼は、工場のせいで抱え込んだ負債がどれだけの金額にのぼろうとも、すべて支払う全面的な義務を負わされるのだ。
もしあなたが当時生きていたらおそらく、自分の事業を始めるのに二の足を踏んだだろう。そして、このような法律上の状況のせいで、起業家精神が現に抑え込まれていた。人々は新しい事業を始めて経済的な冒険をすることを恐れた。家族を貧困のどん底に突き落とす危険を冒すだけの価値があるとは、とても思えなかったからだ。

だからこそ、人々は有限責任会社の存在を集団的に想像し始めた。そのような会社は、それを起こしたり、それに投資したり、それを経営したりする人々から法的に独立していた。その手の会社は、過去数世紀の間に、経済の分野で主役の座を占め、ごく当たり前になったため、私たちはそれが自分たちの想像の中にのみ存在していることを忘れている。」

〇つまり、有限責任会社の起業者は、もし事業に失敗しても、抱え込んだ負債を全て支払う全面的な責任は負わされていない、ということなのでしょうか?
ドラマなどで見ると、中小企業の起業者は、いつもとことんまで追い詰められ、悲惨な最後になる、という話ばかりが印象に残っているのですが…。

「製造した車の一台が壊れたら、買い手はプジョーを告訴できるが、アルマン・プジョーは告訴できない。会社が何百万フランも借りた挙句、倒産しても、アルマン・プジョーは債権者たちに対して、たったの一フランも返済する義務はない。
つまるところ、お金を借りたのはプジョーという会社であって、ホモ・サピエンスのアルマン・プジョーではないのだ。」

「効力を持つような物語を語るのは楽ではない。難しいのは、物語を語ること自体ではなく、あらゆる人を納得させ、誰からも信じてもらうことだ。歴史の大半は、どうやって膨大な数の人を納得させ、神、あるいは国民、あるいは有限責任会社にまつわる特定の物語を彼らに信じてもらうかという問題を軸に展開してきた。

とはいえ、この試みが成功すると、サピエンスは途方もない力を得る。なぜなら、そのおかげで無数の見知らぬ人同士が力を合わせ、共通の目的の為に精を出すことが可能になるからだ。

想像してみてほしい。もし私たちが川や木やライオンのように、本当に存在するものについてしか話せなかったとしたら、国家や教会、法制度を創立するのは、どれほど難しかったことか。」

〇この話を逆にたどって行くと、私たちの社会は、国家や法制度を隣の国、中国を真似て作り、明治期には、ヨーロッパを真似、戦後はアメリカを真似たけれど、自分たちで作るには、あらゆる人を納得させ、誰からも信じてもらう「効力を持つ物語」を語らなければならない、ということになります。
そして、膨大な数の人を納得させるために歴史の大半を費やして、様々な展開をして行かなければその試みはうまく行かない、と。

「想像上の現実は噓とは違い、誰もがその存在を信じているもので、その共有信念が存在する限り、その想像上の現実は社会の中で力をふるい続ける。シュターデル洞窟の彫刻家は、ライオン人間の守護霊の存在を心の底から信じていたかもしれない。

魔術師のうちにはペテン師もいるが、ほとんどは神や魔物の存在を本気で信じている。百万長者の大半はお金や有限責任会社の存在を信じている。人権擁護運動家の大多数が、人権の存在を本当に信じている。

2011年に国連がリビア政府に対して自国民の人権を尊重するよう要求した時、噓をついている人は一人もいなかった_国連も、リビアも、人権も、すべて私たちの豊かな想像力の産物にすぎないのだが。

サピエンスはこのように、認知革命以降ずっと二重の現実の中に暮らしてきた。一方には、川や木やライオンと言った客観的現実が存在し、もう一方には、神や国民や法人といった想像上の現実が存在する。

時が流れるうちに、想像上の現実は果てしなく力をマシ、今日では、あらゆる川や水やライオンの存続そのものが、神や国民や法人といった想像上の存在物あってこそになっているほどだ。」

 

<ゲノムを迂回する>

 

「言葉を使って想像上の現実を生み出す能力のおかげで、大勢の見知らぬ人同士が効果的に協力できるようになった。だが、その恩恵はそれにとどまらなかった。


人間同士の大規模な協力は神話に基づいているので、人々の協力の仕方は、その神話を変えること、つまり別の物語を語ることによって、変更可能なのだ。

適切な条件下では、神話はあっという間に現実を変えることが出来る。たとえば、1789年にフランスの人々は、ほぼ一夜にして、王権神授説の神話を信じるのをやめ、国民主権の神話を信じ始めた。」


〇ここにある、、「神話はあっという間に現実を変えることができる」という言葉を読みながら、「あっという間に変える」という文章に聞き覚えがあると思いました。
そこで、「「空気」の研究」のメモを読み直してみました。

たしか、終戦直後、それまで鬼畜米英、忠君愛国と叫んでいた人々が、あっという間に、民主主義信奉者になったというようなことが書かれていた、と思って読み返したのですが、「空気を作り出す基のもの」についての話ばかりをメモしていたようです。

「では以上のような「天皇制」とは何かを短く定義すれば、「偶像的対象への臨在感的把握に基づく感情移入によって生ずる空気的支配体制」となろう。天皇制とは空気の支配なのである。従って、空気の支配をそのままにした天皇制批判や空気に支配された天皇制批判は、その批判自体が天皇制の基盤だという意味で、初めからナンセンスである。(「空気」の研究より」)

「あっという間に変わる」のは、様々な表面的な態度であって、この「偶像的対象への臨在感的把握に基づく感情移入によって生ずる空気的支配体制」は変わらない、とあります。

つまり、私の理解によれば、ハラリ氏のいう「神話」はその根幹に「言葉」がある。聖書にもあるように、言葉は神だとまで考えるほどに、言葉に対する拘りが強い。

だから、そこの「神話」が揺らがない限り、その言葉によって新たに作られた神話を信ずることは、「あっという間に」出来る。

でも、日本の場合、「神話」の根幹には「言葉」はない。あるのは臨在感的把握に基づく感情移入。

そうなると、一体どうなるのだろう?
知的レベルが高いはずの官僚も、知的な判断ではなく、感情的な判断になってしまう、ということなのだろうか?

よくわからないので、この疑問はこのままに、次に進みたいと思います。

「他の社会的な動物の行動は、遺伝子によっておおむね決まっている。DNAは専制君主ではない。動物の行動は環境要因や個体差にも影響を受ける。とはいえ、特定の環境では、同じ種の動物はみな、似通った行動を取る傾向がある。

一般に、遺伝子の突然変異なしには、社会的行動の重大な変化は起こり得ない。(略)


それと同じような理由で、太古の人類は革命はいっさい起こさなかった。」

 

「それとは対照的に、サピエンスは認知革命以降、自らの振る舞いを素早く変えられるようになり、遺伝子や環境の変化をまったく必要とせずに、新しい行動を後の世代へと伝えていった。

その最たる例として、カトリックの聖職者や仏教の僧侶、中国の宦官といった、子供を持たないエリート層が繰り返し現れたことを考えてほしい。


そのようなエリート層の存在は、自然選択の最も根本的な原理に反する。なぜなら社会の有力な成員である彼らは、子孫をもうけることを自ら進んで断念するからだ。」


〇この話も私たちの国の実態とは違うような気がする。

「私たちはネアンデルタール人の頭の中に入り込んで彼らの思考方法を理解することはできないものの、ライバルのサピエンスと比べた時に、彼らの認知的能力の限界を示す間接的な証拠はある。


ヨーロッパの中心部で三万年前のサピエンスの遺跡を発掘している考古学者は、地中海や大西洋の沿岸から持ち込まれた貝殻をときおり発見する。


それらは、サピエンスの異なる集団の間での長距離交易を通して大陸の内奥に至った可能性が非常に高い。ところが、ネアンデルタール人の遺跡では、そうした交易の証拠は全く見られない。彼らの集団はみなそれぞれが、地元の材料を使って道具を作っていた。(略)


交易は、虚構の基盤を必要としない。とても実際的な活動に見える。ところが、交易を行う動物は、じつはサピエンス以外にはなく、詳しい証拠が得られているサピエンスの交易ネットワークはすべて虚構に基づいていた。


交易は信頼抜きには存在しえない。だが、赤の他人を信頼するのは非常に難しい。今日のグローバルな交易ネットワークは、ドルや連邦準備銀行、企業を象徴するトレードマークといった虚構の存在物に対する信頼に基づいている。」


〇この交易についての文章で、先日読んだ「下流志向_学ばない子どもたち 働かない若者」の中の「沈黙交易」を思い出しました。

「ある部族が共同体の境界線のところに何か品物を置いておく。すると、別の部族が来て、その品物を取って、代わりに別の品物を置いて帰る。この繰り返しが交易の起源とされています。」

「誰が決めたか知りませんけれど、人類最古の交換ルールは、「なんだかわからないものをもらったら、返す義務が発生する」というものなのです。
ですから、沈黙交易では等価物の交換ということはありえません。(略)


もう一つ大事な事は、交換はそのつどすでに始まっているということです。沈黙交易においては「最初に贈り物をした人」というのは実は存在しないのです。(「下流志向_学ばない子どもたち 働かない若者」より」

 

<歴史と生物学> 

「(略)
とはいえ、個体や家族のレベルでの違いを探すのは誤りだ。1対1、いや10対10でも、私たちはきまりが悪いほどチンパンジーに似ている。重大な違いが見えてくるのは、150という個体数を超えた時で、1000~2000という個体数に達すると、その差には胆をつぶす。


もし何千頭ものチンパンジー天安門広場ウォール街、ヴァチカン宮殿、国連本部に集めようとしたら、大混乱になる。それとは対照的に、サピエンスはそうした場所に何千という単位でしばしば集まる。(略)


私たちとチンパンジーとの真の違いは、多数の個体や家族、集団を結び付ける神話という接着剤だ。この接着剤こそが、私たちを万物の支配者に仕立てたのだ。」


「認知革命以降の生物学と歴史の関係をまとめると、以下のようになる。


a 生物学的特性は、ホモ・サピエンスの行動と能力の基本的限界を定める。歴史はすべてこのように定められた生物学的特性の領域(アリーナ)の境界内で発生する。

 


b とはいえ、このアリーナは途方もなく広いので、サピエンスは驚嘆するほど多様なゲームをすることができる。サピエンスは虚構を発明する能力のおかげで、次第に複雑なゲームを編み出し、各世代がそれをさらに発展させ、練り上げる。


c その結果、サピエンスがどう振舞うかを理解するためには、彼らの行動の歴史的深化を記述しなくてはならない。私たちの生物学的な制約に言及するのは、サッカーのワールドカップを観戦しているラジオのスポーツキャスターが、選手たちのしていることの説明ではなく、競技場の詳しい説明を聴取者に提供するようなものだ。

それでは、石器時代の私たちの祖先は、歴史というアリーナでどのようなゲームをしたのだろう?(略)


次章では、長い歳月の帳の向こうを覗き、認知革命と農業革命を隔てる数万年間には、どのような生活が営まれていたかを考察する。」


〇「サピエンスがどのような生活を営んでいたのかについて考察する」という文章を読み、以前読んだ、「日本中世の民衆像」と同じ精神を感じました。