読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

国体論 ー菊と星条旗—

「4 ふたつのアイデンティティ

改憲論争の盲点

(略)

しかし、本書の議論からすれば、「改憲か護憲か」という問題設定は、疑似問題にすぎない。第五章で論じたように、最高法規であるはずの日本国憲法の上位に、日米安保条約とそれに付随する日米地位協定および関係する種々の密約がある。そのような構造を放置したまま、憲法を変えようが護ろうが、本質的な違いはない。

 

 

とはいえ、憲法九条の存在のために、日本はベトナム戦争のごとき不義の戦いに参戦せずに済み、イラク戦争においても部隊こそ派遣したがいわゆる戦闘行為には参加しなかったことを、筆者は心底幸いであったと考える。(略)

 

 

平和運動家の梅林宏道は、一九九五~九六年にかけて日米間で行われた「安保再定義」について、まずアメリカ側の認識を次のようにまとめている。

 

 

つまり、日米安保体制とは、締結時に意図した対ソ防衛体制ではもはやなく、米軍の全地球的(超地域的)な展開を支える体制であるというのが、米国の認識となり、公然と語られるようになっていたのである。

 

 

(略)

 

しかし、日米両政府はそのような意図を全く持たなかった。このアメリカ側の「認識」に対して日本政府の側は次のように応えたという。

 

(略)

 

要するに、日本にとっての脅威が存在しなくても米軍は駐留を続ける、ということである。「在日米軍は日本を守ってくれるために駐留している」という日本人の「漠然たる常識」は、ほかならぬ日本政府によって否定されている。(略)

 

 

その間、一九九六年の「安保再定義」が打ち出した方向性に従って、日米の軍事協力、より端的に言えば、軍事力の一体化は進み、二〇一四年の集団的自衛権を行使容認する閣議決定へと至る。(略)

 

 

米軍によるグローバルな戦争遂行、それによる激しい悲しみと憎しみの喚起ということにおいて、日本が集団的自衛権の行使を認めようが認めまいが、われわれはすでに十分に、米軍の共犯者である。つまり、憲法九条は現実にわれわれを平和主義者にはしていない。

 

 

 

▼ 矛盾の在り処 ― 憲法九条と日米安保体制

また、憲法論の次元で言えば、矛盾の根本があるのは憲法の条文と自衛隊の存在との間にではなく、憲法日米安保体制との間である。(略)

 

 

 

つまり、戦後日本が憲法九条を持つ「平和国家」であるということとアメリカの戦争への世界最大の協力者であるということが、矛盾であるとは認識されず、奇妙な共存を続けてきたのである。元防衛官僚であり、退官後の現在は安倍政権による集団的自衛権の行使容認の決定を批判する論陣を張っている柳澤協二は、次のように語っている。

 

 

現実の日本のアイデンティティーは、唯一の被爆国であるとか、戦争は二度としないのだということを敷衍していく中で、自衛であっても戦争は許されないのだというような発想になっていったと思います。

 

 

しかしもう一つのアイデンティティーとして、私が政府にいて推進していたのは何だと言ったら、アメリカにとってより良い同盟国であるというアイデンティティーでした。

だから特に冷戦が終わってから、日本のアイデンティティーは何だと問われて、アメリカの同盟国であるという以外になかなか出てこない。

 

 

結局、アメリカがやろうとすることをいかにお手伝いできるか、たくさん手伝えるほうがいい同盟国であるというものでしかありませんでした。

 

 

けだし率直な弁だと言うべきであろう。(略)

仮にわれわれに、「アメリカの良き同盟国」(正確には、「ジュニア・パートナー」あるいは「属国」)というアイデンティティーしかないのであれば、われわれは「アメリカ帝国の忠良なる臣民」としてアメリカの弾除けとなる運命を喜んで甘受すべきなのであり、安倍政権は戦後のどの政権よりも露骨にその方向へと舵を切った。(略)」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

国体論 ー菊と星条旗—

「▼ 新しい「皇道」

(略)

彼の常識では、辺野古新基地建設に反対する翁長雄志沖縄県知事をはじめとする「オール沖縄」は、「親中」で「反米」で「反日」であるということらしい。(略)

ここにおいて「反日=反米」、したがって逆に言えば、「愛国=親米」という図式が、ほぼ自動的に選ばれている。(略)

 

 

 

これは、奇怪なように見えてきわめてロジカルな帰結だ。なぜなら、「愚かしい右翼」にとって国体は無傷で護持されなければならないと同時に、現実問題として国体護持はアメリカによる媒介抜きにはあり得なかったのであるから、両者を両立させようとするならば、アメリカ自身に天皇そのものとして君臨してもらうほかないからである。

 

 

 

▼ 発狂した奴隷たち

かつ、特徴的なことには、「反日=反米」にはさらに、「=親中」という図式が定番的に付け加わる。沖縄の基地建設反対運動の参加者は中国から日当をもらっている、というような妄想がその典型である。

 

 

ここには「奴隷の思考」がわかりやすく表れている。この完全なる奴隷の思考回路においては、人間が自由な思考と意思から親米保守政権を批判し、行動することもありうるという現実を理解できない。ゆえに、その現実を自分の持っている間尺に合わせて理解しようとする。(略)

 

 

彼らの妄想は、自分の奴隷の世界観に合わせて世界を解釈した時の「現実」そのものなのである。

もちろんここには、レイシズムも絡んでいる。(略)

すなわち、欧米人の仲間入りをしたいというコンプレックス、そしてアジアにおいては自分たちだけが近代人なのだという差別感情を上手く活用すれば、日本人はアメリカに従属する一方、アジアで孤立し続けるだろう、とダレスは見通していた。(略)

 

 

したがって、結局のところ、アメリカが戦後日本人に与えた政治的イデオロギーの核心は、自由主義でも民主主義でもなく、「他のアジア人を差別する権利」にほかならなかった。

そして現在、「欧米人の仲間入り」の願いは、日本資本主義が対米進出を企てたバブル期に、アメリカのレイシズムの現実の前で挫かれ、経済的衰退と中国をはじめとするアジア諸国の台頭は、「アジアにおける唯一の一等国」という観念を無惨なほど根拠なきものとしてしまった。

 

 

 

その結果が右に見てきた、一種の集団的発狂である。発狂した奴隷というものがいかにおぞましいものであるのかを、日本人は日々証明しつつある。

二〇一二年末に始まった第二次安倍晋三政権の時代は、「戦後の国体」の崩壊期にまさにふさわしい光景が繰り広げられた期間であった。

 

 

 

重要なのは、安倍政権が消え去ったところで、社会と個人の劣化が自動的に止まるわけではない、ということだ。(略)

世論調査によれば、安倍政権支持者の最多の支持理由は「他に適任者が思い当たらないから」というものであるらしいが、言い得て妙である。

 

 

 

現在の標準的な日本人は、コンプレックスとレイシズムにまみれた「家畜人ヤプー」(沼昭三)という戦後日本人のアイデンティティをもはや維持することができそうにないことをうっすら予感しつつも、それに代わるアイデンティティが「思い当たらない」ために、鏡に映った惨めな自分の姿としての安部政権に消極的な支持を与えているわけである。この泥沼のような無気力から脱することに較べれば、安倍政権が継続するか否かなど、些細な問題である。」

 

〇 安倍政権の犯罪的なやり方が明るみに出るたびに、これほどまでに酷い人間をリーダーにしている私たちの社会に、最初は驚き、次に怒り、呆れ、どうすれば良いのだろうと思いました。でも、ごく一部の少数の人間だけがおかしいから、このような反民的な態度のリーダーが容認されているわけではない、と知る様になり、今は、心の内、密かに、子供を産んだことを悔いる気持ちにさえなることがあります。

 

こんな酷い社会で生きなければならない子や孫に、申し訳ない気持ちになります。

 

国体論 ー菊と星条旗—

「▼ 「愚かしい右翼」の台頭

自民党所属国会議員である山田宏は、二〇一八年一月一六日に自らのツイッター・アカウント上で、次のように書いている。

 

 

沖縄県名護市長選挙が始まる。翁長知事の「オール沖縄」という名の親中反米反日

勢力と共にある現職は、名護市政をすっかり停滞させてしまった。沖縄を反日グループから取り戻す大事な選挙。

 

 

(略)

一九八〇年代に中曽根康弘政権のブレーンを務めた政治学者の香山健一は、当時次のように述べていた。

 

 

左翼が強く、我が国にも社会主義政権が成立する危険が現実に存在し、また周辺の国際環境も冷戦とアジア共産主義の勃興、浸透が進んでいた一時期に、我が国の政権党であった自由民主党が戦前保守と戦後保守の大連合、リベラルと右翼的諸勢力の連合という形で辛うじて多数派を形成しなければならない時期があったことは政治の現実ではありますが、衆参同日選挙に示された民意は自由民主党が左右翼両翼を切って新たな健全な国民的多数派を形成しつつあることを明確に示しております。

 

 

労働組合のなかの自民党支持率も急上昇しつつあります。このようなことを考慮に入れますと、我が国社会の一部に存在する右翼的勢力 ― それは第一に戦争と侵略への深い反省がなく、第二に日本の国体、精神文化の伝統について全く誤った、ゆがんだ固定観念に凝り固まっており、第三に国際的視野も、歴史への責任感も欠いております。こうした愚かしい右翼の存在と二重写しにされることは馬鹿馬鹿しいことだと思います。

 

 

この一節は、戦後の穏健で理性的であることを親米保守派が何を見落としてきたかを赤裸々に物語っている。まず、前半部において、香山は、自らがコミットしている政治勢力が旧ファシスト勢力(「戦前保守」「右翼的諸勢力」)と手を結んだことを率直に認めている。(略)

 

 

 

つまり、共産主義はもはや脅威ではない。したがっていまや、かつて緊急措置として結ばれた旧ファシストとの同盟を解消しなければならない。なぜなら彼らは、どうしようもなく愚劣だからだ、と。

 

 

このような香山の認識が示されてから三十余年を経て、自民党は「愚かしい右翼」によって占拠されるに至った。(略)

 

 

なぜこのような悲惨な結果が招かれたのか。それは合理的な親米保守が「愚かしい右翼」をついに粛清しなかったからであり、そのことは「戦後保守」が自らを「戦前保守」から隔てるべき決定的な差異を自覚できなかったことを意味するだろう。

 

 

この無自覚は、「戦前保守」と「戦後保守」には明確な違いがあるとの香山の見方とはむしろ逆に、両者はシームレスにつながっていることを示唆する。

そして、そのつながりの核心とは、論じてきたように「国体護持」である。(略)

 

 

香山のような、合理的親米保守派の立場から「戦後保守」の旧ファシスト勢力との共犯の事実を正面から批判した者でさえ、その意味の重大性を見通すことが出来なかったし、今日でも「親米路線の合理性」を語る論者たちにおいて状況は同じである。」

 

 

 

国体論 ー菊と星条旗—

「3 隷属とその否認

▼奴隷の楽園

しかし、ヘゲモニー国家は軍事的にも最強国であるという一般的な原則は、現在の日本がこれまで踏襲してきた対米従属路線をさらに追及しなければならない理由にはならない。

端的に言えば、日本の対米従属の問題性の核心は、日米安保条約でもなければ、大規模な米軍基地が国土に置かれていることでもない。

 

 

 

ドイツを見てみればよい。かの国も、アメリカと軍事同盟(NATO)を結び、日本同様敗戦国として大規模な米軍基地を受け入れているが、日本のような卑屈な対米態度を取っていない。

 

 

 

戦後の日米間の国力格差もまた、問題の本質ではない。

フィリピンを見てみればよい。かの国は、一旦は米軍基地を追い出し、対中関係が緊張する中で今日また米軍の軍事力を利用しようとしている。アメリカは強く豊かで、我が国は弱く貧しかったから従属するほかなかったという言辞は、下手な言い訳でしかない。

 

 

日本が巨大な米軍基地を受け入れている理由も、歴史的に二転三転してきた。それは、始まりにおいては敗戦の端的な結果であったのが、「東西対立における日本防衛」へと転じ、日本への直接的な脅威という理由付けの説得力が薄れると「自由世界の防衛」へと転じた。そして、共産圏が消失すると「世界の警察」による「正義」の警察行為のためであるとされ、この「正義」も怪しくなってくると「中国の脅威」、「暴走北朝鮮の脅威」への抑止力であるとされるの至った。

 

 

 

これらの二転三転は、これら言われてきたことすべてが真の理由ではないことを物語っている。

つまり、対米従属の現状を合理化しようとするこれらの言説は、ただ一つの真実の結論に決して達しないための駄弁である。

 

 

 

そしてそのただひとつの結論とは、実に単純なことであり、日本は独立国ではなく、そうありたいという意思すら持っておらず、かつそのような状況を否認している、という事実である。

ニーチェ魯迅が喝破したように、本物の奴隷とは、奴隷である状態をこの上なく素晴らしいものと考え、自らが奴隷であることを否認する奴隷である。さらにこの奴隷が完璧な奴隷である所以は、どれほど否認しようが、奴隷は奴隷にすぎないという不愉快な事実を思い起こさせる自由人を非難し誹謗中傷する点にある。

 

 

 

 

本物の奴隷は、自分自身が哀れな存在にとどまり続けるだけでなく、その惨めな境涯を他者に対しても強要するのである。深刻な事態として指摘せねばならないのは、こうした卑しいメンタリティが、「戦後の国体」の崩壊期と目すべき第二次安倍政権が長期化するなかで、疫病のように広がってきたことである。」

 

 

〇最近、報道1930をよく見るのですが、先日たまたまそれが始まるまで、と水戸黄門を見ていたら、いつものように、「控えおろう… この紋所が目に入らぬか…」となったのですが、あれって、結局、問答無用で、権威あるものに従うという姿勢です。

黄門様は善で、悪人たちをやっつけるので、見ているものは、スッキリして喜ぶのですが、問答無用で権威あるものに従うという態度は、権威あるものが悪だとしても、従うということになります。

 

 

それが奴隷的だとするなら、小・中・高と様々なわけのわからない校則に口答えせずに従うというやり方を通じて、しっかり奴隷になる訓練を受けて育っているのだと思います。逆に言えば、そのやり方でしか教育できない社会というのが、問題なのでは?と思います。

 

 

 

 

国体論 ー菊と星条旗—

「2 異様さを増す対米従属

▼ 収奪攻勢としてのグローバリゼーション

(略)

これらすべては、「グローバリゼーションへの対応・推進」の名の下に、アメリカに本拠地を持つ場合の多いグローバル企業が日本の企業へ参入する道筋をつくるものだった。(略)

つまり、国民生活の安定や安全に寄与するための規制や制度すべてが、論理上、この「障壁」にカテゴライズされ得るのである。この延長線上で今日懸念されているのは、たとえば、日本の国民皆保険制度に対する攻撃である。(略)

 

 

 

しかし、日本の場合、際立っているのは、こうした動向に対する批判の声があまりにも小さいことである。たとえば、大手新聞メディアにしても、TPPをアメリカあるいはグローバル企業による新たな収奪攻勢としてとらえるという論調は、ほとんど見られなかった。(略)

 

 

そしてその挙句に、アーミテージ=ナイ・レポートのごとき、公然たる内政干渉が大した違和感もなく通用する(政権の政策と一体化する)という状況が、二〇〇〇年代以降通常のものとなった。

 

 

 

▼ 対米従属の逆説的昂進

ひとことで言えば、「異様なる隷属」である。再びアリギを参照するならば、こうした状況に至る前には、次のような段階があった。

 

 

親米的な自民党政権のもとでさえも、日本はアメリカの命令に従う理由をみつけるのが、ますます困難になっていた。(略)

 

 

だが、アリギも見通せなかった驚くべきことは、紆余曲折を経ながらも、結局のところ、自民党を中核とする日本の政治権力は、「アメリカの命令に従う理由をみつける」ことに狂奔し、それに成功してきた、ということだ。(略)

 

 

 

そして、脱対米従属を志向した鳩山民主党政権の成立は、その過程における例外的な事例であったが、結果としてそれは、対米従属をこれまでになく露骨に強化する激しい反動を呼び起こすこととなった。

 

 

 

▼ 軍事的従属

なぜこうした異様な事態が生じるのか。頻繁に口にされる標準的な答えは、軍事的従属のためというものである。(略)

 

 

 

イラクのごとき重要な産油国が石油取引の通貨をドルから切り替えることは、この制度に対する挑戦を意味し、ドルの基軸通貨としての地位を脅かす。アメリカの官民の負債が増え続けるなかで、米ドルの価値が崩壊するのではないか、という懸念はすでに長い間ささやかれてきた。この憂いを絶つために、アメリカはイラク戦争を決行してフセイン政権を打倒した、と見られているわけである。

 

 

 

この見方が正しいとすれば、アメリカの巨大な軍事力は、常に財政状況を圧迫する火種であると同時に、アメリカにヘゲモニー国家としての地位を保たせている究極の要因である。」

 

 

 

国体論 ー菊と星条旗—

「▼なぜアメリカから日本にヘゲモニー交代が起きなかったのか

問題は、この過程がどのように日本の「戦後の国体」に作用してきたのか、そして逆に日本の存在がこの過程にどのように作用してきたのか、ということである。

 

 

 

ウォーラースティンを筆頭とする世界システム論者は一時、アメリカの衰退と日本経済の上昇によって、世界資本主義の歴史におけるヘゲモニー国の交代が、アメリカから日本へというかたちで起こる可能性を指摘していた。しかし、現実にはそれは起こらず、彼らは今日ではそうした見解を事実上完全に取り下げている。(略)

 

 

 

ジャパン・アズ・ナンバーワン」とまで言われ、日本の経済的優位が絶頂を迎え、日本からアメリカへの資本移動が盛んにおこなわれた一九八〇年代に関して、アリギは次のように述べている。

 

 

(略)

第一次、第二次世界大戦中のアメリカの対英経済支援と、第二次冷戦期の日本の対米金融支援の最大の違いは、その結果にある。アメリカは膨大な利益を獲得したが、日本の場合、そうはいかなかった。

 

 

ふたつの世界大戦を通じて起きたイギリスからアメリカへのヘゲモニー国の交代においては、「アメリカの金融資本は最後まで、崩壊しつつあったイギリス世界市場システムを守ろうとした」にもかかわらず、アメリカで生まれた組織化におけるイノベーションの産物である「垂直統合官僚主義的経営・多単位構成型の企業体」が、世界中の私情で覇権を握り、莫大な利益を上げるようになった。

 

 

 

これに対して、アメリカから日本へのヘゲモニー交代が起こらなかった最大の理由を、アリギは一九八五年九月のプラザ合意以降のドル価値の切り下げに見出している。レーガン政権は、財政が悪化するなかで減税と軍拡を行なったが、それを大量の米国債購入によってファイナンスしたのは日本だった。

 

 

そして、「強いドル」政策は放棄され、ドル価値は下落する。プラザ合意当時、一ドル=二四〇円であった為替レートは、一九八七年二月には、一ドル=一四〇円台に到達した。つまり、為替レートの変動を通じて、アメリカの借金は棒引きされたのである。

 

 

 

▼経済的敗戦

アリギはさらに、日本の資本が対米進出した際に直面した文化的および政治的困難に言及している。(略)

これらの過程は、日本では「マネー敗戦」(吉川元忠の著書タイトル)として九〇年代末に大衆的な注目を集めた。(略)

 

 

▼「日本のアメリカ」という倒錯

異常なのは、日本の資本が利益を追求しなかったことだけではない。日本の政治も経済も、単に利益を上げることに失敗しただけでなく、戦後日本の政治経済的利益を支えてきた構造を自ら進んで破壊したと言える。

 

 

 

その構造とはもちろん東西冷戦構造であり、レーガン政権による冷戦再燃政策は、ソ連を再び軍拡競争へと引き込み、崩壊へと導いたが、その財政的なお膳立てをしたのはほかならぬ日本だったからである。(略)

 

 

 

 

つまり、「偉大なアメリカの回復」という観念を四〇年間近くにわたってアメリカが弄ぶことを可能にした要因 ― 少なくともその一部 ―は、日本の自己犠牲的な献身であった。

 

 

 

われわれはここに、「国体の弁証法」を見ることができるだろう。

「戦前の国体」は「天皇の国民」から「天皇なき国民」を経て「国民の天皇」という観念に至ったが、同様に、「戦後の国体」は、「アメリカの日本」から「アメリカなき日本」を経て「日本のアメリカ」へと至った。すなわち、「日本の助けによって偉大であり続けるアメリカ」を生み出した。

 

 

 

そして、「戦前の国体」が「国民の天皇」という概念によって支えられることによって自己矛盾に陥り、崩壊したのと同じように、「日本のアメリカ」もまた自己矛盾を深めて来たのである。」

 

 

 

国体論 ー菊と星条旗—

「第八章「日本のアメリカ」 ― 「戦後の国体」の終着点

      (戦後レジーム:相対的安定期~崩壊期)

1 衰退するアメリカ、偉大なるアメリ

▼ 衰退するアメリカとヘゲモニー維持の謎

世界システム論の論客に、経済史家のジョヴァンニ・アリギがいる。彼の主著「長い20世紀」は、ルネサンス時代以来の近代資本主義において、政治権力がどのように資本と結合し、あるいは分離してきたのか、またその二者の関係が歴史的にいかにして展開してきたのかを追ったものであり、より具体的には、軍事大国スペインを財政的に支えたジェノヴァ、オランダ、イギリス、アメリカという順でヘゲモニー国が遷移して行った歴史過程とそのん内的論理を追跡している。(略)

 

 

 

 

アメリカがふたつの世界大戦を通じて確立したヘゲモニーは、一九七〇年前後に、明白に揺らぎを露呈し始めた。それは三つの分野で現れた。(略)

 

 

軍事的に、米国はベトナムで深刻な状態に陥った。財政的には、アメリ連邦準備制度理事会は、ブレトン・ウッズで確立した世界資金の生産と規制の様式を維持していくのが難しくなり、次いでは不可能となった。イデオロギー的には、アメリカ政府の反共十字軍が国内外で正統性を失い始めた。(略)

 

 

 

アメリカ内の支配者集団は、もはや自分たちで世界を統治出来ないから、世界は自主管理でいって欲しいといっているかのようであった。その結果、まだ戦後の世界秩序で残っていたものまでもが、いっそう不安定となった。(略)

 

 

本書で論じてきた日本の近代後半の第一期(国体の形成期)から第二期(国体の相対的安定期)への転換は、実にアリギの記した右の文脈において生じた出来事であった。(略)

このように、いまからすでに四〇年以上も前からアメリカの超大国としての地位がはっきりと揺らぎ始めていたにもかかわらず、その地位がいまだに決定的には失われてはいないことは、あらためて驚くべき事実である。

 

 

 

▼ アメリカが日本に与えたもの

そして、そのアメリカのヘゲモニー維持の理由のひとつが、ほかならぬ日本である。(略)

対ソ戦略に加え、「中国封じ込め政策」という大方針があったからこそ、戦後日本に対してアメリカは寛大な保護の庇を政治経済の両面で積極的に差し出した。アリギは言う。(略)

 

 

 

このようにして、日本はアメリカの覇権下で、経済的背地を何のコストも払わずに獲得した。この後背地は、二〇世紀の前半に日本が領土の拡大で獲得することを目的とし、そのためにあれほど懸命に戦ったものであるが、最終的に第二次世界大戦での惨敗で失ったものである。

 

 

戦後の日本にとって生じたことはきわめて逆説的であったとアリギは指摘している。つまり、あの戦争での勝利を通じて獲得ないし防衛しようとしたものを、戦争に負けることによって獲得した。アメリカが戦後日本に与えたのは、民主主義のみではなかった。(略)

 

 

 

アメリカの反共主義政策の展開は、大枠で言えば、一九六〇年代に深刻化した中ソ論争を機として中国への接近を図ることで、中ソの離反を促進し、ソ連への圧力を高め、その延長線上で一九八九年以降のソ連軍東欧圏の崩壊を導いた。米中国交正常化は、このプロセスの始まりを印すものだった。

このプロセスの進展に伴って、アメリカが日本の寛大な保護者の役割を果たす具体的理由が失われてゆく。

 

 

 

▼「偉大なアメリカの回復」

かくして、アメリカにとっての一九七〇年代は衰退の雰囲気が濃厚な暗い時代となったが、この延長線上に今日のトランプ政権の「偉大なアメリカを取り戻す」のスローガンも理解されるべきだろう。(略)

 

 

 

かくして、結局のところ、経済軸で言えば、製造業の競争力回復ではなく、資本主義の金融資本主義化が「偉大なアメリカの回復」の手段となった。(略)

ネオコン派によって支配され、キリスト教原理主義者勢力によって支持された子ブッシュ政権の「先制攻撃ドクトリン」と、それに基づくイラク戦争アメリカの国際的信頼性を著しく棄損するなかで、金融資本主義化はその矛盾を露呈し、二〇〇八年のリーマン・ショックを引き起こす。(略)

 

 

 

それは、「アメリカの偉大さ」が現に失われていることに対する痛切な意識がアメリカ国内に広まっていることを物語っているし、「アメリカの偉大さ」に翳りが見え始めた一九七〇年から五〇年近く経とうとしているにもかかわらず、この観念はいまだに見捨てられていないことをもまた、物語っている。」