読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

国体論 ー菊と星条旗—

「▼ 新しい「皇道」

(略)

彼の常識では、辺野古新基地建設に反対する翁長雄志沖縄県知事をはじめとする「オール沖縄」は、「親中」で「反米」で「反日」であるということらしい。(略)

ここにおいて「反日=反米」、したがって逆に言えば、「愛国=親米」という図式が、ほぼ自動的に選ばれている。(略)

 

 

 

これは、奇怪なように見えてきわめてロジカルな帰結だ。なぜなら、「愚かしい右翼」にとって国体は無傷で護持されなければならないと同時に、現実問題として国体護持はアメリカによる媒介抜きにはあり得なかったのであるから、両者を両立させようとするならば、アメリカ自身に天皇そのものとして君臨してもらうほかないからである。

 

 

 

▼ 発狂した奴隷たち

かつ、特徴的なことには、「反日=反米」にはさらに、「=親中」という図式が定番的に付け加わる。沖縄の基地建設反対運動の参加者は中国から日当をもらっている、というような妄想がその典型である。

 

 

ここには「奴隷の思考」がわかりやすく表れている。この完全なる奴隷の思考回路においては、人間が自由な思考と意思から親米保守政権を批判し、行動することもありうるという現実を理解できない。ゆえに、その現実を自分の持っている間尺に合わせて理解しようとする。(略)

 

 

彼らの妄想は、自分の奴隷の世界観に合わせて世界を解釈した時の「現実」そのものなのである。

もちろんここには、レイシズムも絡んでいる。(略)

すなわち、欧米人の仲間入りをしたいというコンプレックス、そしてアジアにおいては自分たちだけが近代人なのだという差別感情を上手く活用すれば、日本人はアメリカに従属する一方、アジアで孤立し続けるだろう、とダレスは見通していた。(略)

 

 

したがって、結局のところ、アメリカが戦後日本人に与えた政治的イデオロギーの核心は、自由主義でも民主主義でもなく、「他のアジア人を差別する権利」にほかならなかった。

そして現在、「欧米人の仲間入り」の願いは、日本資本主義が対米進出を企てたバブル期に、アメリカのレイシズムの現実の前で挫かれ、経済的衰退と中国をはじめとするアジア諸国の台頭は、「アジアにおける唯一の一等国」という観念を無惨なほど根拠なきものとしてしまった。

 

 

 

その結果が右に見てきた、一種の集団的発狂である。発狂した奴隷というものがいかにおぞましいものであるのかを、日本人は日々証明しつつある。

二〇一二年末に始まった第二次安倍晋三政権の時代は、「戦後の国体」の崩壊期にまさにふさわしい光景が繰り広げられた期間であった。

 

 

 

重要なのは、安倍政権が消え去ったところで、社会と個人の劣化が自動的に止まるわけではない、ということだ。(略)

世論調査によれば、安倍政権支持者の最多の支持理由は「他に適任者が思い当たらないから」というものであるらしいが、言い得て妙である。

 

 

 

現在の標準的な日本人は、コンプレックスとレイシズムにまみれた「家畜人ヤプー」(沼昭三)という戦後日本人のアイデンティティをもはや維持することができそうにないことをうっすら予感しつつも、それに代わるアイデンティティが「思い当たらない」ために、鏡に映った惨めな自分の姿としての安部政権に消極的な支持を与えているわけである。この泥沼のような無気力から脱することに較べれば、安倍政権が継続するか否かなど、些細な問題である。」

 

〇 安倍政権の犯罪的なやり方が明るみに出るたびに、これほどまでに酷い人間をリーダーにしている私たちの社会に、最初は驚き、次に怒り、呆れ、どうすれば良いのだろうと思いました。でも、ごく一部の少数の人間だけがおかしいから、このような反民的な態度のリーダーが容認されているわけではない、と知る様になり、今は、心の内、密かに、子供を産んだことを悔いる気持ちにさえなることがあります。

 

こんな酷い社会で生きなければならない子や孫に、申し訳ない気持ちになります。