読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

国体論 ー菊と星条旗—

「▼なぜ日本人はこの神話を手放さないのか

(略)

それは、この神話を信じたい動機が戦後の日本人にあるからだろう。その動機とは、自分たちの戴く君主が高潔な人格の持ち主であってほしいという願望だけではない。天皇の高潔さにマッカーサーが感動し、天皇に敬意を抱いた、つまりアメリカは「日本の心」を理解した、という物語を日本人は欲しているのである。(略)

 

 

▼変節と依存

周知のように、アメリカによる日本占領は、驚くべきスムーズさをもって行われた。(略)

その直接の理由が、天皇による日本国民に対する戦争終結宣言(玉音放送)にあったことは明らかだった。(略)

 

 

ひとことで言えば、途轍もない変節が生じたのである。八月一五日以前の「自分の言葉」に責任を持とうとした日本人は、きわめて稀であった。ゆえに、戦後の全期間を通じて多くの知識人が、この変節の問題を繰り返し主題化することとなる。

だが、それはともかく、敗戦後の日本人が、現実に生きてゆくためには、「鬼畜」とまで呼んでいた敵に、抵抗するどころか依存するほかなかった。多数の同胞を殺した敵に、である。

 

(略)

 

なぜ変節が正当化されうるのか、なぜそれが裏切りにならないのか。その答えを、日本人はあの美しい物語において見つけ出すことができる。マッカーサーが、あるいはマッカーサーによって代理表象されるアメリカが、天皇に対して理解を持ち、敬愛の念を持つのならば、かつての敵が「鬼畜」呼ばわりされたことは、不幸な誤解として処理することが可能となり、死んで行った同胞たちの遺志を継いで抵抗しなければならない義務から戦後の日本人は解放される。アメリカの庇護の下、「幸福に暮らす」ことが許される。

 

 

 

司馬史観英米協調

同時に、かつての英米派政治家・外交官(幣原喜重と吉田茂に代表される)の登板によって戦後政治の主流が形成されることにより、「明治維新以来の日本外交の本筋は英米協調路線であり、第二次世界大戦の時代は狂気じみた軍人がそれを逸脱させたために、大失敗を犯した」という印象がつくられ、「不幸な誤解」という変節的心理操作は補強される。(略)

 

 

 

▼「抑圧されたものの回帰」

(略)

対米従属的な国家は世界中に無数に存在するが、「アメリカは我が国を愛してくれているから従属するのだ。(だからこれは別に従属ではない)」などという観念を抱きながら従属している国・国民など、ただのひとつもあるまい。まさにここに、「わが国体の万邦無比なる所以」がある。(略)

 

愛に基いた従属ならば、それは従属ではない。在日米軍を「思いやり」、もてなすという精神に、この衝動は最も明瞭に現れている。

 

 

 

2 天皇制民主主義

▼支配の否認がもたらすもの

そしてまた、こうした日米関係をめぐる観念が、今日露呈した戦後民主主義の限界を画している。

「主を畏るるは知恵の始まり」(「旧約聖書」、箴言一章七節)。この箴言の解釈はさまざまあろうが、ひとつの解釈は、「われわれが何によって支配されているのかを知ることによって初めて、知性が働き始める」ということだ。つまり、この箴言によれば、われわれは自分が自由であると何となく思い込んでいるが、実は全知全能の神(=主)によって完全に支配されている。

 

 

ゆえに当然、主は恐るべきものであり、主が何を望んでいるのか、われわれは理解しないわけにはいかない。したがって、「主の意志を知ろうとする」ところから知性の運動が始まる、とこの箴言は述べているわけである。

 

 

 

それは、逆に言えば、「主を畏るる」ことがなければ知恵は始まらない、ということを意味する。われわれが何によって支配されているかを意識せず、支配されていることを否認し続けるならば、永久に知恵は始まらない。今日、日本人の政治意識・社会意識が総じてますます幼稚化していること(=知的劣化)の根源は、ここにあるだろう。

 

 

 

戦前のデモクラシーの限界が明治憲法ジームによって規定された天皇制であったとすれば、戦後のデモクラシーもまたその後継者によって限界を画されている。いずれの時代にあっても、「国体」が国民の政治的主体化を阻害するのである。

 

 

 

被支配とは不自由にほかならず、支配の事実を自覚するところから自由を目指す探求が始まる以上、支配の事実が否認されている限り、自由を獲得したいという希求も永遠にあり得ない。つまり、日本の戦後民主主義体制とは、知性の発展も自由への欲求に対する根本的な否定の上に成り立っている。

 

 

占領政策の道具としての天皇

こうしたきわめて特殊な外見的民主主義体制の成り立ちを、歴史家のジョン・ダワーは「天皇制民主主義」と呼び、その発明をマッカーサーに帰している。(略)

 

 

この「民主主義」の茶番性は、今日でもたとえば「主権者教育」— 「主権者たれ」と上から号令をかける教育 ― において、反復されている。

 

 

アメリカの「愛情」の裏側

日本人が戦後の日米関係に投影したファンタジーから離れて、実際に何があったのかを見てみるならば、そこにあったのは、愛情や敬意どころか、人種的偏見と軽蔑であった。

一九四五年春にマニラで開かれた米英合同軍の心理戦担当官会議で配布された秘密資料には、次のような事柄が書かれていた。

 

日本人は自分自身が神だと信じており、以下に示されるような民主主義やアメリカの理想主義を知らないし、絶対に理解も出来ない。

 

(1)アメリカ独立宣言

(2)アメリカ合衆国憲法

(3)太平洋憲章

(4)他人種、他宗教を認める寛容の精神

(5)公正な裁判なくして処罰なしの原則

(6)奴隷制反対

(7)個人の尊厳

(8)人民への絶対的信頼

 

こうしたむき出しの人種的偏見ならびにシニシズムと、アメリカの理想主義にこそ世界普遍的に理解されるべき価値が無条件にあるとする傲慢との混合物(エドワード・サイードがいうところの「オリエンタリズム」の典型)が、後のGHQが擁した民主主義改革の実行者たち全員に共有されていたとは、もちろん言えない。(略)

 

 

小泉八雲に傾倒する日本通であったフェラーズにとってさえ、天皇制の存続それ自体はどうでも良いこと柄であった。それは円滑な占領のために必要だったのである。

 

▼「天皇制民主主義」の本質 ― 軽蔑・偏見・嫌悪の相互投射

(略)

それよりもわれわれが問うべきは、「いまの占領が継続する間」とは、一体何時のことを指すのか、という問いではないのか。それは、いわゆる占領期を超えて延長され今日にまで続き、そしてまさにフェラーズがここで言っているように、「天皇制も存続」—形を変えながら ― してきたのである。

 

 

 

そして、今日の日本の戦後民主主義の腐朽に徴して、日本人にはデモクラシーの理念は根本的に理解不可能だとするヴィジョンがますます正確なものとなりつつあるように見えるという事実を、単なる歴史の皮肉であると済ませて素通りするわけにはいかない。

 

 

(略)

 

 

民主主義改革プロジェクトの理想主義よりも、それが従来の天皇制、すなわち国体を否定しながら、他方である側面ではきわめて自覚的かつ積極的に国体を維持・救済しようとしたということの意味が、いまとなっては圧倒的な重要性を帯びている。

 

 

 

彼らは、彼らの軽蔑と偏見ゆえに国体を救済し、それを敬意と愛情による行為だと装ったのであった。(略)

こうした二重構造の心理は、事あるごとに「日米は自由民主主義を共通の価値として奉ずるがゆえに、緊密な同盟関係にある」として日米間の友情を強調しながら、民主主義改革の重要な一部として位置づけられた新憲法を「みっともない」(安倍晋三)ものとして軽蔑・嫌悪する、親米保守派の姿勢に明瞭に現れている。(略)

 

 

そして、天皇制民主主義の成立とは、「国体護持」(変容を通過しつつも)そのものである。その具体的経過を次章では見ておかなければならない。」