読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

タイガーと呼ばれた子_愛に餓えたある少女の物語

「火曜日の朝、シーラはもどってきた。(略)


アレホはシーラを見て大喜びだった。シーラがドアから入って来ると、アレホの小さな顔がぱっと輝き、教室を走って行って両手を広げ、彼女に抱きついた。これには私たち全員が驚いた。アレホは何週間もずっと、何にもさして興味を示さず、また何をしでかすかわからない感じの子どもだったからだ。

だが、これに一番びっくりしたのはシーラだった。アレホがうれしくてたまらないというふうにシーラにしがみついた時、シーラの顔に最初に浮かんだのは驚きの表情だったが、やがて彼女は微笑み、身体をかがめてアレホを抱きしめた。

サマー・プログラムの間じゅう、シーラもまたアレホと同じように簡単には心を許さなかった。今になってはっきりわかったのだが、こういうセッティングは彼女にとって自然なものではなかったようだ。」



「私は何が起こっているのかに気づいた。水の上ではあれほど優雅に見えながら、水面下では必死で足を動かしている白鳥のように、シーラは私たちの間に起こったあの騒ぎが消えてなくなるように、いや少なくとももう表面には出て来ないようにと願いながら、平静を装って熱心に働いているのだった。


午前中ずっと彼女を見ていて、彼女は今まで何度この行動パターンをとってきたのだろうかと私は考え込んでしまった。


シーラにこの問題をそのまま忘れさせてしまわず、立ち向かわせなければいけないと感じた私は、フェントン・ブールヴァ―ドまで送る車の中で彼女をおいつめた。


「そろそろ話し合った方がいいわね」学校から車を出しながら、私はいった。
「え?何について?」
「わたしたちのこと。独立記念日の週末のことよ。あのとき、すごく強い気持ちが爆発したわね。あのことをちゃんと解決しておいた方がいいと思うの」


私が何のことを話しているのかさっぱりわからないとでもいうように、シーラは肩をすくめた。
「あなたは小さい時に私があなたを見捨てたと思ってると私は感じたんだけど」
「そんなこと全然いってないよ」



「私の耳にはあなたがものすごく怒っているようにきこえたわ。私があなたをはめたと感じていること、私があなたのことなんかまったく気にも留めずに行ってしまったと思っているというふうに」
「もうどうでもいいんだ。もう怒ってないから」とシーラはいった。
「こういうことにはきちんと立ち向かわなければいけないのよ、シーラ。あなたがそれほど強く感じているのなら、あなたがどんなにその気持ちが消えてなくなったふりをしてもなくならないわよ」


シーラはまた肩をすくめた。「どうかな。遅かれ早かれ、あたしの人生に与えられたものは全部どっかに行ってしまうんだから、この気持ちもいってしまうんじゃないの?」
「シーラ!」(略)


シーラの方を見ると、彼女はしたり顔で微笑んでいた。「あたしにごめんなさいといってほしいのね。そうでしょ?あたしがばかでした。あんなことするつもりじゃなかったんだ」
「私に怒るのはいいのよ。そんなことはいいの。でもね、そのことに正面から立ち向かわなくちゃ」


「ううん、怒ってたんじゃないんだ。ただばかだっただけ。それだけだよ。あたし、良くああいうふうになるんだ。だから、もうあのことは忘れてよ。何もなかったことにしようよ」
「だけど、あったのよ」
「あたしがなかったと言ったらなかったことになるの」そう言ってシーラは私の方を見た。「ものごとっていうのは、あると信じる時にだけあるんだから。ほんとうだよ。本で読んだことがあるもの。それに実際本当にそうだよ。だってあたし、そうだって知ってるもん」


「ということは、あなたが私たちの間で言い合いなんかなかったと思えば、私たちは言い合いをしなかったと言いたいわけ?」


「ものごとなんか存在しても、あたしたちを困らせるだけなんだよ。そして、あたしたちが存在を許す時にだけ、ものごとっていうのは存在するんだよ」
それから沈黙が流れた。私は突然、何年も前にシーラが別の教師の教室でひどいいたずらをした後に彼女と一緒に引きこもった学校の暗い書庫に引き戻された。」


「「でも泣きたいと思わないの?」わたしはびっくりしてきいた。シーラは六歳で私は二十四歳だったが、私の方は泣きたい気持ちだったからだ。


「だれもあたしを痛めつけることはできないんだよ」シーラは淡々とした声でこたえた。
「あたしが泣かなかったら、あたしが痛がってるとはわからないでしょ。だから、あたしを痛めつけたことにはならないんだよ」
七年経った今になっても、シーラがまだこの説を信奉していることに私は気づいた。」



「今になって私はシーラをここまで深入りさせてしまったことを後悔していた。シーラがアレホに関する最終判断を受け入れられないことが分かっていたからだ。(略)


「あの子は知能が低くなんかないよ。完璧に正常だよ」シーラが言った。(略)


「そうね、あんたならそういうよね」とシーラが彼に向かっていった。「ばかだって言われてるのはあんたじゃないんだもんね」そして、テーブルを拭いていた雑巾を放り投げて、足音も荒く出て行ってしまった。」


「「アレホにそんなことさせないよね」あとで車に乗ってからシーラがいった。彼女はもう怒ってはいず、代わりにせっぱつまった心配そうな声だった。(略)


「私が選べる事じゃないのよ、シーラ。あの子はかわいい子よ。でも脳に障害があって、知能も低いし情緒障害もあるわ。なかなか大変なことなのよ。わたしとしては両親に彼を手放さないでということは出来るから、そうするつもり。ジェフと私と二人でね。でも、強制はできないわ」(略)


シーラは怒りでいらいらしながらまくしたてた。「あの子に今まで起こったことを考えてみてよ!あの子はごみ箱にいるところをみつけられて、ここに連れて来られ、素敵なおもちゃや食べ物やテレビや、何もかもあたえられた。それを今になってどうすると思う?あの子をまたもとのごみ箱に押し戻そうとしているんだよ。それなのにトリイはただじっとしていて、そういうことをさせるつもりなの?」


「何もただ”じっとしている”わけじゃないわ。私たちだってそういうことが起こらないように努力はするわよ。アレホの行動が変わる手助けをする努力もするわよ。あの子の両親が受け入れられるような代替案をみつける努力もするわよ」
「でも、もしそれがうまくいかなかったら?」
「すごく悲しく思うでしょうね」
「それだけ?悲しくなるだけ?」


「私にはそれしか出来ないのよ」とわたしはいった。


胸のところで腕を組んで、シーラは私から顔をそらせた。「あんたは卑怯だよ。あんたもあんたの仲間も。みんなどうしようもないクソったれの卑怯者だよ」」


〇昔、「卑怯者の思想」(野坂昭如著)というのを読んだことがありました。内容を全く覚えていません。