読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

タイガーと呼ばれた子_愛に餓えたある少女の物語

〇 「サピエンス全史 上」では、いろいろな感想をすっ飛ばしながら書いてしまったので、そのことも気になるのですが、また、いつか落ち着いてメモを最初から読み直し、その中で、感想を付け足して行きたいと思います。

「タイガーと呼ばれた子」が途中になっているので、まず、そちらのつづきをメモしてしまいます。

「その夏、私は私生活では流転の日々を過ごしていた。私はもともとは一人の決まった相手と何年にも渡る長い関係をもつ傾向にあった。だが、当時の私は、ある親しい女友達がいみじくも言ったように”端境期”という状態だった。」


「こんな私がつき合う相手として大変なことは自分でもわかっていたし、自然とつき合う相手は安定した寛大な男性ということになった。だが、当時そういう男性はなかなかいなかった。」


「私には異常に負けん気の強いところがあった。そのために可能性がほとんどないような時でさえ勝ってみせると決意してしまう。子ども相手にはこの気質はうまく働いたが、人間関係ではこれは致命的だった。(略)


最も新しい相手はアランだった。(略)アランはこの再開発地区の真ん中の狭い脇道沿いで小さな書店を経営していた。
あまり知られていないギリシアの戯曲の本を探している時に、私は会欄と初めて出会った。」


「彼に私の子どもたちの話をするなんてとてもできなかった。でも、それはそれでよかった。仕事のことでじっくり話したいときにはジェフがいてくれたし、仕事を離れた場所では、ギリシアの詩のことやオーストラリア産の赤ワインのことを話していてとても幸せだったから。」


「ちょうどそのとき、奥からアランが姿を見せた。「トリイ?おや…」シーラを見てアランがいった。
「あっ」今度はシーラが言った。
「今夜は予定があったのよ」私は優しい声でいった。
「ああ、そういうこと」その後ずっと黙ったままシーラはアランをみつめていた。
「この人がトリイの今のファックの相手なの?」まるでごくふつうの会話のように、シーラは気軽にいった。


「シーラ、帰ってもらわないといけないようね。わざわざ来てくれたのに悪いけど。前もって知らせてくれればよかったのに」(略)


「ねえ、この人チャドほどハンサムじゃないね」シーラはまだごく普通の会話をしているような楽しそうな声でわたしにいった。それからアランのほうをちらりと見た。「チャドってトリイの前のファックの相手なの。彼が最後ってことは多分ないだろうけど。チャドとあんたのあいだに何人いたかは知らないけどさ」
「シーラ!」私は彼女の肩に手をかけて、ドアの方に連れていった。」



「シーラは私を見ている。私がこたえないので、彼女は肩を落として溜息をついた。「トール?」
「なあに?」
「あたし、どうなるの?」
「どういう意味?」
「えー、だから、このサマー・スクールが終わったらッて意味だよ。あたし、どうなるの?つまり、今のあたしって何なの?あたしってトリイの生徒じゃなでしょ?患者でもない。少なくともあたしは患者だとは思ってない。でも友達扱いもしてもらってないし」


この言葉に私はひっかかって、彼女の方を見た。「どういう意味なの、それ?」
「わかってるくせに、トリイ。あたしたち友達じゃないじゃない。トリイがどう思ってるかは知らないけど、友達じゃあないよ」しばらく間があってから彼女は続けた。


「それにサマー・プログラムも終わろうとしている。またあたしを置いていく気?」
「いいえ、私はどこにも行かないわ。まだずっとあのクリニックにいるわよ」
シーラはいらいらして小さく舌を鳴らした。「トリイって、すっごく鈍い時があるね」シーラはぶつぶついった。「トリイがどこで働いてるかなんか、どうでもいいんだよ。ききたいのは、あたしはもうあそこにはいかなくていいんでしょ、ってことだよ。あたしはどうなるの?」
「あなたはどうしたいわけ?」(略)


大きなディスカウント・ストアの駐車場に車を乗り入れて、はるか端の方に車を止めるとエンジンをきった。「バスはいっぱいあるわ。もしいつものバスに間に合わなければ、あとのバスに乗ればいいわよ」
思ってもいなかった私の行動に、シーラは目を大きく見開いた。」



「突然わたしはあのころにもどりたくてたまらなくなった。あの頃の方がずっと簡単だった。あのころ、私は大人でシーラは子供で、自分の世界が正しくシーラの世界が間違っていて、問題はただシーラをこちらの世界の住人にさせることだけだと私は確信していた。私は自分がやっていることの基本的な価値を疑ってみたことなど一度もなかった。」


〇 ここで想うのも、「信じていた」ということです。トリイは心から本気で信じていた。だから、シーラをその信じる世界に引き込むことが出来た。時間が経って、さまざまな複雑な問題が起こり、二人とも年を取り、今の状況が変わっても、その当時は、本気で真剣にその世界を信じていた。

その迫力がトリイを生かし、シーラを生かしたんだろうな、と感じます。

あの「サピエンス全史 上 <真の信奉者>」の言葉を思い出します。

キリスト教は、司教や聖職者の大半がキリストの存在を信じられなかったら、2000年も続かなかっただろう。


アメリカの民主主義は、大統領と連邦議会員の大半が人権の存在を信じられなかったら、250年も持続しなかっただろう。近代の経済体制は、投資家と銀行家の大半が資本主義の存在を信じられなかったら、一日も持たなかっただろう。」


「なんでそんな呼び方をするの?」シーラは私の方を振り向いて、唐突にきいた。
「呼び方って?」
「キドーって。あたしが小さい時は、あたしのことをかわいい子(ラヴィー)って呼んでくれた。それからタイガーとか。スウィートハートとか。あのころのあたしと今のあたしとどこがちがうの?」

〇シーラの言葉の端々から、「私を一番に愛して!」という思いが透けて見えて、切なくなります。小さな子が、お母さんに「兄弟の中で誰が一番好き?」と聞くのと同じ気持ち。奥さんが、旦那さんに「仕事と私とどっちが大事?」と聞くのと同じ気持ち。