「O 例えば、主権とか、人権とか、近代的な民主主義などは一般に、宗教から独立の、あるいは宗教色を脱した概念だと見なされている。実際、イスラム世界のどこかの国が、イスラム教に忠実な制度や政策をとると、西洋をはじめとする諸国は「そんな神権政治のようなものはダメだ。人権や自由や民主主義といった世俗の価値を優先させるべきだ」と批判する。
つまり、宗教を斥けるために利用しているわけですね。
しかし、こうした宗教色を脱した概念自体が、実はキリスト教という宗教の産物なのではないでしょうか?
H そのとおりです。今言った、主権や国家の考え方はみな、神のアナロジーなんですね。(略)
中世にはジャスト・プライス(正当価格)というものがあって、靴がいくらか、パンがいくらか、価格は伝統的に決まっていた。それによって、それぞれの職業が守られていた。
価格を需要供給の関係に任せれば、あくどい商人が儲けるに決まっているのです。ですから、アダム・スミスが需要供給の関係で商品の価格が決まる市場メカニズムに、「神の視えざる手」が働いていると、それを正当化したのは、どんなに革命的なことだったかわかります。(略)
O 僕はときどき、どうして、イスラム教の方から近代的な資本主義が出て来なかったのか、と思うことがあるんです。
だって、ムハンマド自身が商人ですよね。
イスラム教ではムハンマドが神の声を受け取り、それがクルアーンになったと見なすわけですが、第三者の観点から見ると、クルアーンには、商人にとっての正義や公正性が洗練されて表現されているようなところがたくさんあります。