読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

一下級将校の見た帝国陸軍(組織と自殺)

「「S上等兵」私は、故意にきびしい声を出した。それはむしろ、自分に決心をさすためであった。「二人を指揮して、サンホセ盆地へ行け」。彼がどんな返事をしたかよく憶えていない。私はおっかぶせるように言った。「命令だ、行けッ」。二人の召集兵は驚いて何か声を出した。



沈黙がつづいた。やがてS上等兵は落ち着いた声で言った、「少尉殿、弾着点を突破するまで、自分たちを指揮して下さい」。本当にその必要があったのか、彼が本心からそのこと自体を欲したのか、ただ私をここに置いて去るにしのびなかったのか、それはわからない。(略)




だが私は、一兵卒から叩き上げたS大尉こそ大儀名分に従って自己正当化する名人だったことを忘れていた。私が思ったぐらいのことは、疾うの昔に彼が思いついていて、当然だっただろう。(略)



彼らは弾着点を突破して来た私を見、一瞬、つづいて砲車も来るものと錯覚し、危険を逃れたと思って歓声をあげた。こうなるともう方法はなかった。ここまで来たことが明らかになり、しかも黙って報告せずにバガオの方向に去ったら、それは戦場離脱・敵前逃亡に等しいとされるであろう。



その結果私は罪人のようにS大尉の前に立ち、U支隊長に一部始終を報告の上、処置について指示を仰ぐようにと命ぜられた。処置とは何であるか私は知っていた。それがあの日、S上等兵と二人で、サンホセ盆地をダラヤ地区の方に歩いていた理由であった。



だが、すべては過ぎ去り、生者は理由もなく生き、死者は理由もなく死んでいた。それに対して、私に何ができただろう。家の向こうから、あの「死のリフレイン」が、騒がしく、暗く、うつろに聞こえて来た。「出発!」二世の声であろうか。下手な号令が聞こえ、人々はのろのろと立ち上がった。



私は再びダラヤ地区の方を向いた。あの日と全く変わらぬ風景が見え、それは「あの日、自殺しないで良かったな。だがな、お前が死のうが生きようが、自然は関係ないんだよ」という言葉をつづっていたように思えた。そして私は戦場を去った。」