読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

人間にとって法とは何か

「2 言語ゲーム(language game)としての法

暗黙のルールと明示化されたルール

どんな社会でも、人々は、必ずルールに従って行動しています。それは必ずしも責務を課すルールでなくてもいいかもしれません。とりあえず広津的なルールと考えて下さい。(略)



でも、ルールが何かをめぐる紛争が起ったら、それはルールで解決できますか。AさんはルールはルールAだと言い、BさんはルールBだという。そういうふうになってしまった場合、どっちが正しいかを、ルールAかルールBのどちらかで解決しようと思うと、どちらも不満ですから、解決できないことになります。



ということは、これはメタレベルの紛争なのですね。その場合、ふつう、ルールの中では解決できない。そうすると、誰かが、これがルールであると主張して、みんながそれに従い、治めるしかないのですね。




暗黙にルールに従うのではなくて、「これがルールである」と言葉にして、それにみんなが従っているならば、この時点で、ルールが何であるかという問題は解決します。


最初、暗黙にルールに従っていたのと、言葉にして「これがルールになりました」と言う段階とでは、違うのですね。これは、別なふるまいなのです。別な「言語ゲーム」なのです。



そこで、ハートが言っているのは、暗黙のルールが最初にあったから、これを「一次ルール」、後から言葉になったから「二次ルール」と言う、ということではないか。二次ルールは、言語にしているのですが、結局もとのルールについて言及しえいるのですね。



二つのルールが結びついているので、「一次ルールと二次ルールの結合」ということになります。こう考えればすっきりするのではないか。
そうすると、ハートが言ったように字義通りに理解しなくても、この枠組み自身は、いろいろ工夫して繰り返し適用できる。そう思っていろいろやってみました。




要は、ルールとは「言語ゲーム」のことだと考えればよいのです。
ヴィトゲンシュタインは、人間のふるまいは、みな、何かの規則(ルール)に従った言語ゲームである、と言いました



言語ゲームとルールは、表裏の関係にある。とすれば、「一次ルールと二次ルールの結合」とは、(一次ルールにもとづく)言語ゲームと、(二次ルールにもとづく)言語ゲームの結合、という意味になります。こう考えてみることで、ハートの学説をすっきり理解できる、というのが「言語ゲームと社会理論」のなかみです。」




〇 ここで思い浮かんだのは、山本七平氏の「私の中の日本軍 下 (最後の言葉)」です。抜粋します。


「しかし、その時、はじめて人は気づくのである。すべて奪われても、なお、自分が最後の一線で渾身の力をふるってふみとどまれば、万人に平等に与えられている唯一の、そして本当の武器がなお残っていること。


それは言葉である。
もうそれしかない。だが、自分で捨てない限り、これだけはだれも奪うことはできない。



処刑は目前に迫っている。確かに、言葉で戦っても、もう無駄かも知れぬ。発言は封ぜられ、その声はだれにも届かず、筆記の手段は奪われ、たとえ筆記しても、それはだれの目にもふれず消えてしまうかも知れない。



しかしそこで諦めてはならない。生き抜いた者はみなそこで踏みとどまったし、たとえ処刑されても、その行為は無駄ではない。「どうせ死ぬ」のだからすべての行為は無駄だというなら、すべての人はおそかれ早かれ「どうせ死ぬ」のであり、それなら人間の行為ははじめからすべて無駄なはずである。



従ってその死が明日であろうと十年後であろうと三十年後であろうと、それは関係ないことである。
誤っていることがあるなら、自分の誤りを含めて、それを申し送っていくことは、一面そういう運命に陥った者に課せられた任務でもあろう。消えてしまうなら、消えてしまうでよい。しかし、いつの日かわからず、また何十年あるいは何百年先かそれもわからないが、自分が全く知らず、生涯一度も会ったことのない、全然「縁もゆかりもない」「見ず知らず」の人間が、それを取り上げて、すべてを明らかにしてくれることがないとは、絶対に言えないからである_現に、ここにある。」


〇 そして、「一下級将校の見た帝国陸軍(言葉と秩序と暴力)」の中にもこの言葉がありました。

「一言でいえば、人間の秩序とは言葉の秩序、言葉による秩序である。陸海を問わず全日本軍の最も大きな特徴、そして人が余り指摘していない特徴は、「言葉を奪った」ことである。
日本軍が同胞におかした罪悪のうちの最も大きなものはこれであり、これがあらゆる諸悪の根元であったと私は思う。」

「人から言葉を奪えば、残るものは、動物的攻撃性に基づく暴力秩序、いわば「トマリ木の秩序」しかない。そうなれば精神とは棍棒にすぎず、その実態は海軍の「精神棒」という言葉によく表れている。

〇 「言葉」による秩序を作るには、「黒を白」というような嘘がまかり通る社会ではダメだと思う。そのような嘘を受け入れなければならない「忖度」が強要されるのも、(信頼できる)言葉を奪われていることになると思います。