「第2話 最後の半日
とにかく、いまを絶望しないように
亡くなる前の日から「息苦しい」とは、言っていた。「死ぬかもしれない」とも言っていた。いま思えばあたりまえだ。中咽頭ガンの頸部リンパ節転移、いよいよ末期、身長一七五センチ、体重は四〇キロを切り、食事はほとんどとれなくなってもう数か月、命を維持するのにぎりぎりの量という九〇〇ミリリットルの高カロリー輸液で命をつないでいたような状態だったから。(略)
客観的に見ればこの人はいつ死んでもおかしくないのだが、そばにいるわたしは、「こんなに具合が悪いのだから、もう、ダメだ」ということを一度も思うことがなかった。いま、何ができるだろう、いま、どうやったら気持ちよく過ごせるだろう、いま、自分がしなければいけないことはなんだろう、そういうことばかり考えていた。
いま考えればそんなふうに思えたのは、幾人かの人の力と教えと祈りとに支えられていたからだとわかる。互いに親を亡くした時期に一緒に仕事をしていた作家、吉本ばななさんは、夫にも会って下さっていて、夫の末期ガンがわかったときから、いつも祈ってくれていた。
「こんな重い病気なのだから、もうダメだ、と思わないように」、いつもそれを祈っているから、ということだった。彼女からのメッセージはわたしを深く励まし、そして、わたしもまた、祈るのであればそのように祈ろう、と思ったのだ。
なぜこの人がいまこんな病気になってしまったのか、という怒りではない。わたしを置いていってしまうの、という悲しみでもない。なんとかこの病気を治してほしい、という懇願でもない。そういう気持ちはもうなかった。うちの人は、ガンになる前にすでに十分に具合が悪かった。
脳出血で大手術したり、てんかんの発作が出るようになったりしていたので、もうこちらも「病気馴れ」していたこともあると思う。
とにかく、いまをせいいっぱい。いまが楽しいように、いまが苦しくないように、いまを絶望しないように。それだけ考えていた。それだけを考えられたことが幸せだった、といまになるとわかる。」
〇 とてもいいお話しだと思いました。