読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

死にゆく人のかたわらで

「あとがき

 

夫は悪く言えば、不器用というか、考えなしというか、適当というか、そういうところのすごくある人だった。(略)

ある年末の日、カーテンを洗濯機に入れたものの、そのまま出かけなければならなくて、夫に「カーテン、洗ったから、フックを付けてカーテンレールにかけておいてね」と頼んだ。このとき、頼んだカーテンは、薄いオーガンディーのような記事のカーテンだった。

 

 

帰宅してみたら、カーテンはちゃんとカーテンレールに、かかっては、いた。しかしよく見ると、薄い方のカーテンの長さが妙に揃っていない。(略)

 

 

夫は、おそらく一度もカーテンを洗ったことがなかったのだろう。カーテンフックをカーテンの上部にどうやって取り付けたらいいのか、わからなかったらしい。(略)

 

つまり夫は、カーテンフックをカーテンにつけるにあたり、それを差し込む所がわからないから、ぶすっとフックで薄いカーテン生地に適当な穴を開けてしまって、ランナーに取り付けていたのだ。(略)

 

 

唖然としたものである。どこに差し込んだらいいか分からないからと言って、カーテンフックでカーテンに穴を開けていいはず、ないだろうが。オーガンディーのカーテンは、丸井で買ったのだけど、それなりに高いカーテンだった。それに一二個も穴を開けていいはずないでしょう。

 

 

私は真剣に怒ろうかと思ったが、そういうことをやりそうな人に頼んだ私が悪いのである。(略)

 

 

ことほどさように、というか、なんというか、そんな感じの人だったから、あまり細かいことは考えなかったし、丁寧に何かをやる、というのも苦手だったと思う。何かやって、と頼む時には、いつもこのカーテンのエピソードが思い出された。何かを頼むときには、全てを丁寧に説明してわかってもらえるようなことでないと頼めない。結局、面倒くさいから、頼まないで自分でやっちゃったりしたものである。(略)

 

 

 

と、まあ、何事につけても器用な人だった、とか、よく気の付くマメなひとだった、とは言い難いのだが、でも、本当に、おもてうらのない、素直な愛すべき人だった。

いまとなって、ただなつかしく思い起こすのは、このカーテン事件みたいに、その時は唖然としたけど、あとになったらもう、大笑いできるようなことばかりだ。(略)

 

 

喪中が三年くらい続いたけれど、今年は久しぶりに年賀状を書ける年始だった。近所の神社にお札を納に行った。梅が咲き始めていて、まだ寒いけれどうっすらと春の雰囲気が漂っている。甘酒とかおしることか売る茶店が出ている。気楽に、誰かと一緒に、どうでもいいようなことを言いながら買い物をして、神社に寄って、なんとなく神社まで散歩して、そこで一緒に甘酒とか飲みたいな。そういうことをする人を亡くしてしまったことをわたしは痛感した。

 

 

失ってしまったのは「どうでもいいこと」を共有する人。それが配偶者なんだなあ。配偶者を失う、とはどうでもいいことを延々としゃべったり時間をただ共にしたりする人を失う、ということだ。特別な時間を共にして、輝く様な瞬間を愛でる……ような恋人をつくるのは、おそらくこれよりはずっと簡単なことなのかもしれない。

 

 

金ちゃん、あなたが本当になつかしい。わたしの日常を支え、毎日を護り、海外生活の長かった私を日本に着地させてくれた人。怒ったり泣いたり喧嘩したりすねたり、私が誰にも見せられないようなことをあなたは見て来た。そういうことを共有するあなたは、もうこの世にいない。そのさびしさはこの「あとがき」を書いていると、ひたひたと私に迫る。(略)

 

 

もちろん、不慮の死、とか、突然の死、というものもあるだろう。でもそういうものならいっそうのこと、本人は全く死ぬ気などなくて、自分が死ぬことを考えてもいなかったんじゃないか、と思う。ふと、気づいたら、自分は生きていない。死はそんなふうに訪れるのではないのか。

 

 

生きて、生活して、その先に、死、という道がある。というか、死という道があることもある。それは、本人にも周囲にも明確に、ドラマチックに訪れるものではなくて、ふと、道に踏み入ったように、訪れるもの、のようなのだ。(略)

 

 

しかし、夫を腕の中で看取って思うのは、死はあまりに身近で、この生と繋がっている、という、厳然たる事実であった。(略)

からだがあたたかく、やわらかいうちに、私たちがやらなければならないことは、あの冷たさを思い出すと、ただ、明らかであるような気がする。あたたかいからだのあるうちは、ただ、愛し合いたい。

 

 

 

「夫を家で看取る」ということが、現代の東京でできたのは、本文にも出てくるが、我が家から五分のところに、訪問診療の草分けのひとりである新田國夫先生が開業しておられたからである。(略)

 

 

一年半経ったいまなら、書けない。思い出せないし、思い出したくないこともある。夫の亡くなった直後に、書かせてもらったことに、感謝するばかりである。

 

 

私は自分の本が役に立つように、とはいままであまり思ったことがない。しかしこの本だけは誰かの役に立ってほしい。自宅で死にたい、自宅で家族を看取りたい、という人への励ましになってほしい。それが私たち夫婦がもたらすことのできるなにかではないか、夫の生きた証ではないか、と思うからである。

 

最後に、亡き夫、川辺金蔵に心よりの愛と感謝を。ありがとう、金ちゃん、あなたの妻にしてくれて。

 

 

二〇一七年二月           三砂ちづる   」

 

〇…ということで、この本は終わっています。

何故自宅で家族を看取るのか…

家族が死ぬということを、自分の生活の中に取り戻すこと。

産まれることも、病気も、介護も、死も、自分が生きている場所とは別の場所で展開されることで、私たちは生まれて死ぬまで、そんな濃密で深い体験をせずに過ごしてしまいます。

 

戦争や災害や事件の体験など味わいたくもありませんが、でも、一つの生命が生まれる、病む、死ぬということは、本来もっと身近にあって、そこから教えられることもたくさんあるはずなのではないか…。

 

そんな「教え」をたくさん受け取って、人間は今のような社会を営むようになったはずなのに、と思います。

 

ただ、本当になかなか難しいことだと思います。

それが望ましい姿だと言っても、そう出来る人と出来ない人がいるだろうな、と思います。

 

私自身は、もし、夫が自宅で…と望むならやるかもしれない、と思います。でも、私は家で看取ってほしいとは思いません。むしろ、病院で機械的に死ぬということで十分です。どんな「死」になるかは、「死」に任せようと思います。

 

だからそれまでは、しっかり生きようと思います。

そんなことを考えさせられました。

 

これで、「死にゆく人のかたわらで」のメモを終わります。