読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

死にゆく人のかたわらで

「酸素吸入器をはずす

 

死にゆく夫と、そこに寄り添っているわたしが静かな時間を過ごせるように、そこに第三者が入って、邪魔をしたり、あれこれよけいな「処置」をしたりしないように、新田先生のたたずまいは、絶妙でだった。「夜中だったらわたしだけ呼んでください」、とわたしの周囲の安心な状況だけを整えて、その場を去る。(略)

 

 

 

夜一〇時半、長男が帰宅した。(略)

長男と二人で話しながら、夫をのぞきこんだり、頭をなでたりする。下顎呼吸は続いていて、それも的確なリズムを刻んでいて、この期におよんでもなお、この時間は長く長く続くのではないか、と思われた。(略)

 

 

病人の状態は、だんだんと悪くなって行くのではない。あるとき、がくがくっと状態が悪くなり、そしてしばらくプラトー、下げ止まり状態の安定期が続く。そして、また、がくがくっと悪くなる時期が半日くらいあって、そしてまた下げ止まる。

 

 

下げ止まっても下げ止まっても、まだ、いけるのではないか、と思っていたから、今回もこれでしばらくいくのではないか、と思ったのだ。

今思えばなんという楽観視。でも、これで終りだ、と本当に思えなかった。

 

 

長男が変な音がする、と言う。たしかに、いままで聞こえなかったシューシューという妙な音が夫の周りからしている。(略)

テイジン吸入器からの酸素は本人に確実に供給されていたが、いまはシューシューと音がする。そばによってみると、鼻に入るべき酸素が、からだに入って行かず、外に漏れているのである。(略)

 

 

 

もう、これ、はずしてもいいよね、酸素、入ってないものね、と言って、長男とふたりで酸素の管を外した。(略)

九二歳で死んだ義母は七〇を出るか出ないかという頃に認知症を発症し、二〇年近く特別養護老人ホームに入っていた。母を送ってから、逝きたい、というのは夫のたっての希望だったから、義母はこよなく愛する息子の願いをしっかり聞き入れて、彼よりちゃんと先に逝ったのだ。

 

 

血圧を測ることができません、という連絡が施設より入って、私たちは施設に向かった。私たちが施設に着いたら、施設の看護師さんは、「もう、はずしましょうね」と言って酸素吸入器を義母からはずした。

 

 

私たちはそので一時間ばかり義母のそばにいて、夫は義母に話しかけたり、ほおをなでたりしていた。そしてふと気づくと、義母はもう呼吸をしていなかった

 

 

だから、酸素吸入器をはずすことは、呼吸の終わりにつながるそれもわかっていたけれど、もう、シューシュー酸素が出ている吸入器ははずしてやりたかった。(略)

 

 

明るい憂愁につつまれた時間

 

しばらくは夫の穏やかな下顎呼吸は、それでも続いていた。長男が足下にいてわたしが枕もとで彼の頭のところにいた。下顎呼吸が止まり、二度、大きな息をして、夫はわたしの胸の中で、文字通り最後の息をひきとった。

 

 

長男と、その最後の瞬間に立ち会えたことはなんだかすごくありがたかった。二四歳はもうすでに立派な成人ではあるが、ひとりの人のいのちの最後をつぶさに見るには、まだ若い。こういう機会をこの年齢で与えられるこの人は、なんらかの役割を負うた人であるのだろう。(略)

 

 

わたしたちはこの場に立ち会えたことについて何も話さなかったが、お互いの感謝の気持ちはしみじみと感じた。長男もわたしも、このときには泣いたりしなかった。

 

 

不謹慎な言い方にならなければいいな、と思うが、わたしはこのとき、少しも悲しい、という思いがよぎらなかった。涙どころではなかった。晴れやかで立派な最期を目の前で見せられて、いろんなことがあったけど、この人への敬意と愛情で文字どおり胸がいっぱいだった。ありがとう。という言葉しか出てこない。人間って、よくできている。(略)

 

 

 

長男とわたしは介護ベッドのかたわら、狭いスペースになんとか二つ布団を敷き、眠った。(略)

病院で亡くなって、家に連れて帰ったら、きっと線香など立てて、もう「死人」として扱ってしまうだろう。(略)

でもわたしたちの生活の場の延長で、普通の暮らしのひとつづきの中で、わたしの腕の中で息をひきとって、家族の時間は続いていて…

 

 

 

そういう流れの中にあったから、夫がまるでまだ生きているかのように、夜伽をしたのだ。おやすみ、金ちゃん、おはよう、金ちゃん、と言って。

死はよそよそしくおそろしいものではなくて、わたしたちのすぐそばにあって、とても親しいものだったのだ。」

 

 

〇 私は誰かの死の瞬間に立ち会ったことがあっただろうか、と振り返りながら読みました。

義母の時は、病院に面会に行った時、すでに血圧が70になっていました。でも、それまでも、なんどか持ち直したりしていたので、そのことが、すぐに死につながるとは、考えもしませんでした。

 

夜になって、病院から亡くなりました。という連絡がありました。一瞬、何故、亡くなってからの連絡なのだろう、と思ったのですが、しょうがありません。車で一時間以上かかる遠い所にある病院だったので、

それから、義父と夫と三人で病院に行きました。

 

義父の時は、家で療養していた義父が、朝、病状が急変し、救急車でいつも通院していた病院に行きました。私は医者に、危ない時には、亡くなる前に知らせて下さい、とお願いしました。

 

 

すると、その時、医者は、「今既にもうかなり危ない状態です。」と言いました。その日の夜は、ベッドが空いていなくて、病室に入れなかったのですが、次の日には、病室も決まりました。

 

そして多分、今夜だろう、というので、夫と二人で病室に泊まりました。でも、義父は肺の疾患だったので、呼吸が出来ず、苦しんでいました。それで、麻酔薬を使うという処置に同意しました。

 

その麻酔薬を入れる前の会話が、最後の会話になりました。

夫と義父が話が出来て良かった、と思いました。

その夜、私はほとんど眠れませんでした。義父が何度も唸り声を出していたので、その都度、手を握ったりしていました。

でも、義父はその夜、逝きませんでした。

 

次の日は、確か義母の法事があって、お坊さんが来ることになっていました。それで、家に帰りその夜は、家で眠りました。

結局、義父は、次の日の早朝亡くなったようで、

病院からは、亡くなってから、連絡が来ました。

 

これが、病院で亡くなるということなんだろうな、と思います。

 

人間ではありませんが、家で飼っていた犬が亡くなった時は、

居間に敷物をしいて、そこに犬を寝かせ、その呼吸を確認しながら、家事をしていました。何度目かの確認の時、呼吸が止まってしまったのに、気づきました。

 

息を引き取るその瞬間に立ち会う、というのは、本気でその気にならなければ、出来ないことだと振り返りながら、読みました。