読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

死にゆく人のかたわらで

「ごほうびでもらったいのち

 

(略)

しかし、ここではその話に深入りはすまい。いまはとにかく、心臓とか、脳とか、人間にとって、なくなったら「すぐに」死んでしまうようなところ、について話そう。

そういうところを外気にさらして手術すると、やはり人間はしばらく、おかしくなってしまう、ということをわたしは学んだ。

 

 

父は晩年に心臓バイパス手術をしたのだが、その手術のあと、夫も開頭手術のあと、二人とも集中治療室に入っていた。術語しばらく経って目が覚めて意識が戻ってから数日、彼らは完全に、現実ではない世界に生きていた。

 

 

病室の看護婦にスパイ行為をされているとか、見ているはずもない野球の試合の結果を延々と話すとか、集中治療室にいるのに「そこにあるビールを出せ」とか、看護の人に暴力をふるうとか、本当に、全く正常とは思えない発言や行為に及んだ。

 

まあ、ともかく、病院の方は大変だったと頭が下がるし、見ているわたしも気が気ではなかった。しかしそのようなよくわからないフェーズを経て、夫はいのちに関わる開頭手術のあと、何事もなかったかのように、この世に復帰した。(略)

 

 

開頭手術から二年後の後遺症

 

しかしそれから二年後、東日本大震災の直後に、てんかんの発作が出始めた。もちろん、脳の手術の後遺症である。てんかんは、どういう症状が表に出るかはよくわからないと言われている。世間では「泡を吹いてばたんと倒れる」と思われていることが多いのだろうが、それはほとんど偏見に近い勝手なイメージであると言わねばならない。そういうこともあるが、そうではない症状もたくさんあって、表から見ただけではわからなくてつらい症状も少なくないのである。

 

 

 

夫の場合は、突然左半身が動かなくなることで始まった。この人が実に大きな存在に護られている、と感じるのは、彼は決して一人のときに脳出血を起こしたり、てんかんの発作を起こしたりすることはなく、必ず誰か家族のそばで調子が悪くなるからである。

 

 

 

最初のてんかんの発作は、都市のあまり違わない叔父の家を訪ねているときに始まった。叔父に言わせると、一緒にラーメンを食べていたのだが、なんだか食べ方が緩慢になってきておかしい。トイレに行く、というがうまく歩けない。よく見ていると、左半神が麻痺しているようだ。家族に脳腫瘍を患った方もあり、本人もいろいろ病気を抱える叔父は、様子を見てこれは脳になにかトラブルが起きているに違いない、と直感し、そのまま夫を近所の東京都立多摩総合医療センターに自分の車で運んだ。

 

 

 

わたしが連絡を受けて病院に着いた時、夫はすでにお馴染みのERに入院していた。大丈夫だ、と言いつつも、叔父の家で起ったことは何一つ覚えておらず、ラジオをチューニングしたあとのように、人の聞こえないものが聞こえるようになっていて、「てんかん」の診断がくだされていた。

 

 

 

医者の説明によると、やはり、二年前に行った開頭手術の影響であるという。(略)

夫は外気にふれる程度ではなく、脳の中をかなり複雑にいじる手術をしたのだから、「脳に傷」は、もちろん、ある。脳外科の手術をした人に「てんかん」の後遺症がでることは珍しくないらしい。こうして夫は、二年前の手術の後遺症としての「てんかん」を持病として抱えることになった。」