読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

死にゆく人のかたわらで

「いやおうなしに持った覚悟

 

夫が六〇を過ぎて退職し、しばらくしたころ、朝六時半、そのバクダンはバクハツした。隣に寝ている夫が「頭が痛い」と言う。ほどなく「あ、これはいつものと違う、すぐに救急車を呼んでくれ」と言う。(略)

 

 

救急制度、というもの。これは本当に大したことである。日本の医療制度が他国と比べて劣っているとか、問題があるとか、もちろんそのとおりであると思うし、社会保障制度が財政的に破綻していて、そのありようは、未来の子どもへの虐待に近い、と医療経済学者の友人から聞かされてもいる。きっとそうなのだと思う。

 

 

とくにこの財政の問題に対応するために、たしかになんとかしなければならない。改善しなければならないところだれけなのではある。このままでやっていけないところまで来ているという認識は、正しい。

 

 

だからといって現状が機能していないわけではない、というのがすごいところだ。

先輩方が戦後に精緻につくりあげたこの制度は、ひとりひとりの文字通り血のにじむような努力によってすばらしいものとなり、現在の所、おおよそ、よく機能している。

 

 

電話をすれば救急車はすぐ来てくれて、優秀な救急隊員がてきぱきと必要なことをしてくれて、患者をストレッチャーに乗せて病院に運んでくれて(もちろん今回はラッキーだったわけで、搬送先病院が見つからない、という話はいくらでもある。

 

わたしたち自身も、数年後にその問題に遭遇することになる)、そこには夜中でも明け方でも、おおよそ優秀な事務方と看護師と医師がいて、近代医療が提供されるのである。

夫がどういう人間か、どういうことをしていた人か、どのくらいお金を稼いだ人なのか、どんな家族がいるのか、家族に支払い能力はあるのか……そういうこととは全く関わりなく、ただ、目の前の患者を懸命に救おうとする。これは本当にすごいことである。(略)

 

 

 

ごほうびでもらったいのち

(略)

しかし、ここではその話に深入りはすまい。いまはとにかく、心臓とか、脳とか、人間にとって、なくなったら「すぐに」死んでしまうようなところ、について話そう。そういうところを外気にさらして手術すると、やはり人間はしばらく、おかしくなってしまう、ということをわたしは学んだ。

 

 

父は晩年に心臓バイパス手術をしたのだが、その手術のあと、夫も開頭手術のあと、二人とも集中治療室にはいっていた。術語しばらく経って目が覚めて意識が戻ってから数日、彼らは完全に、現実ではない世界に生きていた。病室の看護婦にスパイ行為をされているとか、見ているはずもない野球の試合の結果を延々と話すとか、集中治療室にいるのに「そこにあるビールを出せ」とか、看護の人に暴力をふるうとか、本当に、全く正常とは思えない発言や行為に及んだ。

 

 

まあ、ともかく、病院の方は大変だったと頭が下がるし、見ているわたしも気が気ではなかった。しかしそのようなよくわからないフェーズを経て、夫はいのちに関わる開頭手術のあと、何事もなかったかのように、この世に復帰した。

 

 

 

術後、数週間して自宅に帰ったら、まずビールを飲んでいたし、食生活も勝手なものばかりを食べ続けていたし、気ままに暮らしていた。気になっていた脳動静脈奇形がすでにバクハツしてしまったのだから、とくに気にすることもなくなったので、「ごほうび」でもらったようないのちをながらえることになり、変わらずきままに暮らした。

 

 

 

開頭手術から二年後の後遺症

しかしそれから二年後、東日本大震災の直後に、てんかんの発作が出始めた。もちろん、脳の手術の後遺症である。てんかんは、どういう症状が表にでるかはよくわからないといわれている。世間では「泡を吹いてばたんと倒れる」と思われていることが多いのだろうが、それはほとんど偏見に近い勝手なイメージであると言わねばならない。そういうこともあるが、そうでない症状もたくさんあって、表から見ただけではわからなくてつらい症状も少なくないのである。(略)

 

 

最初のてんかんの発作は、年のあまり違わない叔父の家を訪ねている時に始まった。叔父に言わせると、一緒にラーメンを食べていたのだが、なんだか食べ方が緩慢になってきておかしい。トイレに行く、というがうまく歩けない。よく見ていると、左半身が麻痺しているようだ。家族に脳腫瘍を患った方もあり、本人もいろいろ病気を抱える叔父は、様子を見てこれは脳になにかトラブルが起きているに違いない、と直感し、そのまま夫を近所の東京都立多摩総合イリョウセンターに自分の車で運んだ。

 

 

わたしが連絡を受けて病院に着いたとき、夫はすでにお馴染みのERに入院していた。だ丈夫だ、と言いつつも、叔父の家で起ったことはなに一つ覚えておらず、ラジオをチューニングしたあとのように、人の聞こえないものが聞こえるようにていて、「てんかん」の診断が下されていた。

医者の説明によると、やはり、二年前に行った開頭手術の影響であるという。

(略)

 

 

 

ガン細胞にはブドウ糖が集まる

(略)

この検査では、ガン細胞は正常細胞と比べて三倍から八倍くらいの ブドウ糖を取り込むらしいことを利用して、ブドウ糖に近い成分を体内に注射し、そのブドウ糖に近い成分がどこに集まるかを検知しているのだそうだ。(略)

 

 

それを読みながら、ふと、これは実におそろしいことを暗示しているのではないか、と考えた。「炭水化物が人類を滅ぼす」(光文社新書、二〇一三年)という刺激的なベストセラーを書いた夏井睦医師は、個人的な知り合いである。(略)

 

 

「ケトン体が人類を救う」(光文社新書、二〇一五年)という、もちろん先述のンを意識したタイトル(編集さんが同じなのである)をつけた、産科医の宗田哲男氏による、赤ちゃんはブドウ糖ではなくケトン体で生きている、という本もあらわれた。(略)

 

 

 

これを読んでやはり、糖質は制限すればするほどよいのではないか、糖質の摂取量とガンの発症には関連がある、という仮説をたてられないか、などと考えないえにはいかない。案外、こういう直感は正しい。糖質制限食の未来について、改めて考えさせられる。(略)

 

 

ゆるぎない方針

この人は、もともと「がん検診」はやらない、という方針の人であった。一九九六年に出版された「患者よ、がんと闘うな」(文芸春秋)で話題になり、そのあとも刺激的な論考を展開しておられる放射線医、近藤誠氏を心から尊敬しており、彼の方針が、夫のガンその他の病気に対する方針になっていたのである。

 

 

夫は、一九九七年「がんと戦うな」論争集―患者・医者関係を見直すために」(日本アクセル・シュプリンガー出版)など、近藤氏のガンに関する初期の編著書何冊かの編集者であり、個人的にも近藤先生と親交があった。彼の本をよく読んでおり、自分にはいちばん納得がいくこと、と思っていたようだ。(略)

 

 

いわく、世間では「がん検診」を受けて早期発見することが大切なように言われているが、症状もないのに、検診で見つかるようなガンは、実は治療する必要のない”前ガン状態”であることも多い。(略)

 

 

だから、「かん検診」は一切やらない。自分から症状もないのに、ガンを探しに行ったりしない。ガンは症状が出てから治療するのでよい。また、症状が出たからと言って、ムダな手術や抗ガン剤使用によって、ガンを”いじめ”ると、それはさらなる苦しみにつながる。ガンはできるだけほうっておいて、穏やかに死に向かうのがよい。

 

 

しかし、症状が出て、つらくなったら、痛み止めや緩和治療はしてほしい。症状で苦しみたくはない。結果として、ガンは、症状が出て、診断されてから、すぐには死なないことが多い。そのあたりが心臓発作や脳出血と違い、自分に時間が残される。

 

 

死ぬまでの準備もできるから、ガンで死ぬのはよいことだ。できるだけガンで死にたい。と、おおよそ以上のようなことを、ゆるぎない方針として持っていたのである。(略)

 

 

ゆるぎない方針を持つ、ということは、ふりかえってみれば、実によきことであった。深刻な病気になって、とくにガンのような治療法が確立しているとまだはっきりは言えないような病気にかかると、患者と家族はどの治療法を選択すべきか、翻弄されやすい。疼痛管理、つまり、痛みの軽減はかなりできる時代に入りつつあるので、一番の苦しみはこの「翻弄」ではないのか、と考えたりするのである。」

 

 

〇「色々批判されていても、救急医療は機能していてすごい」ということ、

私も、義父母が散々お世話になったので、同じように感じました。

また、「がんと闘わない」という方針についても、勉強になりました。