読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

いまだ人間を幸福にしない日本というシステム

「国家安全保障ビジネス

 

なぜ生産拡大のためにこれほどたやすく多くのことが犠牲にされてしまったのか、という質問に対する私の二番目の答えは、日本人が安全保障を強く求めているからというものだ。

 

日本人が安全を求める気持ちは並外れて強い。日本国民と政治エリートたちは自分たちがさほど安全だとは感じていないようである。(略)

日本のために場所を空けてやろうとする国はひとつもない、日本は気まぐれな外部勢力に翻弄されている、日本は理解されていない、その意図もわかってもらえない、日本が信頼できるような国も国際機関もひとつもない、などと考える人々は非常に多い。

 

 

 

思い過ごしとも言えるこのような被害者意識は、日本が開港を迫られて外国船を受け入れ、都市部に海外からの使者や商人を受け入れて以来、日本に広がっていった。(略)

 

 

日本の国際的な立場を論じるおびただしい数の評論を、長年にわたって読み、その意味を考え続けた結果、私は世界によって痛めつけられるのではないかという恐れがあまりに根強く、また浸透しているからこそ、日本は多諸国との間に良好な関係が築けないのだ、と確信するようになった。(略)

 

 

海を越えたもっと広い世界でどうすれば安心できるのであろうか?(略)

日本の管理者たちというのは、法による規制を受けず、効率的な紛争解決のための法的手段が欠如した社会政治体制の産物であった。我々はこの事実を忘れてはならないだろう。それまでの国内での経験からして、管理者たちには、国際協定や条約が信頼できるなどとは到底思えなかったのである。つかのまであっても安心感を与えてくれるものは人脈だけだった。

 

 

戦後の日本とアメリカという奇妙な関係は、両国のつながりも一種の人脈なのだと考えるならば、もっと理解しやすくなる。(略)

 

 

ところで先ほど挙げた「経済の目的とはなにか」という疑問に対する答えとして、世界の大半の国々は、生活水準を向上させることであると、ほぼ当然のように考えている。産業発展のための努力が望ましいとされるのは、それが人々の暮らしをより快適にしてくれるからだ。

 

このような基準を当てはめるならば、国民一人当たりで計算すると日本は世界一の経済成長を遂げた「国民一人当たりのGDPの統計には、資料や為替水準によって順位にばらつきがある。ちなみに二〇一一年の日本はIMFによれば一七位」ほどなのだから、平均的な日本人の暮らしもさぞ改善されたに違いないとだれしも思うだろう。

 

 

ところが周知のように、一九七〇年代以降、現実にはそうなっていない。実際、住宅や単純な娯楽といった面で、日本人の暮らしは以前より悪くなったと言える。読者も自分の経験からそれがわかるのではないだろうか。大都市圏の中産階級の住宅事情はアメリカやヨーロッパの大半の国々と比べても悪く、だれもがすし詰めの電車に、以前より長時間揺られて会社に通わなければならなくなっている。

 

 

戦後の日本経済を形作った主要な政策決定を検証してみると、日本の戦略家たちは人々の暮らし向きをよくしようなどとは考えていなかったことがわかる。彼らはむしろ国家の安全保障を重んじていた。

 

 

中期的な収益を考えもせず、生産能力の拡大のために、そして海外市場のさらなる征服の為、さらには海外資産を大いに獲得するため、稼ぎ出した利益を絶えず新たな投資に振り向けた理由が、それ以外にあり得るだろうか?(略)

 

 

ふたたび日本に目を転じ、その権力構造とこの国の経済が世界におよぼす影響を考えるならば、我々はすぐさまそこにはっきりした矛盾があることに気づく。日本は一心に経済大国をめざし発展してきたわけだが、中央政府による強力なみちびきなしにどうしてそれが可能だったのだろうか?国の利益を達成するため、これほど断固たる決意をもって、しかも献身的に取り組むには、どこかにそれを指導する強力な政治的中枢があるはずだ、と考えるのが当然だろう。

 

 

だからこそ日本に詳しい多くの人々は、神経の中枢や操縦室のような働きをなす、重要な政治勢力を代表する政策立案者グループが、どこかにいるはずだと考えたのだった。(略)

 

 

 

要するに外から日本を眺めると、そこにとてつもなく大がかりな陰謀があるように思えてくるのだ。さもなければ、日本人たちがなぜこれほど整然と、脇目もふらず、持続的に、しかも効率よく、あらかじめ仕組まれたとしか思えない行動をとれるのか、説明がつかないのである。(略)

 

 

彼らが日本の非公式な政策に関して、許容されている範囲内でのみ意思決定を行うというのであれば問題はない。だがそうではない。日本の方向性を変えるような政策を決定する必要があるかどうかに関しても、彼らは説明を求められない、という意味なのである。

 

 

彼らはそのような決定をするよう要請されることもなければ、たとえ外部や省庁内の多くの官僚が決定すべきだと感じたとしても、そうしようなどと考えもしないのである。

 

 

このことは経済大国たらんとする日本の持続的な使命を解き明かす、私の三番目の答えにも関連している。これは私にとっては一番興味ある要因である。というのも、なぜ陰謀でもないのに外部から見ると陰謀に見えるのか、という理由を説明してくれるように思えるからだ。そして日本の官僚権力のメカニズムの核心に迫るものでもある。

 

 

 

一九八〇年代のあるとき、アメリカ共和党の著名な上院議員ロバート・ドールは、日本の政治エリートが日本を自動操縦装置にまかせたなどと思わない、と述べたことがあった(貿易摩擦の最中であった)。数年後、この発言について彼と話し合ったとき、私は自動操縦という比喩は、日本政府の官僚の行動を理解するのに適切だと思う、と言った(それで彼も考えをあらためたと思う)。」