読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

棒を振る人生

〇 佐渡裕著 「棒を振る人生 ―指揮者は時間を彫刻するー」 を読みました。

学生時代の友人から、本当に久しぶりに手紙が来たのですが、

その中に、この本のことが書かれていました。

コロナ禍で、彼女も以前に読んだ本を読み返していたようです。

それで、私も読んでみたくなりました。

佐渡裕氏については、テレビで見て知っていたのですが、この本は知りませんでした。

読むことが出来て良かったと思います。

 

「ニューヨークを舞台に人種間の対立を描いた物語は、絶対混じり合うことのない不協和音で締めくくられた。つまり「ウエスト・サイド・ストーリー」は、「人類の対立は永遠に続く」というメッセージとも受け取られる暗鬱な終わり方をする。(略)

 

 

エンディング曲「Make Our Garden Grow」は「私たちは純粋でもないし、賢くも良い人でもない。できることを一生懸命やるだけだ。家を建てて、薪を割って、庭を耕すことだ」と歌う。

その最後の和音は、なんとドミソだった。僕らが音楽の授業で最初に習う、いちばん真っ白でシンプルな和音。それは「ウエスト・サイド・ストーリー」の幕切れと鮮やかな対照をなす。

 

僕はこれこそがバーンスタインのメッセージだと思った。

地球上、至る所で戦争が起こり、人々の対立がやまない混沌とした世界にあって、それでもバーンスタインは人間を心から愛するヒューマニストであり続けた。世界の本質は明るく華やかな和音でも、かなしく沈んだ和音でもない。それは単にドミソなのだと言い切った。」

 

 

 

 

「譜面の読み方は誰に教わるわけでもなく、自分勝手にやっていた。

(略)お気に入りのオーケストラのメンバーの名前まで覚えるくらいのめりこむと、

譜面を読むのがやたらに面白くなっていった。今と違って時間はあり余るほどある。毎日、譜面を見てはレコードを聴いたりピアノを叩いたりした。

 

そうして、たとえば三〇段あるスコアを自分なりの方法で四グループぐらいに整理して聴く方法を、小学生から中学生の間に身につけていった。」

 

〇 ここを読んで、まるで私の知ってるどんな小学生とも違う、と感じました。

私の近くには、オーケストラに夢中になっている小学生は、誰もいませんでした。

(私も含めて。)

また、私の子供たちも、そうはなりませんでした。

ただ、何かに夢中になる時間がどれほど楽しいかについては、なんとなくわかっていたので、出来れば子供たちには、そういう時間を持たせてあげたいと思っていました。

でも、振り返って見ると、そんなふうに育ててあげることは出来なかった…。

 

「変な夢を見たなと思いながら、演奏会の本番を迎えた。「ピアノ協奏曲四番※」の第一楽章を終えて、問題の第二楽章が始まった。ホ短調。冒頭、弦楽器が力強いフレーズをユニゾンで奏でた。

 

そのとき、突然、僕は雷に打たれたように了解した。

「神様がそこにいる」。僕の嘘も本当もすべて見通している圧倒的な力を持つ神がそこにいる。そう感じた。

 

 

続いてピアニストがかなしげな和音を静かに鳴らした。そこにいるのは弱くかなしい自分だった。神様を前にうなだれて「ジュンペイのことを黙っていてごめんなさい」「嘘をついてごめんなさい」と謝っていた。

 

 

すると、指揮をしながら突然、涙がボロボロと流れ出して止まらなくなった。

絶対に過ちを犯さない強く正しい神がいて、その前に間違いを犯してしまう弱い人間がいる。

そのとき、僕はこの作品の楽譜のすべてを理解することができたような気がした。

 

 

僕の突然の涙の理由を、オーケストラの演奏者たちはもちろん知らない。しかし、そのとき僕の全身から発せられた特別な気は確かに伝わったはずだった。そしてそれは、演奏を通して客席にも伝わっていったと思う。

 

 

楽譜を読む、作品を理解する。音楽を自分のものとする、という行為はそんなふうに、自分の無意識をも含む全人格的な体験をもとになされる。

 

 

後年、心理学者の河合隼雄先生、元ラグビー日本代表平尾誠二さんと鼎談したとき、「僕はこんな夢を見たことがあるんです」と、この夢をめぐる自身の経験を紹介した。(略)

 

二〇〇人ほどの観客を前に河合先生は、

「夢の話は僕が何か言わなければいけないんですが、何も言えないです……」と話された後、突然、両手で顔を覆って、その場でわっと泣かれた。

僕は驚いた。(略)」  ※ ベートーヴェン

 

「ここで大事なのはオーケストラの想像力だ。もしもオーケストラに想像力がなく、それぞれが演奏に消極的にしか参加しなけれは、決していい音は鳴らない。だからこそ指揮者はオーケストラの想像力を呼び起こすように、イメージで言葉を表現して伝える必要がある。」

 

〇 「消極的にしか参加しなければ、決して〇〇〇ない」という文章、オーケストラに限らず、様々なことに当てはまるのではないかと思います。

何故か私たちの社会では、出来るだけみんなが「消極的に」なるように躾けられているような気がします。

 

「その僕がオーケストラに向かうときに心がけている姿勢は、音楽に対して誠実であるという一点に尽きる。(略)

そして、演奏家たちと誠心誠意、向き合っていく。少なくとも僕にとっては、それがいい演奏への一番の近道である。結果的に成功しても失敗しても。(略)

 

譜面を深く読む洞察力と説得力、誰もが演奏しやすい明確な指揮の技法、オーケストラの音程やリズムを瞬時に聞き分ける感度のいいセンサー、状況を判断して的確な指示を出せる瞬発力。指揮者にとって、それらはもちろん重要である。

 

 

しかし、それよりも何よりも、オーケストラのメンバーたちが「この指揮者と一緒に音楽をしたい」と想えるかどうかが、指揮者の条件としては、より本質的な要素になる。

オーケストラは、指揮者の能力や人格を即座に見抜く。その部分でのごまかしはいっさいきかない。」

 

 

「ただ、音楽をつくる幸福感の中にいた。

でもこれはベルリン・フィルだから味わえた幸福感ではない。

僕は京都の芸術大学を卒業後、地元のママさんコーラスや女子高校の吹奏楽団の指揮者をしていた二〇代の頃を忘れることができない。

 

 

楽譜を読めないおばちゃんたちと「赤とんぼ」や「夏の思い出」を何か月もかけて練習した。コンクールの金賞を目指して、音楽の知識も技術も未熟な女子高生たちと特訓を重ねた。

練習に行くだけで幸せだった。みんなで一緒に音楽を作り上げていく時の充実感、少しずつうまくなっていくときの喜びは、僕のから全部の細胞が鮮やかに覚えている。

あのときの幸福感は、僕の中で確かな座標軸になっている。」

 

 

「全世界の人々に伝わる大きさと力を持つベートーヴェンの作品の中でも、「第九」は発想の規模が全く違う。」

 

 

「第九」交響曲の最も重要な特徴は、交響曲に初めて人の声、すなわち歌が登場したことだ。そして同時に、第四楽章にこれほどまでに重きが置かれた交響曲もこれまでになかった。第一楽章から第三楽章のすべてが、この第四楽章に向かって書かれているといっても過言ではない。(略)

 

 

第一楽章から暗示され、憧れ、予感させていた「歓喜の歌」のテーマはファ(♯)から始まる。<レとラ>の間を行ったり来たりして結びつけるファ(♯)は、人と人の絆を表す音である。国境、宗教、人種を超え、地球規模でまったく異なる考えを持った人間同士をつなぎ合わせる。

 

そして「歓喜の歌」の誰もが口ずさむことのできるメロディーは、わずか五つの音だけでできている。リコーダーでいうと片手を動かすだけで吹けるほど簡単なメロディーだ。この単純さにこそベートーヴェンの重要なアイデアが宿っている。

 

つまり、誰もが口ずさめるこのシンプルなメロディーによって、全世界の人々は「歌える」「歌おう」「歌いたい」という気持ちに導かれる。それこそベートーヴェンが、このメロディーに込めた狙いだったと思う。

 

 

ベートーヴェン階級差別や貧富の差が激しい時代に「みんなが一つになるべきだ」と歌うシラーの詩に出会って共感した。この詩をメロディーに乗せて歌えば、多くの人々がこのメッセージを受け取ってくれるに違いないと考えて曲を作り始めた。(略)

 

 

一九九九年から僕が総監督に就いた<サントリー一万人の第九」>は、一般公募で集まったアマチュアの合唱団員一万人が毎年十二月、大阪城ホール「第九」を演奏する。関西らしいこの壮大なコンサートは、毎日放送の企画・制作・山本直純指揮で一九八三年から続いていた。(略)

 

 

ベートヴェンは、ヨーロッパで生まれ発展したクラシック音楽のいわば象徴的存在である。ヨーロッパ生まれでありながら、その音楽の感動は地球の裏側に生きる我々も含めてみんなのものであることを僕は証明したかった。(略)

 

 

一万人がただ集まって歌う場ではなく、一人ひとりが自分の人生をひっさげて、一度きりの本番に臨んでいる。(略)

そんな普通の人たちがそれぞれの人生を背負いながら集まって、ともに心を震わせながら、とても創造的な音楽を生み出した。その達成感にそれぞれが生活する場に戻り、明日からの日常をまた誇らしく生きていく―。

世の中には暗いニュースが日々溢れているが、「人間、捨てたもんじゃない」と心から思えた。(略)」

 

〇 ここを読みながら、友人がこの本を読んで、私のことを思い出してくれたのは、

学生時代に私が、ここに書かれているようなアマチュア合唱団の一員として、「第九」を歌った体験を話したことがあったからだ…と思い出しました。

あの時、彼女にあのコンサートのチケットを買ってもらったことも、もうすっかり忘れていました。

 

あれは一九七六年頃の四月だったと思います。

国分寺の駅で、二人の女性にオーケストラと一緒に第九を歌う合唱団に入らない?と誘われたのです。都会で勧誘されることには、警戒感があったのですが、その二人がとても感じの良さそうな人だったことと、好きな合唱が出来るということで、入ることになりました。

 

練習場所は主に新宿だったと思います。発声練習やドイツ語の歌詞を音節ごとに発音する練習など、思ったよりもハードな内容でした。指導してくれるパートリーダーのような人は、多分どこかの音大のプロを目指している人、もしくはプロ?というような

本格的なオペラ歌手のような声の人でした。

 

練習は毎日でした。しかも、練習場所が何か所か変わるので、遅れずにその場所に行くことだけでも、金銭的にも時間的にも気持ち的にも、きつい日々でした。

でも、まず合唱が楽しかったのと、やはりなんと言っても、一週間に1~2度(いえ、もっと多かったような気もします)だったと思うのですが、指揮者による全員練習が、とても魅力的でした。

もう、記憶もほとんど薄れているのですが、その指揮者のお名前は、憶えていました。

 

山口貴さん。

 

中学校の先生をしていると聞いたことがありました。

 

ここで、この佐渡裕さんが色々話しておられる話を聞くと、その内容や雰囲気に、とても似ているものを感じます。

 

この山口先生のお話の中で、フルトヴェングラーやフィッシャー・ディースカウという名前を初めて知りました。ベートーヴェンの話をたくさん聞きました。

ほとんど忘れてしまいましたが、この先生が、ベートーヴェンが大好きで、この第九を

本当に「演奏するために」は、人間の万人の声が必要なのだ…というような意味のことを話していたのが記憶にあります。

 

また、「ベートーヴェンに、神などいない、と言ったら、ベートーヴェンは死んでしまうよ…」というような言葉は、忘れられずに残っています。

 

5月の連休には、山中湖で合宿があり、一泊二日だったと思うのですが、文字通り、

一日中練習でした。そして、コンサートは、7月だったと思います。

オーケストラは東京交響楽団。第九の外に、詩編〇〇(番号を忘れてしまいました)というフランスの交響曲が演奏されました。

フィルハーモニー合唱団」という合唱団でした。通称フィル唱。

 

何年も続けて活動している団員もたくさんいたのですが、私は結局、その7月のコンサートを区切りにやめてしまいました。

 

そんなことを振り返りながら読むと、本に感動してなのか、思い出が懐かしくてなのか、わからない涙が出ていました。

 

山口貴さん、魅力的な人でした。よい体験をさせてもらいました。

 

カラヤンは言った。

「子どもたちの前で演奏会をすることは非常に意味がある。それは良い音を届ける以前に、大人が子供たちの前で一生懸命にやっていることを見せることだ」

音楽を通した教育を考えた時、僕の中にあるイメージは、音楽に夢中になっている大人がいて、それを見つめる子どもがいる。そして一緒に挑戦したり一緒に緊張したりしながら一つの音楽をつくっていく、そんな光景だ。

 

 

大人の心が動いていなければ、子供の心は動かない。」

 

〇この佐渡さんのお話の中には、頻繁に「佐渡少年」の目が出てきます。

少年の頃の自分の目を意識する大人がいて、その大人を見ている少年がいる…そんなふうに年齢を超えて繋がるものが音楽にはあるんだろうなぁ、と思いました。

 

「遊び心は僕の想像力とつながっている。その源泉は子供の頃の体験にある。中でも京都の路地で遊んだ経験。狭い路地で野球や鬼ごっこをするために、どうしたらもっと楽しめるか、どうしたら人に迷惑をかけないか、どうしたら全員が納得するか、その場でルールをどんどん変えていき、遊び方を工夫した。工夫することで知識と技術が見につき、遊びの面白みが深まった。

 

 

僕は学校の授業では習わない多くのことを路地で学んだ。あのときのワクワクする感覚は、新しいアイデアや発想、企画を生み出す源になっている。

 

僕は神様が人間に与えた最も大きな喜びは遊びだと思っている。

僕が子供の頃、頭のほとんどを占めていたのは遊ぶことだった。(略)

自分が生きていく中で、子供の頃のあの夢中官と集中力を忘れずにいたかったし、ゾーンに入っていた特別な感覚を呼び覚ましたかった。それは必ず自分の音楽の創造につながっていくはずだから。」

 

〇 十分に遊んだ経験を積ませてあげたいな、と心から思います。

私たちの社会のこどもたちに。

これで、佐渡裕著「棒を振る人生」のメモを終わります。