読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

国体論 ー菊と星条旗—

「4 天皇制とマルクス主義

▼急進化する大正デモクラシー治安維持法

(略)

一九二二年には堺利彦・山川均・荒畑寒村ら古参の社会主義者たちによって日本共産党が地下組織として結成されるが、その背景には、一九一九年にコミンテルン第三インターナショナル)のソヴィエト連邦の後ろ盾による形成があった。社会主義は、ごく一部の先鋭なインテリのみによる、確たる社会的基礎を持たない運動ではなくなったのである。

 

 

 

そしてその運動に、本来、天皇制国家の中核を担うべき存在であるはずの東大法学部の若者たちが雪崩を打つように身を投じてゆく。このことが国家支配層をどれほど恐怖せしめたかは、後代の想像を絶するものがあったであろう。一九二五年の男子普通選挙の実現と抱き合わせでなされた治安維持法の制定は、この恐怖の表現であった。(略)

 

 

 

コミンテルン国体

他方、コミンテルンでニコライ・ブハーリンが起草した一九二二年の日本共産党の党綱領草案には、「君主制の廃止」が盛られていた。そして、社会主義者共産主義者にとって、天皇制との対決は、コミンテルンから発せされるテーゼ(闘争方針の指令)と絡んで、複雑な問題となってゆく。(略)

 

 

とりわけ政治戦術論上の主要敵とされたのは、古参の社会主義者として強い影響力を持っていた山川均であったが、山川の組織論によれば、共産党は無産者階級のうちで最も先進的な分子を中核として遅れている大衆の意識を引き上げるものでなければならない、とされた。この山川理論を福本は否定し、前衛党たる共産党は、一旦大衆から分離して、「階級意識」を純化した後に大衆と結合しなければならないとする「分離ー結合」論を唱えて支持を得た。

 

 

 

しかし、一九二七年にはコミンテルンから新たなテーゼが発せられ、そのなかで福本イズムは、セクト主義であり「レーニン主義の漫画」であると酷評されてしまう。結果、福本和夫は党指導部を追われる。(略)

 

 

 

三二年テーゼの見方によれば、明治維新は市民革命的性格を全く欠いている、あるいは無視しうるほどわずかにしか含まず、維新が実現したのは絶対王政であった、ということになる。(略)

 

 

これに対して、三一年のテーゼ草案の見方によれば、明治維新以降の日本は曲りなりにも近代的原理によって支配された体制であるという現状認識が得られ、来るべき革命はプロレタリア革命である、ということになる。

 

 

このように重大な見解の変化が短期間になされた背景には、ソ連内部での権力闘争、つまり日本の実情とは何の関係もない事情があったと目されるが、日本共産党は三二年テーゼを受け入れることとなる。

 

 

 

福本イズム以来の共産党は、西洋直輸入の「最先端の理論」とコミンテルンからの指令に右往左往する事大主義をさらけ出したが、それは共産党が本来立ち向かうべきものだったはずの明治以降の「国体」と同様の表層的近代性という罠に、自らがとらわれることにほかならなかった。

 

 

 

▼日本資本主義論争 ― 国体の「基礎」とは何なのか

とはいえ、このような混乱から学術的に高度な論争が生まれることとなる。

(略)

また、この論争は「封建論争」とも別称される。なぜなら、一面で植民地帝国を築き高度に発達した資本主義社会となりながら、他面では原始宗教じみた天皇崇拝や地主ー小作関係において、封建社会に見られる経済外的強制に類似した関係性が残存するという日本資本主義の特殊性を、「封建遺制」としてとらえようとしたからであった。(略)

 

 

(略)

 

 

 

▼第二の自然と闘う困難と意味

ここには、現代にも通じる「天皇制と闘う」ことの困難が全面的に現れ出ている。なぜなら、天皇制もまた、福本の言う「階級意識」がありのままの無産者階級には存在しないのと同じ意味で、実存しないからである。(略)

 

 

その視点から見れば、天皇は「いかにも上品な、何やらありがたい存在」にほかならない。革命とは、個々の被搾取者が自らの境遇を相対的に改善することに満足せず、敵対性の根源を掴んでそれを絶つことである。ゆえに、革命を呼び掛けるマルクス主義が要求したのは、まさにこの実在性次元にある日常的な視線を捨てて、日本社会に内在する敵対性の根源を把握することであり、その把握から、派生的な個別の敵対性・搾取構造を位置づけることが展望されたのである。

 

 

 

その時、敵対性の根源として、すなわち搾取の構造全体を成立たしめる存在として、マルクス主義が名指ししたものが天皇制であった。(略)

 

 

つまりそれは、支配であることを否認する支配なのである。

かつ、論じてきたように、天皇制は、偏在するがゆえに不可視化されたシステムとして念入りに形作られ、圧倒的多数の日本人にとってほとんど「第二の自然」と化していた。

 

(略)

 

 

この視線にとっては対米従属の問題を声高に語る者は「異常な陰謀論者」に映る一方、対米従属の問題を諸々の問題を貫く矛盾の核心と見る者は、日常的な視線の次元にとどまる者たちを「寝ぼけた哀れな連中」と見なすこととなる。

筆者の議論がどちらの陣営に属するものであるかは言うまでもなかろう。(略)

 

ゆえに、喫緊の課題は、「敵対性の根源」「矛盾の核心」という観念を堅持しつつ、それを支配/従属の構造の全領域に偏在するものとして、把握することなのである。そこから、新たな集団的主体性が生まれうる。

 

 

▼国体に抱擁された転向者

「第二の自然」と化した天皇制に対して正面からの戦いを挑むという戦前共産党の戦術判断は、結果として、徹底的な失敗に終わった。

第一にそれは、治安維持法による過酷な弾圧を正面から受けることとなった。第二にそれは大衆への浸透力を全く持たなかった。

 

 

そして、その結果として第三に、獄中の指導者、佐野学と鍋山貞親が一九三三年に転向声明を発表し、この闘いは外側から崩されただけでなく、内側からも崩れ去ることとなる。(略)

 

 

 

そして、次のように言う時、佐野・鍋山は、公式の国体イデオロギーの前に屈したのであった。

(略)

 

 

戦後に吉本隆明が「転向論」で論じるように、彼らは、自覚的に自らをそこから引き離したはずの「大衆の実感」へと回帰した。公式イデオロギーが大衆の実感を作り出し、大衆の実感が公式イデオロギーを支えるという国体の循環構造から離脱し、それを切断すること― それが孤立を覚悟しなければならないものであったことは当然だった―こそ、コミュニストたることであったはずが、自らその循環構造へと巻き込まれ、国体によって抱擁されるに至った。(略)

 

 

 

党の最高指導部の態度変更は当然影響が大きく、獄中の党員たちは次々と追随する。ここに大逆事件以来の「国体 vs 社会主義」の対決は、国体の勝利によってひとまず決着された。

 

▼なぜコミュニストたちは国体に負けたのか

経済学者・青木孝平は、日本資本主義論争における国家論・天皇制論を総括して、次のように述べている。

 

 

〔講座派と労農派の]いずれも、大衆の反資本主義的怨恨(ルサンチマン)と軍部の疑似革命的エネルギーに支えられた天皇ファシズム固有の権力構造は、まったく解明の外にあったといわねばならない。

 

 

 

つまり、日本の天皇制を西洋史における絶対主義王政と同一視し、その正面からの打倒を呼び掛けた講座派は、なぜその「絶対主義」が外見的な超階級性を保持し、国民大衆からの支持を取り付けることができていたのかを解明することが出来なかった。

 

 

他方、労農派は、明治維新西洋史における市民革命と事実上同一視することによって、国体の特殊性を考察の埒外に置くこととなった。その結果が、来るべき天皇ファシズムを解明するに際しての両派の無力であったと、青木は結論している。(略)」

 

〇 なぜ天皇による「絶対主義王政」が大衆の支持を得ていたのか、について私が単純に、こうじゃないかな、と思った感想を、書いてみます。

 

日本において、天皇は「王」であり「神」であるからだと思います。

西洋では、王の上に神があります。

だから、王が「絶対主義的」だと、神の国を求めている国民は、王にそのやり方は間違っている、と言うことが出来ます。神の国を作るべきリーダーである王が、そうしない時、国民が力を合わせて、王を倒すのは、正しいということになります。

これは、「歴史の中のイエス像」で見た通りです。

 

でも、日本では、王であり神なので、その天皇にそのやり方は間違っていると言える人間は、どこにもいない、となります。

その天皇の「性質」を利用して、日本は政治をやってきた。

天皇だけが国民統合のシンボルということになれば、「科学」も「倫理」も「正義」も「人権」も天皇の下に置かれます。

 

政治家にとって、こんな都合の良いものはない、と思います。

 

 

では、何故、日本人は天皇を神だと思うのか。

本気で意思的に神だと信じている人はいないと思います。でも、これは、私の「感じ」なのですが、人間は本当に追いつめられると、「誰か…神様…仏様…」となにかを求め、すがる精神を持っているのでは?と思います。

 

 

その時に、その「何か」にイメージを被せてしまう…。

だから、宗教が出来上がる。

日本では、神社やお寺でその何かに手を合わせます。

科学的じゃない、論理的じゃない、そんな態度は間違っている、と言って見ても、

そんな風に物語を求めるのが、人間。その物語が人々を結び付け、信じ合う力を培い、社会が出来上がったと、あの「サピエンス全史」にもありました。

 

その物語を、天皇に被せて、王であり神であるという曖昧なイメージを持っているのが、私たち日本人なのではないか、と感じます。

突き詰めて、論じ合うことはしない。突き詰めたり論じ合ったりすると、多分、信仰は崩れる。論じるのを拒否する人が多いので、ハッキリとした教義はない。

 

「第二の自然」にまでなってしまっているものを間違っていると言って見ても、どうにもならない。そういう文化の国だ、というのが、事実だと思います。

 

 

その点、真実や正義や愛を神の国と結びつけ、「神が死んだ」後も、そのイメージは今も、持ち続けている国、民主主義を生み出した国とは、まるで違います。

 

だからこそ、政治家は、天皇を自分の都合で利用してはいけない、と考える良識を持っていてほしいのですが、かなり難しいことだと思います。