読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

精神の生活 上

「というのは、この精神活動というのは人によって非常に大きな差があるけれど、
この現象世界から退きこもり、自己の側に立ちもどるという点ではみな共通で
あるからだ。」


「しかしながら、我々は世界の一部をなして属しているのであり、しかも、たんに
そのなかにあるというだけではない。我々はまた、この世に到着しては出発し、
出現しては消えていくということによって現象物なのである。」


「というのは、問題はそもそも思想が現象するのに適したものかどうかに
係わることであるし、問われているのは、思考の働きと他の目に見えず音もしない
精神活動が現象するようになっているかどうかであり、実際、それらが世界では
適切な居場所を発見できないのではないかということだからである。」

○例えば大昔、キリスト教とか仏教とかいう宗教が人間社会において
大きな存在感を持っていた時には、思想家と言われる人々は
その問題を取り上げて思考することが出来たように見えます。

そして、文学の分野でも、その宗教から生まれる価値観をもとにあれこれテーマを
見つけることが出来、読むほうもそこに興味を持ち、具体的な生き方にも
繫がっていく、という働きがあったように見えます。

「神が死んだ」と言ったのは、ニーチェだと知っていましたが、その「神が死んだ」
ことを、ニーチェが、
「あー、違う!真の世界と一緒に現象世界もまた廃絶してしまったのだ」
と理解していたことは知りませんでした。

「真の世界」=「神の世界」=「真善美の世界」=「価値観を皆で共有できる世界」
と考えてみます。

だとすれば、私は思うのですが…

日本という国はまさに「神のない国」=「価値観を共有できない国」
と言えると思います。

そこで、おそらく為政者は明治以降、西欧のように結束力を高め、価値観を共有できる国にするためには、「天皇を神にするしかない」、と知恵を絞ったのでは
ないかと思います。

でも、天皇は人間であり神ではない。人間である限り、どれほど頑張っても、
(今の天皇はとても頑張っておられますが)真善美、全知全能の具現者とはなりえない。

しかも、一部の人間が国民を操るために意図的に作り出した「天皇は神」という
価値観は、いつでも誰によってでも、簡単に修正出来てしまいます。

実際、誰も心から本気で「天皇が神」だ、などと信じてはいないのです。
ただ、信じない人間は、「非国民だ」という雰囲気を作り出して、自分で自分を騙すように追い詰めていっただけ。

そうして、あの「おなかの中に何もない人」が一番素敵で粋な人という
都合の良い嘘をみなで信じているふりをし合って、社会をまとめてきたように、
日本独自の価値観で生きてきたのが、私たちだと思います。

それで、今まではやって来られたのです。
だから今の政府は再びそこに戻したいのでしょう。

日本会議なる組織を作って、天皇を元首=日本神道のトップとして、
もう一度天皇のもとに結束する日本にしたいのだと思います。

でも、神はある意味考え出されたもの、プラトンの言う「イデア」のように
イメージでしかないので、どれほど完璧なものをも想像出来ます。

その場合、真実・善・愛・希望・夢というどんな素晴らしいイメージを重ねても、
それは個々人の心の中で成り立ちます。

だからこそ、価値観を共有できるし、例えば、「善よりも悪が必要だ」などという
愚かな主張が排除され、普遍的な意味を持ちます。

ところが、「イデア」を積み上げる習慣のない私たちの国では、「天皇が言った」
となると、たとえそれがどれほど理不尽なばかげたことであっても、
随わなければならない、というおかしなことが起こり、結局、共有できる
価値観にはなりえないのです。

その共有できないものを出来るようにするためには、どうすれば良いのか…。

そこにあるのが、「幸せになれないシステムの国 日本」なのだと思います。