読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

中空構造日本の深層(※ 日本昔話の心理学的解明)

「ここでは、昔話、しかも「蛇婿入りと蛇女房」という人間と蛇の結婚の話を取り上げてみようと思います。これはどうも現代社会とはぜんぜん関係ないようですが、実は深い関係があると私は思っています。」


「ただし、ここではそういう西洋の話ではなくて日本の「お話」を取り上げます。「蛇婿入り・蛇女房」は、日本全国に非常にたくさん分布している「お話」です。」

「この話を聞いて、素性のまったくわからぬ男と結婚することなどもう日本にはないと皆さん思われるでしょう。しかし、これを少し違うレベルで考えて行きますと、われわれのところに相談に来る方で、結婚して二、三年たってどうしても離婚したいという人があります。

そんな方が良く言われるセリフに、うちの主人があんな人であるとは思わなかったというセリフがあります。(略)

つまり、素性のわからぬ人と結婚していたことになります。このように言いますと、この「蛇婿入り」の話は非常に迫真力をもって現在のことになってくるのです。」


「あるいはもうちょっと深刻になりますと、こういう異類女房で「狐女房」というのがあります。そこでは、こどもが母親の尻尾を見つけて父親にそれを告げるのです。

これなんかでもそういう深刻な例をわれわれはよく知っています。たとえば、子どもが忘れ物をして学校から急に帰ったら、お母さんがよその男と寝ていたという話があります。」


「父親のお百姓さんが田を見に行くと水が無くなっている。田に水を入れてくれるものには、うちの娘をやるんだけどと言うのです。

ところが、蛇が水を入れてくれて、娘を欲しいという。(略)三番目が、お父さんが助けてもらったんだから私はお嫁に行くと言う。その娘さんがお嫁に行くときにお父さんに頼んで瓢箪と針をもっていく。たくさんの瓢箪に針をつけて水に浮かべまして、蛇にこの瓢箪を沈めてくれと言うと、蛇が死に物狂いになって沈めているうちに、針に刺されて死んでしまった。

そして蛇を退治して、めでたしめでたし。これが日本の「蛇婿入り」の水乞型の一つの典型例なのです。


この話と非常によく似たパターンで後の方がちがってくる西洋の有名な話があります。皆さんもだいたい感づかれたかもしれませんが、「美女と野獣」というタイプです。(略)


ところが、西洋の話と日本の話と決定的に違うところは、娘が獣のところへいき、彼女の愛によって獣が王子様に変身するということです。話の展開の仕方にはいろいろありますが、娘が一度里へ帰ってくる話が多い。里へ帰るときに、獣は一週間で帰ってきてくれなどと娘に約束させるのです。

ところが娘さんの方は、帰ってきてお父さんが病気に成ったり、別れるのが悲しいと姉さんに言われたりして日を延ばされる。それでも獣のことが忘れられずに帰ってきて、やっぱりあなたが好きですと言ったとたんに王子様になる。


獣は魔法によって獣にされているんだけれども、その魔法が解けて人間になって、最後は結婚して、めでたしめでたしと終わりますが、日本のは、蛇は蛇であって殺されてめでたしということになるのです。このちがいについて考えてみたいと思います。」


「小沢さんによると、ヨーロッパに比べると日本の昔話には結婚の話が非常に少ないのです。そして、日本の昔話には魔法と言うことがないのです。

つまり蛇は話をしたり結婚したりするところは人間的なんだけれども、殺される辺りはがぜんもとの蛇のままなのですね。あるいは蛇の子供を生みそうになっても、こんなものはおろしてしまわなければ困るという現実感覚みたいなものが、日本にはあるのです。」


「(略)こんなバカなことを思い出すと、教育上よくない、だから子供には昔話をしない方がいいなんて言われる先生があるのですが、それは非常に浅はかな考えでして、だいたい真面目な人には浅はかな人が多いんですけれども(笑)、私はそれはファンタジーとかリアリティに対する考えが浅はかすぎると思います。」


「その反論の一つとして私が言いたいのは、こういう魔法のメルヘンを非常にたくさん持っていたヨーロッパの方が、自然科学が発達しているという事実です。

蛇は蛇として、殺してめでたいと思っている国には科学が発達しなかったというのは、非常に大事なことだと私は思います。」


「あるいは、メルヘンの中で結婚ということを非常に大事にした国と、そういうことはあまり大事にしなかった国との差はどうなんだろうかということが問題となってきます。」


「その点に注目しますと、これは柳田国男が言っているのですが、おそらく「蛇婿入り」の蛇婿は神様だったのではないか。ところが、そういう神話的な考え方がだんだん衰退してきて、妙な現実感が出てきて、蛇は恐ろしいから殺してしまえと言うふうになったのではないか。だから、もともとは神との結婚という素晴らしい話だったのが衰退して、「蛇婿入り」の話になって来たのではないかというように柳田国男はいうのです。


それにしては私が言いました「蛇婿入り」の昔話が、日本中にはあまりにもたくさん分布しています。つまり日本人の心を打ったからでしょう。そんな面白くないものだったら、みんな忘れてしまうと思うのですが、未だに各地に残っていることは、やはし日本人の心性に合ったわけでしょう。」


「ただしこの場合大事なことは、子どもは大事なのだけれども、蛇は死んでしまう。だから父親になる人、夫になる人は消え去って子供が残るというタイプなのです。」


〇「蛇だったら、騙してもいい」って思ってるのが汚い。蛇はまだ何も悪いことはしていない。田に水を入れて、娘に瓢箪を沈めてほしいと言われたら、死に物狂いで沈めようとした。
そんな蛇を平然と騙して殺してめでたしめでたしって…。
つまり、蛇っていう存在がそれだけで排除すべきもの、になってる。

蛇を見たら、私だって、キャーって逃げるし、蛇は嫌いだけれど、
だからと言って、何もしていない蛇を騙していいってことにはならない。

私が、蛇だったら、絶対に許せない。
嫌な奴らだ、汚い奴らだって思う。どうしてこんな「汚い」話が私の国の話なんだろうって、いつも悲しくなる。

私は浅はかなのかもしれないけれど。