〇「日本的情況を見くびらない」ということ、ってどういうことなのかな、とずっと頭の片隅にあります。
そこで、少し思ったことを書いてみたいと思います。
私が以前、考えたことがある「日本的情況」は、「お見合い結婚」でした。
うちの親は「お見合い」で結婚しました。
特に難しい家柄ではなかったので、嫌々とか、渋々しょうがなく、
などということもなく、どちらも前向きに喜んで結婚したようです。
私が中学の時、母に対して、「なぜお見合いなんてことで、一生を共にする相手を決められるのか」と「お見合い結婚」を批判したことがあります。
その時、母がなんて言ったのか、正確には覚えていないのですが、「お見合い」という方法でしか結婚できない人がいる、というようなことを言われたような気がします。
私はそれに対して、反抗的に、「結婚は結婚したい(ずっと一緒にいたい)という気持ちが生じるからするもので、結婚という制度に従うためにするものじゃないと思う」というようなことを言いました。そして、実際に心の中では、「結婚したいと思う人に出会わなかったら、結婚などしない」と思っていました。
でも、その後、時が経ち、私の友人は、何故か二人とも、お見合いで結婚しました。
その頃から、少し考えが変わったような気もします。
そして、今、私は、この日本という国では、案外、「お見合い」というやり方は、
私たちの気質に合っているのかもしれない、と思うようになりました。
私自身、あまり社交的ではありません。人を信じることも頼りにすることも苦手で、
人懐っこさというようなものがありません。そんな私が結婚できたのは、多分、夫との出会いが、中学の時だったからだと思います。たまたまその時に出会い、縁があって、結婚することになりました。
でも、その時に出会いがなく、20代、30代、40代となってしまっていたら…
その後の生活を思い出すと、結婚しなかったかも知れない、と思います。
中学の頃、「結婚はずっと一緒に居たいと願うからするもの」と私は思ったのですが、それは、確かにそういう部分はあると思うのですが、でも、一緒に暮らすことで、一緒に居たいと願うようになる、ということもある、と今は思います。
一人で生きるよりも、二人で生きることで、苦労や煩わしさのようなものは増えるように見えて、ちょうど登山のように、その苦労が心の筋力を鍛え、達成感や成長に繋がることもあるのでは…。
内気で誰とでも簡単に打ち解けられない気質の人でも、(実際、私はそうなのですが…)、一緒に暮らすことで、なんとか親しくなり、家族になれる…。私はそうでした。そうならば、その可能性を拡げる「お見合い」というのは、日本人に合ってるシステムだったのかもしれない、と思います。
しかも、昔のお見合いは、「おせっかいなおばさん」が、どちらの家族や人柄もよく知っていて、あの娘さんとあの息子さんなら、きっといい夫婦になる、と見立てて、お世話してくれる…ということらしく、安心できたのでは、と思います。
日本的な社会がどんどん変わり、大事なシステムを失ってしまったんだなぁ、と感じます。
日本的情況を私は見くびっていた、そういうことなのかな、と。