〇 高崎順子著 「フランスはどう少子化を克服したか」を読んでいます。
私たちの国は、1980年頃、既に将来は少子化になると予想されていました。
でも、その後もその克服のために、何か対策を練ったようには見えません。
何故何も出来ないのか。
そこが不思議ですし不安です。
「「言っておきますが、ここは保育園ではありません。国家教育省の学習目標に沿って学び、しっかり「生徒」になってもらいます」
3歳になったばかりの長男が「保育学校」に入学した時の説明会。校長先生の発した言葉は、耳を疑うくらい衝撃的でした。」
「3歳から全入の学校があるということは、3歳児以上の「待機児童」はこの国には存在しないことも意味します。」
週35時間労働制で働く父親・母親が家庭で過ごせる時間を増やしながら、多角的なサポートを強化して、いつしか西欧でも指折りの「子供が産める国・育てられる国」になりました。」
「筆者自身、この国で二人の乳幼児を育てて7年経ちますが、「子供が小さいから」ということで社会的に困る場面はあまり多くありません。
子供との生活はもちろんおおわらわで、私も周囲の子育て家庭も、目の下にクマを作って家事と仕事を必死にこなしています。
ただ、そこに不安や不便、不快を感じることが少なくて済んでいるのです。「私たちを助けるために国があり、見捨てられることはない」。前出の分析記事の中で、ある精神科医はそう断言しています。」
「この国で育児をしながら、私は一つのことを強く感じるようになりました。それは「ここでは、子育ては大変だと認められている」ということ。こんなハードなこと、親だけでできるわけがない。だからまわりが手を貸そう。その考えが、親戚・ご近所・友達付き合いをはじめ、社会全体に生き渡っています。」
「言い換えると「親の育児能力」に対する期待が低いのです。」
「そして、「それくらい、まわりが注意してくれていてちょうどいいと思う」とも。」
「「子供に一番大切なのは、やっぱり親なんです。どんなにいい保育園も、親の代わりはできない。親ってそれだけ大切で、大変な役目なの。だからこそ、みんなで親を助けなくちゃいけない。親が子供と幸せでいられることが、子どもにとっては一番なのよ。だからみなさんも、遠慮しないでいろいろ話して下さいね!私たちはあなたたちを助けるためにもいるんですからね」
目頭がぐーっと熱くなり、コーヒーをすすりながら、「ここでなら、私にも子供を育てられる」と心強く感じたのを覚えています。」
〇ここでは、涙が出てしまいました。昔、私たちの子育ての頃は、子育てが大変だとは、自分自身にさえ、言えずにいたような気がします。
大変なのだけれど、その大変なことをやり遂げてこそやっと親になれるのだ、みたいな気持ちの方が大きかったのです。
まさに、あの東洋的な見方で、「機心」を起こしてはいけない、的な考え方だったのか…
でも、そうなると、「不幸で必死の形相の母親」と一緒に暮らす子供、という図式になりますよね。
多分、間違いなく家の子どもたちはそうだったと思います。