読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

フランスはどう少子化を克服したか

〇 行政の話や統計的な数字が並んでいると、頭が自動的にシャッターを下ろすので
なかなか興味深く読み進めません。



「妊娠中のパートナーと人前に出ると、男は素でいられないんですよ。「妊婦の添え物」としてひっそり息を潜めるか、「メスを守るオス」モードが発動して、妙に偉そうにふるまってしまうか。(略)男が父親になるためには、まさにこの不安と疑問に向き合わなくちゃいけない。だから、父親の出産準備クラスは男だけでやることが大切なんです。」



「男性にも8%くらい産後うつがあるって、知っていますか?それにフランスでは、第一子誕生後の離婚がとても多いんです。父親が新しい人生にうまく適応できないことが原因の一つと言われています。」


「たとえば母乳かミルクかを決める時。医学的にも栄養学的にも母乳が望ましい、という世界保健機関の見解があるけれど、母親の仕事の状況や考え方の違いもあるから、フランスではこの点は「母親の選択に任せる」が医療関係者のセオリーです。

最近はここに父親が介入してきて、「夫がどうしても授乳したいっていうから、ミルクにします。母乳もちょっと考えたんですが…」ってお母さんが増えているんですよ。それってどうなのかしら、行き過ぎじゃないかしら、って感じることは、正直在りますね。」



「男性で最も比率が高い家事は「半余暇」で、一人親以外は、家事全体にかける時間の30%以上をこの項目が占めています。」

(※半余暇:犬の散歩・庭仕事・日曜大工等)

「こっちがやってほしいことを頼むのではなくて、「家事のどれだったらやりたい?」って聞くのよ。(略)あと、相手の分担の家事には口出ししない。」


「フランスではサラリーマンであれば男女関係なく、最長2年の育児休暇を取る権利があります。これは前述した3日間の父親産休・11日間の父親休暇とは別のもの。取得状況もこの2つの休暇とは大きく異なり、男性の取得率はたったの2%に留まっています。」


「加えてこの国には、フランス革命の時代から数百年変わらない「自由・平等・友愛」の理念があります。この理念は公立学校の門前には必ず掲げられており、10歳の子どもでも諳んじれるほど浸透しているもの。(略)

その前では、3分の1などまだまだ甘い!男の育休取得率2%は異常事態!と、社会党フランソワ・オランド大統領率いる現政府は特に男女平等に力を入れていて…(略)」



「これは言いかえると、14日間の産休は許容範囲だが、それ以上の育休を父親に与えることは、少子化改善の先進国フランスでもまだまだ困難なのだ、ということでしょう。」


「フランスの育児する父親は「時代の流れで、自然発生的に」増えているのではなく、国家政策で意図的に増やされているのです。」



「まず日本の育児・介護休業法には、従業員による申し出を企業が拒否した場合の罰則がありません。」


「また育休を取った場合、休暇中の所得はまず「労使での取り決め」に任されています。(略)が、それももちろん自動的に支給されるわけではなく、企業側がハローワークに申請しなければなりません。」



「それらを乗り越えてでも「何としても取得したい」という、鉄の意志と熱意を持った人だけが取得できるもの、それが日本の男性育休_とまで思えてしまいます。」


〇ここでも、「日本はなぜ敗れるのか」が思い起こされます。

「日本軍は、外面的組織ではすべてが合理的に構成されていて、その組織のどこに位置づけてよいかわからぬ存在は、原則として存在しない。組織は、それ自体として完結しており、少しも矛盾なき幾何学的図形のように明示できる。

各兵科別の指揮系統から各部(経理部・兵器部等)の指揮系統、さらに付属諸機関への指揮系統(簡単にいえば、慰安婦は部隊副官の指揮下)まで、完璧といってよい。そしてその頂点が天皇であり、完全なピラミッド型になっている。」

〇素晴らしい法律が制定される。表向きは立派。
でも、実際は少しも問題解決に至らない。現状を変える力を持たない。絵に描いた餅。骨抜き。

「本気で変える気はない」と思われてもしょうがないと思います。
アリバイ的に、自分は仕事をしていますよ、と見せるための書類上の仕事であって、現実に社会や現状を変えようとするものではない。

変えるには、先ず人々の考え方や価値観を変えねばならず、それは一役人、一政治家には無理だ、と考えるのだと思います。というのも、それをすると、「闘い」
が巻き起こる。

昔は、労働基準法で、8時間労働が謳われていました。今は「柔軟な働き方」になり、また昔とは変わってきていますが。

でも、夫は朝8時(時には6時)には家を出て、帰ってくるのは22時頃でした。
あの頃は、休日は週一日。それも、時々なくなりました。

そんな職にしかつけなかった人間が悪いのだ、と言われてしまえばそれまでですが、
何故、労働基準局がそれを見て見ぬふりをしているのか、私は不思議でした。
よく、そんな部署が存続できているな、と。

いつも、思うのですが、様々な問題の根っこは結局考え方や価値観だと思います。
「自由・平等・友愛」を掲げて、それを実現させようとする人間と、
「自然のままに」成り行きに任せて生きようとする人間、
行動はまるで違ってくると思います。


「自然のままに」という価値観を変えずに「合理的な資本主義のやり方を取り入れる」から、その歪は全て弱者にしわ寄せが来ます。

自然のままで行くのなら、経済発展は望まない。合理的な資本主義を取り入れるなら、その大前提の西欧の価値観をしっかり身につける。

どちらかにしない限り、二つの価値観の間に挟まって、弱者が摺りつぶされてしまいます。