〇内容が難しく読みにくい本は、ここで文章を入力しながら噛みしめて、
やっと内容が頭に入る、ってことも多いのですが、このシーラという子は読みやすくて、どんどん進んでしまい、もう、かなり終りの方に近づいています。
こちらのメモが追いつかない状態。私にしては珍しい(>_<)。
「私が認めようが認めまいが、私のクラスでの生活は戦いの連続だった。子供たち相手の戦いというだけではなく、自分自身との戦いの日々でもあった。
毎日毎日ああいう子どもたちとつきあっていくために、私は自分自身の感情を様々な方法で封じ込めていた。そうでもしないと、勇気がくじけ、ショックが大きすぎ、幻滅し過ぎて、物事がうまく運べなくなってしまうからだ。
毎日毎日、私は自分の恐怖と絶えず片隅に追い払い、そこにくすぶらせていた。この方法は私には効き目があったが、たまに子供がそばにやってきて私の砦に揺さぶりをかけることがあった。
そんなときに、私がそれまで何とか無視しようと努めてきた不安や、いらいら、疑いなどがすべてばらばらとこぼれ出てしまい、私は敗北感に打ちのめされてしまうのだった。
だが、基本的には私は夢見る人間だった。子供たちの理解できない行動と私の傷つきやすさの向こうに、落胆や自信喪失の向こうに、正直言って気づくこともめったにないのだが、ある夢があった。
事態は変わり得るのではないかという夢が。夢見る人間であるだけに、私はその夢を容易なことではあきらめなかった。」
〇昔、次男が不登校の時、まず、朝起こすのをやめなさい、と崎尾英子さんに言われました。もちろん、直接のコンタクトはなく、本を読んだり、ラジオの子供相談の中の言葉を聞いたりしてそう言われていると思った、という意味です。
でも、これが難しい。起こさなければ起きてこない。起きてこなければ、学校に行かない。でも、起こされて起きて、学校に行くように仕向けられて行くということを
していては、不登校は解決しない。
自ら進んで行こうと思って行くようにならなければ、不登校は解決しない。
そのためには、まず起こさない。自分から起きてくるのを待つ。これをして下さい。
と言われました。
これが、本当に難しい。
そんなことをしたら、本当にますます学校に行かなくなるのでは?と心配になります。一日中、寝てたらどうするの?と不安になります。
その心配や不安との戦いが辛かった…。
でも、自分の体験を書くと、次男は起こさないからと、起きてこなかったことは、10回の内の2~3回だったと思います。
もっと少なかったのかもしれません。
起きてこなかった時は、お休みしました。
ぎりぎりで起きてきて、顔もろくに洗わず、とにかく学校に行く、と頑張る息子の姿を見ました。
だから、毎日毎日が、多分、息子も自分との戦いで、私も自分との戦いでした。
出席日数が足りないと留年になります。
息子もそれは知っています。
ぎりぎりで進級して、卒業して、ぎりぎりで、
なんとか引っかかった、高校に進級しました。
ラッキーだったとも言えるし、私に似て、気が小さく逸脱する勇気がなかったとも言えます。
でも、「自分との闘い」という言葉で、それを思い出しました。
「あの子は野蛮だったが、私があの子を文明化させなければならないなどとは思っていなかった。病院の空きが早く出来ればできるほど、ありがたかった。」
「「まあ、なんてことでしょう」ミセス・バーサリーは、私が誰で何のために電話をしたかを告げるとこう叫んだ。
「あの子は永遠に放校になったと思っていたのに」」
「だが、話し方はしだいに弱弱しくなっていった。それだけのことがあったというのに、それでも彼女はシーラが好きだったのだ。
私を引き付けているのと同じ、あの不思議な力に引き付けられていたのだ。あの子はすごく傷つきやすいように思えるのに、それでも非常に勇敢だった。」
「電話で聞いたことがさらに私の絶望を新たにした。彼女が試してみなかったことで、私に何ができるというのだろうか。」
「シーラは椅子の上で身体を丸め、また両ひざを抱える姿勢をとった。彼女がまだ昨日と同じすり切れたデニムのオーバーオールとTシャツをつけているのに私は気づいた。両方とも昨日から洗ってなくて、ひどい臭いがした。」
「ほかの子供たちも私を心配そうにみつめている。私は、これがはじめてのことではないけれど、なんと因果な商売だろうと思っていた。正直いって、私だって彼らと同じくらい怖気づいていたのだから。(略)
だが、それどころか、彼女はどう考えてもたやすく受け入れられるような生徒ではなく、私たち全員に根っこからゆさぶりをかけてきたのだった。」
「(略)彼はぷりぷりしながら、この子にクラスから出て行ってほしいと宣言した。あの子はすべてをめちゃくちゃにしてしまう、と。私はピーターのいったことからシーラをかばうようなことはしなかった。
いずれにしてもあとでピーターが直接彼女にそういうことがわかっていたからだ。そこがピーターのかかえている問題であり、私は彼がしゃべっている時にその問題が出てくる方がいいと思っていた。
それで、代わりに私たちは、シーラが慣れるまでの間、どうやって不都合を乗り切ったらいいかその方法をさがそうということで話し合った。」
〇この、自分の指導すべき生徒と一緒に話し合う、という態度に感心します。
これが、民主主義の土台になるんだろうな、と。
そして、この話し合いの前には、「ここではしゃべるということが一生懸命にやることの一つなの」、という指導があって、きちんと積み重ねられているなぁと感心します。
そして、ここであの河合氏の言葉を思い出しました。「母性社会日本の病理」の中の言葉です。
「大切なことはこのようなアレンジメントが存在すること。そして、それにかかわった人たちがアレンジするものとしてではなく、渦中において精一杯自己を主張し、正直に行動することによってのみ、そこに一つのアレンジメントが構成され、その「意味」を行為を通じて把握し得るということであろう。」
「最後に私たちは、シーラが叫んだり、そうでなくてもアントンか私が注意しなければならないようなことをしでかして授業が中断された場合、他の子供たちは自分たちの勉強に専念し、中でも責任感の強い者がマックス、フレディ、スザンナの様子を注意して見ているということに決めた。
もしみんなが協力してくれたら、週の終わりに何かご褒美をあげると私はいった。ちょっと話し合った後、もしすべてがうまくいったら、金曜日にアイスクリームを作ろうということになった。
子どもたちは次から次へといろんなアイデアをだした。
「もし先生がシーラのことで忙しい時にフレディが泣きだしたら、あたし、お話を読んであげる」とタイラーがいった。
「ぼくたちで歌を歌ってもいいよ」とギレアモー。
「あたし、スザンナ・ジョイの手を握っててあげる。そうしたら、スザンナは走ってって、怪我をすることもないでしょ」(略)
私はずっと彼女のオーバーオールの肩紐に手をかけていたが、彼女はおとなしく座っていた。「アイスクリームは好き?」シーラは目をせばめた。
「あなたもほしいでしょ? アイスクリームは好き?」
用心深くシーラはうなづいた。」
「何が何でも昼食時に昨日のようなことを起こすわけにはいかなかった。私が昨日のようなひどい午後を繰り返したくなかっただけではなく、
昼食補助員から、シーラが何をしでかすかわからない態度を改めるまでは、絶対に彼女の監視役を引き受けるのは断るとはっきりといわれていたからでもあった。
そんなわけで、私は昼食を子どもたちと一緒にとることになった。」
「なぜそうなのか理解できなかったのだが、彼女は不当に私のことを怖がっているようで、それだけに無理に彼女の方に注意を向けて、彼女のそんな気持ちをさらに強めるようなことをしたくなかったのだ。
他の子供たちは何も起こらないのでがっかりしているようで、帰りの会の後ピータ -が私のところにきて、もしシーラが何も騒ぎをおこさなくても、アイスクリームをもらえるのかと聞いてきた。
私はにやっとしながら、何も問題がないままに金曜日までいっても、必ずアイスクリームは食べられると保証した。」