読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

シーラという子 _虐待されたある少女の物語_

「吹雪と共に四月がやってきた。この冬のもどりをみんな嘆いていたが、ふわふわした真っ白な雪が深く積もった景色は、見ていてとても美しかった。しかし、この豪雪の為に交通が遮断され、学校も二日間休校になった。

学校が再開された日、シーラは朝の話し合いの時間にジェリー叔父さんが一緒に住むようになったと発表した。」



「私たちはすぐにいつもの日常にもどったが、私たちが法廷で勝ったことの幸福感の余韻がまだ残っていた。」



「四月も半ばにさしかかったある朝、シーラが沈み込んだ様子で登校してきた。」



「シーラ、あなた、血が出ているじゃない!」彼女のズボンの右脚の付け根のあたりに赤いシミがついていた。(略)


血が下着を汚し、両脚をつたって流れ落ちていた。下着の中にはペーパー・タオルが詰め込まれていた。先に彼女が何度もトイレにいったのはこのためだったのだ。」


「「こわかったもん。ジェリーおじちゃんがいっちゃだめだっていったから。もしあたしがそのことをいったら、また同じことをやるって。もししゃべったら、もっと悪いことが起こるって」
シーラをかかえてトイレから飛び出すと、私はアントンにクラスを頼むといった。」


「「あたしを置いていかないで!」彼女は泣き声をあげた。
「ずっとついているから、シーラ。だから横になりなさい。お願いだから、私から手を放して」
「あたしを置いてかないで!この人たちにあたしを連れていかさないで!トリイに抱いていてもらいたいよ!」四人が団子のようになった状態で、ストレッチャーはドアに近づいて行った。」



「医師はシーラはものすごい量の出血をしているので、まずは輸血をしてその安定をはかることが先決だ、と説明した。診察してわかったことだが、どうやらナイフは膣壁を貫いて直腸にまで達していたようだった。」



「私はそっとシャツをたたみ、クローゼットの奥にしまいこんだ。どうしても捨てられなかったのだ。」



「この事件に関しては胸が悪くなるような思いだったが、同時に私は不思議な胸の疼きを感じていた。五か月前には、シーラが加害者で他の誰かがその犠牲になったのだった。

被害者の男の子の両親は、チャドがいまジェリーに対して感じているのと同じように感じていたにちがいない。


この極悪非道な犯罪はぜったいに許せないが、私がシーラの中に見出した心の傷が、おそらくジェリーの中にもあるのだろうということに私は気づかされた。

二人とも潔白ではありえないが、二人ともまた芯からの悪人というわけでもないのだ。ジェリーもまたシーラと同じく犠牲者なのだと思うと、私はたまらなかった。こう考えると事態はいっそう複雑なものになっていった。」


〇ここでは、まさに、あの「夜回り先生」(2017/10/19(木) 午後 9:43)と山本七平氏の「日本はなぜ敗れるのか」(2018/1/21(日) 午後 9:38)の言葉が絡み合って、「事態が複雑になっている」のだと思いました。
(しつこいですが、何度でも振り返りたくなります)

「この世に生まれたくて、生まれる人間はいない。
私たちは、暴力的に投げ出されるようにこの世に誕生する。

両親も
生まれ育つ環境も
容姿も
能力も
みずから選ぶことはできない

何割かの運のいい子どもは、生まれながらにして、幸せのほとんどを
約束されている。
彼らは豊かで愛に満ちた家庭で育ち、多くの笑顔に包まれながら
成長していくだろう。
しかし何割かの運の悪い子どもは、生まれながらにして、不幸を背負わされる。

そして自分の力では抗うことができない不幸に苦しみながら成長していく。
大人たちの勝手な都合で、不幸を強いられるのだ。

そういう子どもたちに不良のレッテルを貼り、夜の街に追い出そうとする
大人を、私は許すわけにはいかない。」(「夜回り先生」より)


「氏は、ある状態に陥った人間は、その考え方も生き方も行動の仕方も全く違ってしまう事、そしてそれは人間が生物である限り当然なことであり、従って「人道的」といえることがあるなら、それは、人間をそういう状態に陥れないことであっても、そういう状態に陥った人間を非難罵倒することではない、ということを自明とされていたからである。」(「日本はなぜ敗れるのか」より)


〇誰もがみんな、この状況の中に投げ込まれて生きています。だから、その中で自分の行動に責任をとるのは、必要です。一人で生きているわけではないので、社会を秩序あるものにするために、罪と罰を定めるのは必要です。

でも、「殺す」=「死刑をする」権利など、誰にあるのか?と私は思います。


「おそらくいちばんむずかしい仕事は、シーラに起こったことを私のクラスの子供たちにどう説明するかということかもしれなかった。私たちは教室で虐待については、身体的虐待についても性的虐待についても、すでに話し合っていた。

私が担任している子供たちは虐待を受ける可能性の高い家庭から通ってきていたので、もし彼らがそんな状況に陥ったり、あるいは誰かがそういうことをされてりるのを目にしたときに、どうすればいいかを知っていた方がいいと感じたからだった。」


「「だって、トリイはそのことをちっとも話させてくれないんだもの。シーラの名前さえ一日中いわないんだもの。こわいよ」とセーラがいった。「そうだよ」とギレアモーが同意した。「ぼくはずっとシーラのことを考えているのに、トリイはまるであの子なんんかここにいなかったみたいにずっとしていたじゃないか。シーラに会いたいよ」(略)



私の教室ではこの七カ月半の大半をかけて、ものごとをオープンにして他人の立場になって考えるということを学んできた。私が隠し切れなかったところからすると、子どもたちはあまりにもよく学び過ぎたのかもしれない。」


「私たちはみんな車座になって自由に話し合いをすることになった。
「ものごとには話しにくいこともあるのよ。シーラに起こったことは、そういうことなの」と私はいった。(略)


みんなが眉をひそめた。みんな熱心な目をしている。マックスでさえ身体をゆするのをやめていた。(略)


私は正しいことをしているのだろうかと思った。だが、本能的にはこれでいいのだと感じてはいた。私たちの関係は、それがどんなに悪いものであっても真実に基づいたものでなければならなかった。


もっと言えば、知らないより知る方が悪いとは私には思えなかったし、知ることがこの子供たちがすでに見てきた多くのことよりも悪いことだとも思えなかった。人生にはあまりに悪くて話すこともできないようなものなど何もないのだという事実が、私たちの教室での基本だった。


そうはいっても、私の内部の深いところから、おまえはまた習ったルールを破って、教育学的、心理学的実践で証明されている領域から逸脱しようとしているという小言の声が聞こえてきた。」



「「ううん、ましよ」とセーラは答えた。「あたしが小さかった時、学校に上がるまえのことだけど、あたしのお父さんはときどきお母さんがお仕事に行っている時にあたしの部屋に入ってきたの。それで…」


彼女はここで言葉をきって、タイラーと私の顔を見てから絨毯に目を落した。


「あの、おとうさんもそういうことをしたのよ。お父さんにされる方がもっと嫌だと思う。」」


「私たちは長い時間話し合った。帰宅時間を知らせるベルが鳴り、バスが来て、いってしまった。それでも私たちは話し続けた。性的虐待のことを。シーラのことを。自分たちのことを。


話し合いが終わってから、私は八人全員を私の車につめこんで家まで送っていった。(略)


私たちが話し合わなければならなかったことは、おかしなことではなかったのだ。そのことを話さなければという必要性は、その日の午後のすべての他の活動を上回っていた。それから私たち一人一人の個人差をも上回っていた。