読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

ふしぎなキリスト教  3 ユダヤ教はいかにして成立したか

「O それは明らかにフィクションと言いますか神話的です。しかし、旧約聖書は、そういうところからだんだん、実際にあった話がそれなりに伝承されて文字になったものだろうと解釈できる部分へと、つまり本当の歴史へと変わって行きます。


旧約聖書の記述は、こういうふうに神話と本来の歴史、フィクションと事実とをないまぜにしていますから、これだけからはユダヤ教の客観的な歴史はわかりません。」



「H この年表は、エジプトの出来事と、メソポタミアバビロニアアッシリア)の出来事に、パレスチナ一体(当時はカナンといっていました)の歴史が挟まれる形になっています。

両大国に挟まれた地域(カナン地方)に、イスラエルの人々がいた。エジプトとメソポタミアの両大国に挟まれた弱小民族が、ユダヤ人だったという歴史が分かると思う。

島国で安全だった日本とは、まるで正反対なんです。(略)



ヤハウェという神が最初に知られるようになったのは、紀元前1300~前1200年頃だと思います。そのころ、のちに「イスラエルの民」といわれるようになる人々が、この地に入植し始めた。(略)


これが、それなりにユダヤ教らしくなったのは、ずっと時代が下って、バビロン捕囚(紀元前597~前538年)の前後。すっかりユダヤ教になったのは、イエス・キリストより後かもしれない。ローマ軍の手でエルサレムの神殿が壊されて、ユダヤ民族は世界中に散らされてしまったんですね。神殿がなくなったので、律法を重視するいまのユダヤ教の形が確定した。というわけで、千五百年ぐらいかけて、徐々に成立しているんです。


これだけ長い間に、ユダヤ教はずいぶん形を変えているので、以下、マックス・ヴェーバーの「古代ユダヤ教」(名著です!)を下敷きに説明します。


ヤハウェは最初、シナイ半島辺りで信じられていた、自然現象(火山?)をかたどった神だった。「破壊」「怒り」の神、腕っぷしの強い神だったらしい。そこで、「戦争の神」にちょうどいい。イスラエルの人々は、周辺民族と戦争しなければならなかったので、ヤハウェを信じるようになった。(略)


イスラエルの民がそのもとにまとまった。
この「イスラエルの民」が元はどんな人々だったか、実はよくわかりません。肥沃な低地を見下ろす山地に住み、羊や牛や山羊を飼っていた。人種も文化もまちまちなグループの寄り合い所帯だったらしい。


逃亡奴隷やならず者やよそ者も混じっていたかもしれない。それが、定住農耕民と張り合おうというので、団結して、ヤハウェを祀る祭祀連合を結成した。ヴェーバーの言い方だと、「誓約共同体」(同じ神をいただく宗教連合)ですね。そして少しずつ、カナンの地に侵入していった。(略)


なぜ、ヤハウェの偶像がないのか?それは技術水準が低くて、偶像が造れなかったから。偶像崇拝がいけないというのは、負け惜しみなんですね。


ともかくイスラエルの民は、先住民の神々(偶像)を拝むのを禁止して、ヤハウェだけを信仰しようとした。それでも、バアルを拝む人々はあとを絶たなかったので、流血事件も起こっています。」