読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

一下級将校の見た帝国陸軍(敗戦の瞬間、戦争責任から出家遁世した閣下たち)

「従ってそう言いながら私は、自らの現状と対比しつつ、多くの暴将や暴参謀を思い出していた。それは何かが気にさわれば、狂ったように暴力を振い、「将校を殴り倒すのが唯一の趣味」といわれた師団司令部のK少佐参謀や「慮人日記」の「陣地へ女を連れ込んだ参謀」だけではない。収容所の中には、この種の上級者への怨嗟が文字通り渦巻いていた


ああいう種類の人たちは結局「軍人」を演じただけで、内実は「から」だったのだ。軍人としての能力は皆無だったのだ。今にして思えばこれを敷衍したものが日本軍だった。


こういう人の気違いじみた暴力と暴言の背後にあるものは、一言でいえば「無敵皇軍」という自画自賛的虚構を、「虚構」だと指摘されまいとする、強弁であり、暴言であり、暴行であり、犠牲の強要である。そして陸軍全体がそうであった。



陸軍の能力はこれだけです。能力以上のことはできません」と国民の前に端的率直に言っておけば何でもないことを、自らがデッチあげた「無敵」という虚構に足をとられ、それに自分が振り回され、その虚構が現実であるかの如く振舞わねばならなくなり、虚構を虚構だと指摘されそうになれば、ただただ興奮して居丈高にその相手をきめつけ、狂ったように「無敵」を演じ続け、そのため「神風」に象徴される万一の僥倖を空だのみして無辜の民の血を流しつづけた、その人たちの頭にあったものこそ血塗られた「絵そらごと」でなくて、なんであろう。妄想ではないか。(略)


軍医さんは私の興奮に、あきれたように言った。
「山本さんよ、ぼくがそう言ったわけじゃないよ。ま、そう怒らずにさ、もっとよく将官たちを見てごらんよ。私はずっと見ているわけだけど、あなた、今のあの人たち、何だと思う」
「何だ、というと」
「出家ですよ。戦に敗けたので頭を丸め、墨染めの衣を着て、出家陰性した人ですよ。だからネ、みんな悟ってますよ。面白いよ。あの悟り。



腹を切らなきゃ、出家。これが昔からの日本の責任の取り方ですよ。それ以外に、どうすりゃいいって言うの、あなた?そんなこと、もういいじゃない、それより、タバコについて、もう一度語ろうや」


後で思えば、出家責任説は彼だけでなかった。山田乙三大将がソヴェトから帰った時、「高僧のような」という表現が、ある新聞に載っていたし、岸前首相は収容されて以後の東条前首相を「俳句など読み、人間的に大変に立派になった」、いわば「悟りを開いた」といった意味のことを言っている。


出家!出家とは何なのか、生きながら死者の籍に入ることにより、死者の特権を獲得し、生者の責任を免除されることなのか?(略)


「将校たるものに、当番兵の食卓の片すみで食事をさせるとは何事じゃ」と叱られましてね。将官テーブルの末席があなたの席ですから」と。それからニヤッと笑い、「ご苦労さま」と言って出て行った。


その笑いは、実態を失っても、将官とか将校とか兵隊とかいった形式だけにこだわる将官たちへの、冷笑のように見えた。これで「出家」なら、生ぐさ坊主である。従って、敗戦後にもなお、階級的特権に基づく「食卓」すなわち恩給だけを、彼らが要求したとて不思議でない。」