「浄土真宗の革命性
さらに注目すべきなのは、浄土真宗の考え方です。
親鸞という人が現れ、僧侶でありながら、はじめて結婚しました。彼自身は「非僧非俗」と言っていますが、自分は出家者か。いや、出家者(僧侶)ではない。在家者か。いや、在家者(俗人)でもない。では何なんだ、ということになるのですが、非僧非俗ということを主張して、そして結婚した。つまり出家主義を否定したのですね。
そもそも出家を認めない仏教というのは、世界的にみてもたいへん珍しいもので、これは革命的なことだと思います。出家を否定したわけですから僧侶という存在はなくなって、寺もなくなった。いま、浄土真宗はお寺をつくっていますが、これは親鸞の教えに背いているので、親鸞から二百年くらいの間、お寺の額などすべて外し、全部道場というふうに称していた。
モスクかシナゴーグのような、在家の信徒が集まる会堂として運営していたのです。一向一揆というのは、こんな考え方なのです。でも、江戸時代に一向一揆が潰されて、浄土真宗が弾圧されたときに、じゃあお寺もつくりましょう、とかなり妥協して、ほかの宗派と足並みを揃えてしまった。
明治以降、僧侶の妻帯は、浄土真宗以外にも一般化します。この経緯はなかなか面白いと思います。廃仏毀釈とかいろいろありましたが、日本のお坊さんは、もともとよほど結婚したかったと見えて、みんな結婚してしまって、お寺は世襲になります。
これはいろいろな問題をもたらしました。日本が一九一〇年に朝鮮半島を併合したとき、あちらのお坊さんは小乗戒を守ってきちんと修行していたのです。
でも日本は僧侶の妻帯を許可していたので、一部のお坊さんが結婚してしまった。敗戦で日本が引き揚げた後、僧侶なのに結婚したものはけしからんという反対が起こり、たいへんな混乱が起こったといいます。
たいへん罪つくりなことをしたと思います。
これが日本の仏教ですが、簡単に言うと、法律を理解するのが不得手であるために、要所要所で仏教の根本を理解しそこない、最後には浄土真宗のようなものが生み出され、それが他の宗派にも広まって、仏教の原則がたいへんないがしろになっている。そういう状態だと思います。
こうした仏教の影響を受けた日本の世俗法がどうなっているかについては、最後にお話ししたいと思います。」