読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

日本中枢の崩壊

「第三章 霞が関の過ちを知った出張

(略)

削られた報告書三ページの中身

(略)官僚がもっとも気にするのは「霞が関村」の掟だ。よく批判されるように、「霞が関村」では省利省益最優先。先輩のやった政策は、たとえ拷問があっても非難はタブーといった不文律ができ上っている。



福島原発でも、実は津波に具えて、非常用のディーゼル発電機を原子炉建屋内に置くべきという問題意識はあったようだ。しかし、これを実行すれば、先輩は安全を十分に配慮していなかったことになる。そのため、原子力安全・保安院の官僚はもとより、官僚よりも官僚的と言われる東電マンは、なんの対策も打たなかったのだ



(略)



出張を終えた私が急いで報告書にまとめて提出すると、すぐに官房長から電話があった。(略)
官房長が問題にしたのは、報告書の最後の三ページである。ここに私は「所感」と題して、出張で感じたことを率直に記した。(略)



そう、官房長は、中小企業庁は要らないと取られるような報告書は中小企業庁にはとても回せないというのだ。(略)
「最後の三ページは報告じゃないよな」と食い下がる。「いや、一体のものとして出したのだから報告だよ」と応じながら、私の頭には、要するになんのための出張だったんだという思いと、もうどうでもいいやという思いがよぎる。(略)



後に国会から私の出張報告書の提出要求を受けた経産省は、結局、問題の三ページの存在を隠蔽するため目次に細工を施し、最後の三ページを削除して提出した。これが、後に報告書の改竄問題として、河野太郎議員や世耕弘成議員らによって取り上げられることになる。




この官房長が極め付きの守旧派というわけではない。むしろ、どちらかといえば開明派といってもいいだろう。人間的にも明るく温厚なほうだ。しかし、省庁で幹部まで上がる官僚たちは、良かれと思ってこうした行動に出てしまう。(略)



だから、私のような者でさえ、彼らと話していると、どうも自分の方がおかしいのかな、という錯覚に陥りそうになる。それくらい、霞が関の幹部クラス全体が、こと省益の保護ということになると、金太郎飴のごとく綺麗に考えが揃っているのである。(略)




第四章  役人たちが暴走する仕組み

年金を消した社保長官はいま

現在の霞が関の最大の問題は、繰り返すが、官僚が本当に国民のために働く仕組みになっていない点である。(略)
第一の欠陥は縦割りの組織構成である。(略)
一生お世話になる組織の利益のために働く。これはごく自然な感情だ。(略)


しかし、公共のために働く公務員の役割は、利益追求を最大の目的とする企業の従業員のそれとは根本から違う。公務員は、国民から徴収した血税を使ってどのような施策を立案すれば国民生活が向上するかを第一義に考えるのが仕事だ。(略)



第二の欠陥は、年功序列制と身分保障。(略)
能力があれば年功どころか国籍も問わない。逆に業績が上がらなければ経営責任を厳しく問われる_身分保障などといったらお笑い草だ。
ところが、官庁では、ポストも給与も入省年次で決まる。能力がなければ係長で終りでも仕方がないのに、キャリアならまず確実に課長にはなれる。(略)



評価はどれだけ省益に貢献したかで決まるのだから、幹部候補のエリートは余計に国民のことは考えなくなる。それ以前に親方日の丸で国家財政破綻寸前になっているいまも年功序列にしがみつき、ぬくぬくと暮らしている官僚に、民間企業や国民のニーズに応える適切な政策が立案できるわけがない。(略)




霞が関の論理では、出世競争から脱落した者にも、年次に応じて同等の収入を保障しなければならないとなり、大臣官房が省庁の子会社ともいえる特殊法人独立行政法人などに再就職を斡旋していた。


すなわち、出世競争に負けた人のための受け皿が必要なので、無駄な独立行政法人特殊法人、そして無数の公益法人を役所は作る。(略)



官僚が省益を考えなくなるシステム

安倍晋三政権以来、なぜこれほどまでに苦労して公務員制度改革を行おうとしているのか。
それは、いかなる改革を行うにも、公務員が省益のためではなく、政治主導のもとで、真に国民のために働く仕組みに変えなければ、結局すべての努力が徒労に終わるからである。これまで行われた幾多の改革が途中で頓挫したり、あるいは表面的なものに終わった最大の原因も、官僚のサボタージュ



これは、実は、改革を命がけでやろうとした政治家にしか分からないことかもしれない。そして公務員制度は、様々な要素が複雑に絡み合って出来上がっている。一部に手をつけても、結局その他の仕組みが頑強に抵抗し、結果的に全体が元に戻ってしまう。



だから、変えるべき点には網羅的に手を付けなければならない。そのためのすべての改革事項と改革のスケジュールを法律ではっきり決めてしまう。それが、前に述べた「国家公務員制度改革基本法」なのだ。(略)



現在の片道切符の官から民への再就職ではなく、出入り自由なダイナミックな制度が確立されれば、彼のように官と民を股にかけて持てる能力を存分に発揮できるようになる。
リボルビングドア方式は、民、官どちらの組織にもメリットをもたらす。(略)


結局、民主党には政治主導を行う実力がなかったということだろう。(略)
第一に、そもそも民主党の閣僚には「政治主導」の意味が解っていなかった。(略)
第二に、民主党の閣僚はじめ政務三役には「政治主導」を行う実力がなかったということだ。(略)




霞が関の役所の評価基準は大きく分けると二つしかない。
一つは労働時間、もう一つは先輩、そして自分の役所への忠誠心だ。(略)だらだらとでもいいから、なるべく長く仕事をした方が勝ちだ。




深夜、霞が関をタクシーで通ると、どの庁舎も煌々と灯が点いている。霞が関不夜城。官僚は批判されているけれど、なんだかんだいって一生懸命働いているじゃないか、と思われる人もいるだろう。



だが、実態はお寒い限りだ。夜の七時頃から九時ごろまで多くの幹部が席を外している。外部との打ち合わせと称して、酒を飲んでいるのだ。(略)
それでも、みんな戻って仕事をする。



私はアルコールを一滴も飲まないので、酔っ払いながらも仕事をやっている人を見ると、ある意味、凄いなと思うものの、その一方で、どう考えても実のある仕事ができるとは思えない。(略)



本来なら酒など飲みに行かず、さっさと仕事を片付けて帰宅し、家族との時間を持った方がいいと考えている官僚も多いはずだが、そうならないのは、いかにサボりながら仕事をしているように見せられるかが、霞が関では重要であるからだ。



政治が無傷のとき役人は

(略)いまでも退職金は支給されるので、失業しても当面の生活費には困らない。そうであれば、退職金の上積みと全額国費による少額の失業手当を組み合わせるなど、知恵はいくらでもあるはずだ。



こう書くと、それは無理だという議論が噴出するだろう。要するにリストラを阻止するために一〇〇でも二〇〇でも理屈が出てくる。役人がもっとも得意とする「できないという屁理屈」の典型である。(略)




ただし、政治が無傷では、役人は痛みを伴う公務員制度改革を受け入れないだろう。(略)
たとえば、議員定数の大幅削減と同時に、議員歳費の五〇パーセント削減を実施する。それに続いて公務員の幹部職員の給与も三〇パーセント程度は削る。



もちろん、議員定数をリストラの観点で議論するというのは邪道だろう。本来は、議会制民主主義を実現するために必要な制度設計の一環として議員定数も議論されるべきだ。



しかし、そんな正論は、平時の議論だ。国の存亡にかかわる改革を進めるためにやむを得ない犠牲だと考えて実施するべきだろう。(略)」