読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

日本中枢の崩壊

「「死亡時積算方式」と年金の失業保険化で

経済を立て直すには、もちろん、労働力の減少を食い止める努力も必要だ。長期的には少子化対策が必要だが、これは短期間で解決できる問題ではない。労働力の減少を和らげる当面の策としては、外国人労働者の導入、もしくは女性・高齢者の活躍に期待するしかない。


高齢者はどんどん増える。元気な高齢者も然りだ。外国人労働者を一挙に増やすのが嫌なら女性が働きやすい環境作りとともに、高齢者が働ける環境づくりが最大のテーマになる。



現在の高齢者は、収めた何倍もの額の年金をもらっている。日本人の資産の大半を持っているのも、六五歳以上の人たちだ。高齢者の年金はもう少し削り、現役世代の負担を軽くしてもいい。
その代わり、高齢者が本気で働ける仕組みを作る。(略)




働きたいのに、働けないのは、本人にとっても不幸せだし、国にとっても損失である。働いて社会に関われば、高齢者の生きがいにもつながる。精神的にも肉体的にも健康になり、財政に重くのしかかっている医療費も少しは軽減されるし、所得税も国に入って来る。(略)


年金は長生きした時の備えではなく、長生きしても「働けない」人のための保険という考え方に変えてはどうか。つまり、何歳になっても働こうとすることを前提にする。働けない人、仕事がない人、働いても十分な給与までは貰えない人、これらの人に対する保険、という考え方にすべきではないか。



つまり、失業保険と生活保護との合体型だ。失業保険の部分は保険、生活保護の部分は税金による分配という考え方。働けるけど働きたくない人には支給しないという事にすれば良い。
八〇歳を過ぎたら全員に支給するという妥協をしても良い。こうすれば、働こうというインセンティブにもなる。



生活の安心という意味では、都市を取ったら年金ではなく、働けなくなったら年金があるというkとおで十分ではないか。働けるけど働かない人、ただ年金で楽をしようという人まで国は面倒を見なくてもいいだろう。



年金財政が苦しくなるから支給額を減らそうとする考えもあるが、一律で支給額を下げると、貧しい人でなくてもかなり不安になる。自分はもしかしたら一〇〇歳まで生きるかもしれない、そう思うと一切お金を使いたくないという事になり、資産を保有している高齢者までますます委縮して、所得を貯蓄に回すようになり、消費に悪影響を及ぼし、日本経済を傷める結果になる。



そういうデメリットを考えれば、年金制度に「死亡時積算方式」を取り入れるのがいいのではないか。たとえば高齢者がなくなり、その人は生涯で一〇〇〇万円の年金給付を受け、総額五〇〇万円を支払っていたとしよう。五〇〇万円は超過分だから、相続財産から優先的に国に返してもらう。



年金などのもらいすぎで、その子供たちが豊かになるというのは、公平の観点からも問題がある。単純に相続税を上げるという議論もあるが、それでは真面目に働いて貯めた分も年金などで貯蓄した分も同じ扱いになり、公正とは言えないのではないか。



それには、一日も早く国民番号制を導入し、個々人の口座で年金、健康保険、介護保険の支払いと受給が監理されるようにすることだ。医療、介護も含めて、生涯を通してもらい過ぎた分は国に返納するという制度にした方がいい。


六五歳を過ぎて年金の受給が始まった、生活に困らないだけの額を貰っている受給者にとって、おカネを稼いで貯蓄に回すインセンティブは、子供に残すぐらいだ。もらい過ぎた分は国に返さなければならないとなると、子供たちに遺産を残したい人は、働こうかとなる。」


〇 「もらい過ぎは返す」という事であれば、「もらわな過ぎ」についても、
きちんと考えてもらいたい。今の国民年金、年額60万でどうやって一年間暮らしていけるだろうか、と思います。


「大連立は是か非か

なぜ、これからの日本のトップに国民を説得する力が必要なのかというと、いまからやらなければならない政策は、国民にとっては非常に厳しいことが多いからだ。



特に「平成の開国」を実現し、財政再建のために聖域なき歳出カットを行わなければならない。いままで補助金や規制などで守られていた特定のグループにとっては血を流す厳しい改革が待ったなしだ。



一般の人も政府に頼ろうという考えでは生きて行けない時代になる。それから逃げてはこの国は立ち直れない。いま日本が置かれた状況を、国民に理解、納得してもらう必要があるのだ。



大震災後の新たな日本創造のためには、いままでの社会の在り方を根本から見直し、国民が一丸となって頑張らねばならない。そのためには、国を引っ張る政治家がまず、正直に現状を国民に訴えることが大事だ。そういう観点からは、民主党事業仕分けはかなり疑問だ。



二〇一〇年秋の事業仕分け特別会計にメスを入れた民主党は、「隠れ借金を見つけた」と声を張り上げていたが、特別会計のなかに借金があるのは、霞が関や永田町では周知の事実だった。それを事業仕分けにかこつけて、いまになってやっと見つけたかのようにマスコミに発表。



まったく勉強していないマスコミはこれを仰々しく報道する。少し事情に詳しい人はあ、財務省にそそのかされて消費税を上げるための布石を打ったのだなと見透かした。
姑息な手段を使わず、総理が堂々と、いまの財政はこれほどひどい状況になっていると、国民に真正面から訴えて欲しかった。そして国民に選択肢を示し、自らの決断を 問う。



たとえば、「現在の厳しい財政状況下で歳出を維持し、増税だけで財政再建しようとすれば、すぐさま一〇パーセントの消費税増税をしても将来足りなくなります。」と正直に打ち明け、「しかし、それでは経済はボロボロになるので、私はいままでの手厚い産業保護政策を見直したいと考えている。日本が生き残り、日本国民がもっとも幸せになる道はこちらだと、私は信じている」と考えを明らかにする。



そのうえで、「しかし、それをやれば、こういう人たちは痛みを感じる。でも、みなさん考えてみて下さい。いまもっとかわいそうな人たちがたくさんいます。私たちはそういう人たちに手を差し伸べたいが、財源がなくてできない。ぜひ、国民のみなさんに協力していただきたい。そして、この国を開いて、みんなで稼いで、なんとか税収を上げましょう。どうしても足りないところは増税をお願いします」と、是非を問うのだ。



東日本大震災の後、もう一つ悪いパターンが見えて来た。震災対応を理由とした大連立構想だ。連立にあたっては具体的政策の議論をまずしなければならないのに、菅総理は政局を優先し、中身のない連立を打診した。自民党も公共事業の配分に関与しようと、守旧派の長老たちが前のめりになった。



しかし、国民はこれが政治家だけの都合による茶番であることを早々に見抜いていた。国民に難しい状況を説明し説得しようにも、政府は自信がないから安易なばら撒きをエサに連立を打診した。自分たちだけで大増税の責任を負いたくないから、協力してもらおうという民主党の魂胆は見え見えだった。



かつて小泉氏は、国民の嫌がることも堂々と言ったので、国民はみな信頼し、リーダーシップを発揮できた。しかし、多くの政治家はこれができない。下手に厳しい現状を包み隠さず話すと、支持率が下がり、選挙に負けて政権が倒れると怖れ、リスクを取れないからだ。クビになってもいい、これをやらなければこの国はだめになる、という信念と覚悟があって、初めて救国の策を実行できるのだ。」


〇 政治家の言葉も官僚の言葉も全く信じられない状況は、今に始まったことではないけれど、現在は、今まで以上に不信感が満ちあふれています。ここで古賀さんがいうような「正直に打ち明けて説得する」環境にはありません。

まず、今の「嘘つきの犯罪者たち」を政治家や官僚から一掃してほしい。信じられる言葉を使う政治家や官僚に政治を担ってほしい。

これで、「日本中枢の崩壊」のメモを終わります。